揉道14. 先生という仕事


今日七夕は結婚記念日。2000年に結婚して17年。

当時仕事が忙しく、「その日」も残業になって妻一人で役所に婚姻届を出しに行ってもらった。「みんな二人で来てたのに!私だけ一人やった!!!」と烈火のごとく怒っていた妻も17年でずいぶん丸くなった。年月は偉大だ。

よく結婚を「ゴールイン」ということがあるが、あればやめたほうが良いと思う。結婚は独身生活のゴールではあるが、同時に夫婦生活のスタートでもある。婚姻届を国に出し、簡単には抜けられない家という枠に一緒に入るということである。

当然いつも仲良く行くわけではない。何度も「もう一緒にやっていけない」と思うこともある。それでも何とか一緒にやっていく道を探りながら、互いに己を成長させていくのが本当の結婚生活というものじゃないかと思う。決して夫婦は楽なだけではない。

我が家に限って言えば、夫婦共通のテーマに「先生仕事」があったように思う。結婚後、僕は半年で脱サラし整体修行にはいり、1年半後に開業して「整体の先生」になった。妻はその後まもなく「ゴスペルの先生」になった。以後「先生とはどんなものか」ということについてよく話し合うようになった。

今日はいい機会なので、我が家で考えて来た「先生という仕事」というテーマで連載の14回目を書いていこうとおもう。



・ ・ ・



「先生という仕事」で大事なことは「大先生」を持っておくことだと僕は思う。

先生をはじめて3年や5年で一人前の先生になることは難しい。先生はリーダーとは違う。学級委員をしてきても良い先生になるのとは違う話だ。なぜならリーダーは前に立つ人であり、先生は上に立つ人だから。

人の上に立つ先生だからこそ、自分の上に大先生を立てておくことが大事だと思うのだ。


僕の場合は、はじめに桜井寛先生という良い先生に出会ったが、出会って半年後には東京に行ってしまわれた。それ以来ずっと「大先生」をもたないまま一人でやってきた。

妻の場合は、はじめについた先生と合わなかったので違う先生のところに移ったが、100人以上いもいるカルチャーセンターの受講生の一人という立場だったので、細やかな指導というものは受けられなかった。つまり「大先生」は持たずにやってきた。


「大先生」と聞いても、ピンとこない人もいるかもしれない。なぜ先生に先生が必要なのかと疑問に思う人もいるかもしれない。でも先生という仕事は、多種多様な人間相手の仕事だから想定外のことが起こる。「まさかこんなことがあるなんて!」「まさかこんな人がこの世に居るなんて!」というような経験は先生なら皆もっていると思う。

どんなことが起こっても「先生」なのだから、それらを受け止めて、うまく対応しなくてはならない。そういう不測の事態への対応力も含めて期待して、みんなが「先生」と敬意を持ってくれている。

でも「先生」もただの人間だから、はじめからあらゆる不測の事態に対応できる能力を備えているわけではない。先生をしながらひとつひとつ学んでいくしかない。そこで居てほしいのが「大先生」なのである。

「あなた、そういう時はこうすればいいのよ。」と的確にアドバイスをくれたり、「それはあなたのこういう力量が不足しているからよ。」とさらなる研鑽を促してくれたりする大先生を持つかどうかは、先生人生を大きく左右する要因になる。

世の中には漫然と先生を続けている先生もいるが、やはり良い先生になるには、10年くらい大先生の元で先生修業をするくらいが丁度良い。結婚と同じで先生になってからがスタートだから。




僕には大先生がいなかったということは既に書いた。求めても整体の大先生が見当たらなかったので、宮大工の西岡常一棟梁に心の中で大先生になってもらったりしたが、やはり「整体の大先生」ではなかった。

開業してみると、この世には色々な病気があることに驚いた。「どうしたらいいねん・・・」と途方にくれることも多かった。その都度自分で考えるしかなかった。問題が起こる度に、その原因を自分で突き止め解消していくしかなかった。

今、わごいちでは当たり前のように便秘や生理痛から糖尿病から癌まで、さまざまな人が施術を受けに来ているが、それらの施術スキルは、ハラに聞きながら自力で一つ一つ作っていった。僕はハラ揉みという特殊な世界に入ったから仕方がなかった。



一方の妻。ゴスペルの世界には良い先生も多いので、機会を捉えて教えを乞うてやってきた。妻にはちゃんと謙虚さがあるので、自分の力量を過信せず、傍から見ていても地道に着実にスキルを蓄えてきている。

ただ妻にも一つ悩み事がずっとあった。「先生と生徒との人間関係の作り方」である。先生と生徒といえども人間同士の付き合いがベースになるのは言うまでもない。それは近所付き合いとなんら変わらないものだ。

しかし同時に先生は先生としてあらねばならない。よく混同されるがインストラクターと先生は本来違うものであって、先生に対して礼がなにより大事である。礼をもって先生に教えを乞うことではじめて得られるものがあるからだ。

最近はこれをわからない人が案外多い。「お金を払ってるんだから・・・」という顔で、当たり前のように教えを受けに来る人が居る。そういう時に先生の力量が問われる。



先生を始めた頃、家に帰るとよく妻に愚痴を聞かされた。「Aさんは私を立ててくれるんだけど、Bさんは態度が横柄で、なんでBさんはああなんやろう。」なんて話をよく聞かされた。そういう時に僕が妻に言う話はいつも同じである。

「全部自分の写し鏡なんやで。自分の中の横柄さがBさんの横柄な面を引き出しているんや。全て自分が悪いんや。Aさんが立ててくれるのはAさんがたまたま偉いだけで、Aさんから学ばなあかん。」

「横柄な人がやってきて先生を見たときに、自分が恥ずかしいと思って態度を見つめなおすような先生にならなあかんねんで。」

「普段から自分の至らなさを自分で何度も何度も反省する習慣を持たんといかんわ。それが先生仕事の醍醐味やと思うで。」

思い返せばこんな話をうんざりするくらいにやってきた。大先生がいたら叱って教えてくれるけれども、今はそういうことを言う先生はあまりいない。だから僕がするしかない。

言う方も決して楽ではないが、言われる方もまた辛かったに違いない。「偉そうなこと言うけどあなただって・・」と反論してきたり、時には「私ってそんなに駄目かな・・・」と涙目になったり。

なかなかにシビアな夫婦生活を17年続けてきた(笑)。




今はちょっとだけ笑って、こういう話を振り返ることができる。というのは妻も私の小言を、いや小言なんてかわいいものじゃ決してないけど、自分の人生にとって有意義なものだと理解してくれているからだ。もう小言もあまり要らない。

5年、10年、15年と夫婦を続けてきて、共に「先生」を続けてきて、今おそらく二人で声を揃えていえるのは「先生という仕事」に携わってこれたこと互いの人生にとってとても幸運であったということだ。

自分の為だけならばここまで自分を責めてはこれなかった。大事な患者さん、生徒さん、自分を信頼して礼を尽くしてくれる人たちの為だからこそ自分をここまで問い直すことができている。これからまだまだ自分を成長させていくことができる。これは「先生という仕事」の従事者ならではの喜びではないかと思う。



・ ・ ・



そんなこんなの結婚記念日。

こんなシビアな夫についてきてくれたこれまでの17年に感謝すると共に、自分自身が「大先生」になっていくこれからにまた新たな覚悟を求めたいと思う(笑)。





e0359411_13331079.jpg










三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・四股200丹
・木刀200丹


[PR]
by wagoichi | 2017-07-07 16:00 | 人生