照千一隅への道のり

その12.エレキにビビッとやられて


小学生の時、近所で柴犬が生まれたというのでもらってきた。ランと名付けた。

ランはその後19年間生きてくれた。病気もほとんどしたことがない。まったく健康で賢い犬だった。

ランの健康の秘密は二つあり、一つは粗食、そしてもう一つは毎日のジョギングだった。散歩ではない、名前の通りランだった。この連載の初期の頃に書いたが、父や私と一緒に野山を毎日3~10キロ程走った。とにかくよく走った。



思えば私は昔から生き物の体に興味があったようだ。子供の時にランをよく観察して、色々なヒントを自分の中に蓄えてきたことを、今更になって気付くことがある。まさか当時は整体師になるなど夢にも思ってなかったが。

例えばランの走り姿はとても美しかった。よちよち歩きの子犬でもらわれてきて、誰も走り方など教えていなかったのに、とても理にかなった美しい走りだった。ランは昼間も庭で放し飼いだったが、野生動物や野生に近い状態で飼われている動物はすべからく走り姿が美しい。

私は当時陸上部に所属していたので、マラソン中継などはよく見た。当時は瀬古俊彦さんや宗兄弟がトップランナーだったが、宗兄弟のあの首を傾げた走りは子供心にも不思議だった。どうして首を傾けて走るんだろう。シマウマやライオンでそんな走り方をするのがいるだろうか。。。

野生動物の動きは、皆が完璧に近い合理性と美しさを感じさせるのはなぜだろうか。




そろそろ丹足の話をしよう。


前回に「整体はしんどいものか」という疑問を抱いたことは書いた。奉仕的労働ではなく、相手を癒しながら自分自身も強く美しくなっていくような整体を模索したいと思ったことも書いた。私は日々の整体活動の中で、あるいはそれと並行して、「強く美しい整体」の在り方を模索し続けてきたように思う。

その際に重要な役割を果たしたのが、姿勢と呼吸の研究である。研究の為に、バリ舞踊、フラメンコ、フラダンス、ジャスダンス、日本舞踊、ベリーダンス、ヒップホップ、社交ダンス、エアロビクス、よさこい、古武術、能、などなどを仕事の合間にできるだけ見に行ったことは以前に書いた。

面白い所では「湯もみ」などもわたしの研究対象になった。今YOUTUBEで見ることができる湯もみは現代人の体による湯もみだが、私の頭の中では大正以前の日本人の体で行ったであろう湯もみが想像再生される。そういう昔の運動も研究対象になった。

しかし当時はあくまでも「足圧」とは切り離したところで、姿勢や運動などの研究していたように思う。




「エレキ」というべきものがあるのかもしれない。

例えばエビがどんどん肉をつけ成長していよいよ殻が窮屈に感じた時、全身にビビッとエレキが走る。決して計画的に手順を追って脱皮していくのではなく、エレキが走ってビビッと、これはたまらんと、雷が落ちて反射的に家を飛び出すのと同じ感覚で、エビは反射的に脱皮に動きだす。

いや、本当の所はエビに聞かないとわからない。わからないが、私はそういうものだろうと想像するだけの話。

何の話かと言えば、生命活動の革新にはかならず「エレキ」が必要なのではないだろうか、という話である。古来より宗教家が激しい修行の中で「悟りを開いた!」というのは、まさにあれもエレキの一種だとみていいと思う。




足圧が丹足に生まれ変わるについて、奇跡的に幸運で、決定的に重要な要素があったように思う。

当時の私は猛烈に忙しかった。朝の9時から夜中の11時までぶっ通しで施術していた。お盆と正月以外に休みは無かった。それでも仕事をこなしきれず、新規予約は最長7か月待ちまでいった。そんな生活を何年も続けていた。

施術中に意識がぶっ飛んだこともあった。皆さんも一度試しにやってみたらいいと思うが、14時間休憩なしで人の体を揉み続けてみたらいい。それを何カ月も毎日続けてみたら、人間どうなるか。。。。


とある日、慢性的に体が重く、何ヶ月か続いていた微熱も、この日はあからさまに発熱していた。体の節々も痛い。腰は硬く重く痛覚がない。意識は朝から朦朧としている。でも目の前には助けを求める、大きくて硬い体の人が寝ていた。

もうその時はさすがに「ごめんなさい。無理です。」と言おうかと思った。そういってその場に倒れられたらどれだけ楽だろうと思った。でもこの施術を後回しにしては、その人は次にいつ予約を取れるかわからない。予約表には数か月先まで一寸の隙間もなかった。

「もうどうしようもない。どうしようもないまま、先を考えずにやるしかない。」と踏み続けた。今日の施術を受けることを何カ月も楽しみにやって来た人だ。こんなに体が硬くなってはさぞつらかったろう。さぞ待ち焦がれたことだろう。(でも実は俺の方が辛いにちがいないんだけど。。。。)

やらなくちゃいけない。逃げちゃいけない。できない言い訳をしてごまかしちゃいけない。プロのプライドにかけて。でも体がいうことをきかない。意識ももう。。。



その時エレキが落ちてきた。


エレキが私の体を貫いて、突如として私は「踏むこと」について開眼した。

「ああ、踏むとはこういうことだったのだ。」



大気が真っ二つに割れるような新しい感覚を得て、足圧ではなく、つまり「足で圧をかける」のではなく、「本当の踏む」というものに私は目覚めた。

そして「本当の踏む」という原点に立ち返ったことで、それまで培ってきた丹田の存在や軸の運動などの技法が加味され肉となり、本当の踏むの延長に丹田と軸の活用を踏まえた様々な型のバリエーションがでてきて、最終的に数年がかりで「丹足法」を創り上げた。





思うに人は小賢くなりすぎているのだろう。

己の命を賭けて獲物を追う時逃げる時、体は全ての能力を開放し、自ら然るべき運動を行う。誰に教えられなくとも。何も難しいことを考えなくとも、チーターもインパラも己がもっとも強く美しく躍動する技法を体得する。

まず命を賭けることだ。理論は後からつけるものだ。

生きるか死ぬかの瀬戸際に立った時、そういう状況が続いた時、そしてそこに終わりが見えない時、エレキが落ちることがある。必ずしもエレキが落ちるとは限らない。エレキが落ちなければそのまま死ぬかもしれない。でも落ちれば革新が手に入る。


こうして足圧は丹足に生まれ変わった。




つづく。








三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・四股500丹


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# by wagoichi | 2017-05-22 14:34 | 人生



「原点が導くこれから」という感じでしばらく探り書きです。

by 三宅弘晃
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