お?


お? 


昨日で1月は終わりと勘違いしておりました。

月初にちょっとした発表を考えていたのですが、まだ1月なので一日繰り下げします。(すいません)




せっかく生まれた空白の一日なので・・・

気ままに書いてみようと思います。(いつものことですかね。)




題して・・・


「三宅弘晃はどこに向かっているのか?」


マニアック笑






e0359411_14081516.jpg





私はいろいろな顔があるらしいです。

優しかったり、死ぬほど怖かったり。

完璧だったり、テキトーだったり。

整体が上手かったり、下手だったり(?)


だから掴みどころがないと言われます。

また直接会っていない人、例えばわごいちのお客さんのご家族や友人には、凄い人であったり、理解不能な人間であったりするようです。

三宅先生は国の宝、そう言ってくれる人も時々いるかと思えば、怪しい宗教の教祖だという人も居るそうです。



私は、人の評価は人に任せるしかないと思っているので、「ふーん、そんな風に思われているのか。。。」と意外に三宅弘晃評を楽しんでいます。妻に言わせると、「周りの評判を気にしなさすぎるので時々困る」そうです。







e0359411_19262969.jpg



どんな人間か、私自身もそれはまだはっきり分かりません。(皆さんもそうではないでしょうか。)

ただ、私のやり方、考え方のようなものに、すごく特徴的な傾向を見ることは出来ます。



私は「対」でバランスを取りながら物事を進めていくのです。





例えば「肚揉み」と「丹足」があります。この二つの技術は私にとって「対」を為します。

「肚揉み」も「丹足」も、私がこの世に産みだしたものです。そして多くの人にとって役立つ技術であることは、どちらも違いがありません。


しかし最近、「肚揉み」を人に教えるのはとても難しいと考えています。最悪の場合、本当の奥義を伝える事なく私はこの世を去るかもしれません。これまでも人に伝えようと取り組んで来ましたが、肚を揉むという行為はあまりにも特殊であると認めざるを得ない、そういう経験を重ねてきました。



そしておそらく、この挫折感、悔しさ、不甲斐なさが、私にとっては「丹足普及」の原動力になっていると思うのです。

わごいちで施術する「肚揉み」と「丹足」。肚揉みは無理でも、丹足は人に伝えやすいものです。

もちろんそれなりの丹練は必要ですが、例えばメディアに出てくるレベルのゴッドハンド(フット)を数十人育てるくらいはできると思います。



「最近先生、丹足協会に燃えているよね」

そう思う人も多いかと思いますが、それは肚揉みと丹足の方向性が「対」の関係にあるからです。



肚揉みは誰にでもできるものではない。おそらく1000人に1人か10000人に1人くらいの確率で継承できる、そういうものだと思います。ですからハラ揉みは、粛々とわごいちの中で熟成させながら時を待つしかない。非常に特殊で閉ざされた世界になるのだと思います。

しかし丹足は真逆。誰にでもできます。すぐにでもある程度できます。そしてやればやるだけ上達します。ですからなるべく多くの人に丹足に触れて欲しい。一度踏んでみて欲しい。踏まれてみて欲しい。丹足を通して触れ合って欲しい。

その行き着く先の世界のイメージは、私の中に既にあります。


わごいち院長としての三宅弘晃、そして丹足普及協会・千照館の理事長としての三宅弘晃、全然違う顔になるのは、この「対」によるものなんじゃないかと思います。



他にもいろいろな対があります。ですからいろいろな顔をしますが、まあそういうことかと、なんとなくでも思ってもらえると・・・・





私もお付き合いが楽になって助かります。笑











e0359411_19524653.jpg







三宅弘晃




















[PR]
by wagoichi | 2018-01-31 19:52 | 戯言