揉道13.食事療法の光と影


「食事療法」というものがある。食べたものが体を作るのだから、良い食事をして体質を変えようという治療法の一種である。

私が肚を揉み始めた時、食事指導はしなかった。専門の栄養学の勉強をしたわけでもない人間が、安易に食事指導をすることが憚られたのが一つ。近代栄養学というものに直観的に疑問を抱いていたのがもう一つ。

この二つの理由によって私は食事指導を一切しなかった。人様の体に触れる以上、腑に落ちるまで研究することが必要だと考えた。

今でも思い出すのは、20代後半の便秘で悩む女性がやって来た時のこと。排便が月に2回しかない、という。肚はパンパンカチコチである。「普段何を食べているの?」と聞いた。「ドーナツ屋さんでバイトしているので、朝も昼も夜もドーナツです!!!」「おぉう!」と絶句した。絶句しながら、私は専門外の「食事指導」は無しで、専門の「肚揉み」だけで何とかしようと決意した。

彼女は毎週通ってきて整体を受け、しばらくすると毎日排便できるようになった。ドーナツは相変わらず食べていたが。

結果的には食事指導を入れた方が、早く良くなったかもしれない。しかし「安易に安易な食事指導をする」ことは怖いと本能的に思っていたのだろう。中途半端な食事療法で、体調をかえって悪くしている人を沢山見ていたのも大きかっただろう。

長期的に見れば、この慎重すぎるほどのスタンスは大いなるプラスとなった。「滅茶苦茶な食生活のままでも肚揉み一本でなんとかしよう」と悪戦苦闘する中で、肚揉みの腕が磨かれるだけれなく、徐々に食と内臓の関連性が見えるようになってきたのだ。

「この胃炎は肉食の結果だな。」「この胃炎はストレス性だ。」「これはパンの食べ過ぎのガスだ。」「この腸の炎症は・・・」という様に、食と内臓不調の因果関係が見えるようになり、それが私の中で理論体系化されていった。

私の栄養理論は本から学んだものではない。実物の生きた肚に触れて揉んで、嫌と言うほど肚に向き合ってきた体感の中から生まれて来た独自のものである。

この数年にわたる試行錯誤の後に、私は少しずつわごいちで食事指導をするようになった。自分として確信の持てることを、手を通して感じることを、揉みながら伝えることからスタートした。

「あなたの体の不調は、この内臓に問題がある。なぜこの問題が起こるかと言えば、その一因はこの食べ物にある。だからこういう風に食事を改善したらどうか。」

「肚揉み」と「食事指導」。それに「丹足」を加えた相乗効果を徐々に引き出せるようになって、わごいちの施術効果は飛躍的に上がった。色々な病気に対処できるようになった。

ネットやセミナーで栄養の知識を集めていては、今の私はなかったに違いない。手で肚の状態を確認しながら一つ一つ検証を重ねたからこそ、近代栄養学の問題点も明確になり、臨床的裏付けのある食事指導もできるようになった。

そんな私なりの食事指導の模索の中で、しばしば一人の医師の名前を聞くようになった。

故 甲田光雄先生である。


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当時は大阪の八尾でご健在だった。

わごいちで施術をしていると、「三宅先生は、甲田先生のことをご存知ですか?」と訊かれることが多かった。どうして?と聞くと「三宅先生と甲田先生が同じことを言われるんです。」と言う。そういう人が沢山居た。「甲田先生は他のお医者さんと違って、まずお腹を触られるんです。お腹を触ってあんたケーキばかり食べているね、とかそういうことがすぐにバレまして、その上で食事のアドバイスを書いた紙をくださいます。」

興味が沸いてきて、甲田先生の著書を10冊ほど取り寄せて読んでみたところ、びっくりした。こんなにすごい先生が同じ大阪においでだったのかと感動した。

なかには私を甲田先生に引き合わせたいと何度も言ってくれる人もいたが、私はその度に丁重にお断りをした。実は本も1、2冊読んだだけで、後は読まないようにした。なぜかといえば、甲田理論とも言うべきものがあまりにも力がありすぎて、中途半端に触れると感化されてしまうと思ったからだ。

「自分なりに納得のいく食事指導体系を作り上げてから、甲田先生にそれをぶつけに行こう。」

それは当時の私にとってひとつの目標になった。

ところで今の世の中ほど「食がめちゃくちゃ」な時代はなかったのではないか。

「あれを食べたらいいよ」「これを食べたらいいよ」と情報が流れて皆が飛びつくのだが、その背景には「経済」が絡んでいる。その食材を作っている人、売っている人、情報ネタとして商売している人、そういう人たちの「経済」が現代日本の食卓をめちゃくちゃにしている。

さらに輪をかけて、自称「食の専門家」というべき人たちが、生半可な情報で人を狂わせている。「生兵法は怪我の元」というではないか。セミナーや本やネットでうわべの情報を集めて、安易に安易な食事指導をしている人が多すぎる。

食事指導というものは本当は怖いものだ。「食の生兵法」は害であるとさえ言える。ということを知らない人があまりにも多い。

甲田先生の本の中でも、生死の境の患者さんを入院させて、ぎりぎりの食事療法を続ける甲田先生に奥さんが「もうやめて。あなたがそこまでしなくても。」と必死で止められたというエピソードがあった。私はこのやりとりに胸を絞めつけられた。これは体を張って食事指導する人間にしかわからないと思う。

食事指導をしていると時に、不調に悩まされ、病院をたらい回しにされたあげく見放され、薬づけになってボロボロになった人がやってくることがある。そういう人を受け入れ、踏み込んだ食事指導を行うのにはとてつもない勇気がいる。

例えとして不謹慎極まりないが、野球で9回裏ツーアウトランナー無し、15対0で負けている状況で、打席に立ち続けるようなものかもしれない。たった一つのアウトでゲームセットになる。16点入るまでアウトひとつ許されず、ヒットを打ちづつけなければならない。

私のところには、そういう人たちがやってくる。そこまで体を追い込んだのはご本人や周囲だが、最後の最後の切り札としてそれまでの全ての挽回(清算)を要求される。上手くいけばいいが、上手くできないと全ての責任を問われる可能性さえある。例えそれが逆恨みだとしても、悲しみにくれる人は誰かを責めたくなるものである。

甲田先生もおそらく相当な覚悟で食事療法に挑んでこられたと思う。食で人は生きもし死にもする。この覚悟は目の前の命を預かる者しか分からない。

最近は甲田先生の本を読んで自己流の(間違った)食事療法をして、体をより悪くした人がわごいちに来るようになってきた。自称「甲田先生の弟子」という人たち、あるいは断片的な知識だけで甲田療法を謳う人たちの指導を受けて調子を悪くした人も来るようになった。

多くの甲田先生を必要とする人たちが今、路頭に迷っているように思う。他にも多くの立派な食事療法の先生もいるが、やはり甲田先生のごとき人はそう簡単には現れないだろうと思う。

なぜ弟子を残されなかったのか。。。

と思う人も少なくないと思うが、その困難さは今まさに私も直面しているところである。肚に手で触れて「どのような状態か」「なぜそうなったか」「何を食べたか」「どう対処すべきか」ということを感じ取る力を身につけるのは尋常な努力ではない。また努力以外の要素も必要であろうと思う。

ご逝去後しばらく残されていた甲田医院も閉められたという。後継者は居ないと聞く。我々は大きなものを失ってしまったのではないか。それを思うと全く残念に思うし、先生が亡くなったことをいいことに、エセ甲田療法を振りかざす人たちを見てそら怖ろしくも思う。甲田先生がすごかったのは知識や経験だけではなく、その察知力にあったはずなのに、それを都合よく無視しているように思えてならない。

甲田先生の元患者たちが私のところに来るたびに、甲田先生のことを懐かしく話していく。

願わくば、皆さんが言う通り甲田先生と私のやっていることが同じなのか、今こそ確認をしたかった。きっと同じではない。何が違うのか、どう違うのか、先生と話をしてみたかった。ただちょっと遅かった。

作り上げるのは大変なのに、失う時はあっけない。本物を伝えていくということを、我々はもっと真剣に考えねばならないのではなかろうか。

食事のことを書いているうちに、伝承のことに話が移ってしまった。この流れで次回は徒弟について書こうかと思う。(多分。)



つづく










三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・四股500丹


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by wagoichi | 2017-06-12 16:24 | 人生