照千一隅への道のり

<   2017年 05月 ( 12 )   > この月の画像一覧

近頃の私(5/25)


e0359411_19264449.jpg



前日の休みの日にいただいた甘鯛のお吸い物が、美味しすぎて悶絶した。


今日はようやく『丹足教則本』に着手しはじめることができた。

まず「丹足とは」という章の原稿を書いている。型の解説ページなどは初心者の人にもわかりやすくイラストもふんだんに使うが、「丹足とは」は読んでみて目から鱗!な思う内容になると思う。まさに門外不出の教則本にふさわしい内容になるだろう。

新会員の皆さん、楽しみにしておいてください。

しかし時間との格闘が続く。気分は司馬遼太郎、と言ったら司馬先生に怒られるか。



紙鳶が少し体調不良。

ここしばらく体調がすぐれなかったので、今日の仕事上がりにすこし踏み込んで施術をしてやった。施術後は想定通りふらふらになって帰宅した。無理に早く回復しなくてもいいから、ちゃんと乗り越えて良くなってほしい。

「丹足普及協会・千照館」への先行入会案内を今日送付する予定だったが、このような事情で明日に延期します。待ってもらっている皆さんにはご迷惑をお掛けしてしまうが、どうか明朝までお待ちください。




そんな悶絶の中で参尽が奮闘中。

道着にプリントする千照館の書体を、何度も何度も書き直し、ようやく完成にこぎつけた。誠にお疲れ様である。

丹足教則本のイラストも次から次へと描いていく。そんな中でもブログは毎日更新中。私も「ほぼ毎日」で4年やったことがあるが、なかなか大変なものです。もちろん日々の施術もしっかりある。

さすがに最近は慢性的に眠そうだが、今が頑張り時だと自分を奮い立たせる日々!





休むときは休んだらいい。助けが必要な時は助けを求めたらいい。

ただし弱音を吐かない。愚痴を言わない。

周りへの感謝を忘れない。



そうすれば大抵のことは乗り越えられる。










三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・四股300丹
・木刀200丹


[PR]
by wagoichi | 2017-05-25 19:43 | 日常

千年の第一歩


今日薬師寺に行ってきたと紙鳶から連絡があった。西岡常一棟梁の建てた西塔にご挨拶に行ったのだと思う。


e0359411_17252440.jpg




一昨日、新しい千照館の一般社団法人設立調印式を行った。

社員・理事になる面々が一堂に会して、国に提出する定款への押印を行った。この後、公証人役場、法務局での手続きを経て正式に設立となるそうである。

帰ってその時の様子を妻に話したら「結婚届けにハンコ押すような雰囲気やったんやね。」と言ったが、まさにそのようなものだったかもしれない。なかなかに重いハンコだった。




一転なごやかな結団式では、ご馳走を囲んで各々が色々な話をした。豪快に酒瓶が空になっていく中、私は千照館の名前に何を込めたかを話した。その中で「千」という字には、この西岡常一さんへの敬意と挑戦の意味があることをお伝えした。

法隆寺宮大工口伝に「塔組は、木組み。木組みは、木のくせ組。木のくせ組は、人組。人組は、人の心組み。」とあるそうだ。真っすぐな木を組むよりも、右曲がりの木と左曲がりの木を向かい合わせに組む方が強度がでることもある。癖のある木それぞれに強みがある。だから千年持つのだと。人も同じだという。

法隆寺の解体修理で千年間失われていた飛鳥の技法を学び、またおそらく失われるであろうその技法を千年後に託して建てられた薬師寺西塔を見るたびに、私は「よし」と気合が入る。

すぐ最近まで、すぐ近くに、千年単位で人の世を思い続けて仕事をした人がいたのは事実である。知ってしまった以上、私はそこから目を逸らして生きていくことはできない。




全体写真を撮り忘れたので(いつも撮り忘れるので今後は互いに注意)、簡単にメンバー紹介を。

e0359411_17540891.jpg

赤松先生。


e0359411_18302622.jpg

山田良さん。


e0359411_17521356.jpg

井本亜紀さん。


e0359411_17521955.jpg
紙鳶と参尽。


e0359411_17521638.jpg

長年応援して下さり、今回立ち会ってくださった稲津先生。

e0359411_17520628.jpg
たーさんこと井本忠男さん。



まあ癖のあるメンバーが揃ったと思います。(ん?あんたが一番癖あるって?)

ええ、揃えたのは私です。



私の眼を直視して話をしてくれる人、あかんことはあかんと言ってくれる人、自分のためじゃなく、私がやろうとしていることの為、周りの人の為に私とケンカ出来る人、それでも最後まで一緒に歩んでくれる人、を集めました。





社会が丹足を必要としています。

そしてこの丹足を残してくれたことに感謝する千年後がきっと来ます。



この大事業を推し進める為に、これから沢山の癖のある木を束ね力を寄せていかねばなりません。

その第一歩として、毛の生えた心臓が鼓動を始めました。


e0359411_17264992.jpg

来たる6月1日、正式に「一般社団法人 丹足普及協会・千照館」の設立です。












三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・階段四股100丹
・四股400丹


[PR]
by wagoichi | 2017-05-24 18:22 | 協会

その12.エレキにビビッとやられて


小学生の時、近所で柴犬が生まれたというのでもらってきた。ランと名付けた。

ランはその後19年間生きてくれた。病気もほとんどしたことがない。まったく健康で賢い犬だった。

ランの健康の秘密は二つあり、一つは粗食、そしてもう一つは毎日のジョギングだった。散歩ではない、名前の通りランだった。この連載の初期の頃に書いたが、父や私と一緒に野山を毎日3~10キロ程走った。とにかくよく走った。



思えば私は昔から生き物の体に興味があったようだ。子供の時にランをよく観察して、色々なヒントを自分の中に蓄えてきたことを、今更になって気付くことがある。まさか当時は整体師になるなど夢にも思ってなかったが。

例えばランの走り姿はとても美しかった。よちよち歩きの子犬でもらわれてきて、誰も走り方など教えていなかったのに、とても理にかなった美しい走りだった。ランは昼間も庭で放し飼いだったが、野生動物や野生に近い状態で飼われている動物はすべからく走り姿が美しい。

私は当時陸上部に所属していたので、マラソン中継などはよく見た。当時は瀬古俊彦さんや宗兄弟がトップランナーだったが、宗兄弟のあの首を傾げた走りは子供心にも不思議だった。どうして首を傾けて走るんだろう。シマウマやライオンでそんな走り方をするのがいるだろうか。。。

野生動物の動きは、皆が完璧に近い合理性と美しさを感じさせるのはなぜだろうか。




そろそろ丹足の話をしよう。


前回に「整体はしんどいものか」という疑問を抱いたことは書いた。奉仕的労働ではなく、相手を癒しながら自分自身も強く美しくなっていくような整体を模索したいと思ったことも書いた。私は日々の整体活動の中で、あるいはそれと並行して、「強く美しい整体」の在り方を模索し続けてきたように思う。

その際に重要な役割を果たしたのが、姿勢と呼吸の研究である。研究の為に、バリ舞踊、フラメンコ、フラダンス、ジャスダンス、日本舞踊、ベリーダンス、ヒップホップ、社交ダンス、エアロビクス、よさこい、古武術、能、などなどを仕事の合間にできるだけ見に行ったことは以前に書いた。

面白い所では「湯もみ」などもわたしの研究対象になった。今YOUTUBEで見ることができる湯もみは現代人の体による湯もみだが、私の頭の中では大正以前の日本人の体で行ったであろう湯もみが想像再生される。そういう昔の運動も研究対象になった。

しかし当時はあくまでも「足圧」とは切り離したところで、姿勢や運動などの研究していたように思う。




「エレキ」というべきものがあるのかもしれない。

例えばエビがどんどん肉をつけ成長していよいよ殻が窮屈に感じた時、全身にビビッとエレキが走る。決して計画的に手順を追って脱皮していくのではなく、エレキが走ってビビッと、これはたまらんと、雷が落ちて反射的に家を飛び出すのと同じ感覚で、エビは反射的に脱皮に動きだす。

いや、本当の所はエビに聞かないとわからない。わからないが、私はそういうものだろうと想像するだけの話。

何の話かと言えば、生命活動の革新にはかならず「エレキ」が必要なのではないだろうか、という話である。古来より宗教家が激しい修行の中で「悟りを開いた!」というのは、まさにあれもエレキの一種だとみていいと思う。




足圧が丹足に生まれ変わるについて、奇跡的に幸運で、決定的に重要な要素があったように思う。

当時の私は猛烈に忙しかった。朝の9時から夜中の11時までぶっ通しで施術していた。お盆と正月以外に休みは無かった。それでも仕事をこなしきれず、新規予約は最長7か月待ちまでいった。そんな生活を何年も続けていた。

施術中に意識がぶっ飛んだこともあった。皆さんも一度試しにやってみたらいいと思うが、14時間休憩なしで人の体を揉み続けてみたらいい。それを何カ月も毎日続けてみたら、人間どうなるか。。。。


とある日、慢性的に体が重く、何ヶ月か続いていた微熱も、この日はあからさまに発熱していた。体の節々も痛い。腰は硬く重く痛覚がない。意識は朝から朦朧としている。でも目の前には助けを求める、大きくて硬い体の人が寝ていた。

もうその時はさすがに「ごめんなさい。無理です。」と言おうかと思った。そういってその場に倒れられたらどれだけ楽だろうと思った。でもこの施術を後回しにしては、その人は次にいつ予約を取れるかわからない。予約表には数か月先まで一寸の隙間もなかった。

「もうどうしようもない。どうしようもないまま、先を考えずにやるしかない。」と踏み続けた。今日の施術を受けることを何カ月も楽しみにやって来た人だ。こんなに体が硬くなってはさぞつらかったろう。さぞ待ち焦がれたことだろう。(でも実は俺の方が辛いにちがいないんだけど。。。。)

やらなくちゃいけない。逃げちゃいけない。できない言い訳をしてごまかしちゃいけない。プロのプライドにかけて。でも体がいうことをきかない。意識ももう。。。



その時エレキが落ちてきた。


エレキが私の体を貫いて、突如として私は「踏むこと」について開眼した。

「ああ、踏むとはこういうことだったのだ。」



大気が真っ二つに割れるような新しい感覚を得て、足圧ではなく、つまり「足で圧をかける」のではなく、「本当の踏む」というものに私は目覚めた。

そして「本当の踏む」という原点に立ち返ったことで、それまで培ってきた丹田の存在や軸の運動などの技法が加味され肉となり、本当の踏むの延長に丹田と軸の活用を踏まえた様々な型のバリエーションがでてきて、最終的に数年がかりで「丹足法」を創り上げた。





思うに人は小賢くなりすぎているのだろう。

己の命を賭けて獲物を追う時逃げる時、体は全ての能力を開放し、自ら然るべき運動を行う。誰に教えられなくとも。何も難しいことを考えなくとも、チーターもインパラも己がもっとも強く美しく躍動する技法を体得する。

まず命を賭けることだ。理論は後からつけるものだ。

生きるか死ぬかの瀬戸際に立った時、そういう状況が続いた時、そしてそこに終わりが見えない時、エレキが落ちることがある。必ずしもエレキが落ちるとは限らない。エレキが落ちなければそのまま死ぬかもしれない。でも落ちれば革新が手に入る。


こうして足圧は丹足に生まれ変わった。




つづく。








三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・四股500丹


[PR]
by wagoichi | 2017-05-22 14:34 | 人生

その11.整体はしんどいものか


どういういきさつで「足圧」が「丹足」へと生まれ変わったのだろうと、今考えている。

私が桜井寛先生から習得したのは正真正銘の正統なる「足圧」だったのに、それがいつのまにか「丹足」に進化した。

断っておきたいのは、私は一度だって「足圧を改造したい」と思ったことはない。新日本延命医学療法の技術の粋がこめられた足圧法を私は大事にしてきたし、大事に思うからこそわごいちの施術でも一貫して足圧、今は丹足を活用し続けている。

大事に大事にする中で、いつの間にか、その大事なものが新たな価値を秘めたものに生まれ変わっていた、そういう感じがする。

考える中で「きっかけ」らしいものに思い至った。ここから芽生えたのかとおもうタイミングがあった。それはあまりにも意外なタイミングで自分で少し驚いた。それはまさに、足圧に出会ってすぐのタイミングだったのだ。




桜井先生の元で修行をしている時、毎回桜井先生は私の足を足圧された。「こうやるんだ」と実際に先生の手本を我が身に受けて、自分の体でその作用を理解するためだった。

なにせ二人きりの修行である。受けて感じて、踏んで指摘されての繰り返しである。何度も何度も桜井先生の足圧を受けた。

当時の私は今より数キロも太っていて、むくみもきつく、筋肉も硬かった。だからさしもの桜井先生もずいぶん苦戦されて、息を切らしながら「かたいな。かたいな。」と言いながらほぐしてくださったものだ。

それでも足圧でほぐれた感覚を私に感じさせようと一生懸命ほぐされた。あるいは治療家の本能として、目の前の硬い足に必死になったのかもしれない。とにかく本気で必死でほぐされた。

「申し訳ない」「ありがたい」「頑張って覚えよう」と私が思ったのは言うまでもない。しかし今でもこれははっきりと思い出せるのだが、一抹の疑問が芽生えたのである。

「ほぐすって、そんなにしんどい思いをしなくちゃあかんのやろか?」

ほぐしてもらいながらそんなことを思うのは誠に不遜な気がするが、その当時の私の疑問はどちらかというと、素朴な幼児がもつような無垢な疑問であったように思い出される。


人をほぐすという行為は、しんどいことなのだろうか。




確かにほぐし難い体というものはある。ほぐし難い体をほぐすは、そうでない体よりも難しいのは事実である。しかしだからと言って、ほぐし難いからと言って、しんどい思いをしてほぐさねばならないものであろうか。

整体を奉仕と捉えるか、という見方もできると思う。

整体が奉仕であるならば、自分のことを多少なりとも犠牲にして相手に尽くすことも必要かもしれない。相手が楽になれば自分がしんどくなったり、体を痛めたりしても仕方がない、そういう仕事である、という考え方もあるかもしれない。


しかし私はそういう考え方には与しない。


汗をかき、息を切らしてほぐすことで、少なくとも相手には「これだけ一生懸命尽くしましたよ」というPRにはなる。それで満足する人もいるかもしれない。しかしその汗と、整体の意義なるものにどの程度関係があるのだろう。

私個人的には、「硬いですねえ。鉄板が入っているみたいですよ。」と言いながらグイグイ押す整体師は好みではない。「人をほぐしてたら自分の体がぼろぼろですわ」という整体師も同様である。そこに整体の美しさを感じることが、私にはどうしてもできない。

整体は奉仕ではない。奉仕にしてはいけない、私は強く思う。しかし奉仕ではないけれども、しっかりとほぐしてあげることは大事である。奉仕でないからと言って手を抜くのは違う。しっかりとほぐす。しかししんどい思いをしてほぐすのは違う。

そこを考えることに意味はあると思う。

私は思う。

整体の美しさとは・・・美しくないものは力がない。美しいものこそ力がある。力は美しい。整体を続ける中で、いつしかそんなことを考えるようになった。



私は整体の世界に入りたての修行時代すぐに「整体ってしんどいこと?」という無垢な疑問をもったようだ。この疑問はその後ずっと私の整体の醸成に重要な役割を果たしているように思う。もちろん丹足の発生にも間違いなく大きな意味を持っている。

とにかく私は整体を奉仕とは考えなかった。一人を救うために、一人が傷んでいくのはおかしいと思う。やればやるほどくたびれていくのではなく、やればやるほど自分も強く美しくなっていくような整体を作っていきたいと段々思うようになった。

その方策をなんとか見つけ出したいなと、ほぼ深層心理の世界で、つまり頭ではなくハラの中で、おそらくごくごく初期の段階で私は考え始めたのだと思う。それが足圧が丹足に生まれ変わるトリガーになったのではないか、そんな風に思いだされる。





引き続き、次回にもう少し考えてみる。



















三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・四股500丹



[PR]
by wagoichi | 2017-05-20 21:26 | 人生

乗り越えて仲間になる


船場(ほぼ大阪の本町駅界隈)に「白樺」という老舗の喫茶店がある。私は気持ちが昂る時、この白樺のお母さんの笑顔で自分をなだめる習慣を持つ。

白樺のお母さんは、船場で生まれ、船場で育ち、船場で喫茶を生業としてきた。文字通り船場の生き字引と言える人。

「昭和45年にセンタービルが出来た頃くらいはホントに活気があって、朝はいつも馴染みの商売人の男の人たちがコーヒー飲みながら喧々諤々とやってましてね、いい時代でしたよ。」

そんなお話を聞きながら、極上のネルドリップの珈琲をいただく。





e0359411_09323625.jpg


そんな商人の集う「白樺」が、全面禁煙に踏み切った時は驚いた。何しろ煙草吸いのおっちゃん達の聖地ともいえる店であったのだから。よく思いきられましたね、と言うと、

「まあ覚悟はしてましたけど、随分お客さんは減りました。でもそれでも来てくださって、タバコ吸いたいときだけ隣のたばこ店に移動してくださるお客さんも居たり、喜んでくださるノンスモーカーのお客さんも居たりで、思い切って決断してよかったなと思っています。」

とコロコロと笑われる。

「同時に思い切って空調も新しいのにしたんです。そしたら店の空気がいっぺんに良くなって、気持ちいいんですよ。」

とまたコロコロ。

傍目には和やかであるが、この立地でこの客層での決断は相当な覚悟が要ったはず。この怖さは自営業をしてみないとわからないだろう。

「お母さんは、いわゆるファーストペンギンですな。」

と言うと、

「私のところが4月1日から禁煙を始めました。噂では淀屋橋で有名な平岡珈琲さんも4月20日から始められたそうです。ちょっとの差で、私のとこがファーストペンギンです。」

とまたコロコロ。


八十うん歳にしてこの挑戦。

まったくあっぱれなお母さんである。







変わるという事は痛みを伴う。新しいことを始めるのには勇気が要る。痛みを乗り越える気力が要る。

これまで様々な「新しいこと」に挑戦し生み出してきた私にとっても、今回の挑戦は過去にない試練が続く。過去にも痛みはつきものだったが、今回はまるで新しい船出を邪魔したいかのような出来事が散発する。

私個人への試練ならもう慣れている。しかし今回は私の協力者達へ矛先が向いているような気がする。



私は周りを見守り、時に言う。はじめから何事もできる保証はない。いや出来ないから、挑戦するのだ。挑戦して乗り越えてちょっとだけ強くなった自分に自信を持つ。その繰り返しでのみ人間は成長していくことができる。

「困難は逃げると苦難になる。向き合うと試練になる。試練は乗り越えることが出来るが、苦難はいつまでも追いかけてくる。」

これは私が自分で学び取った人生哲学である。

乗り越えていく中で力を付け、我々は一歩一歩仲間になっていく。はじめから仲間ではない。苦楽を分かち合いながら本当の仲間になっていく。




e0359411_17560958.jpg


法人の印鑑が出来上がってきた。

仲間になれるかどうか。


逃げたら終わりだ。















三宅弘晃


080.gif今日の丹練
・重刀100丹
・四股400丹


[PR]
by wagoichi | 2017-05-19 17:59 | 協会

近頃の私(5/13)


色々なことが動いている。

色々と面白いことが起こっているので、備忘録がてら皆さんと共有します。




☆一般社団法人 丹足普及協会「千照館」

あおぞら司法書士事務所さんのご指導の下、一般社団法人の「定款」なるものを作っている。人生初めての経験である。

5月22日に定款への社員調印式を行い、公証人役場なるものに登録などを経て6月1日に正式に法人設立となる。「定款」後は「会則」を作ったり、併せて組織体系を作ったり、会員受付手続きの準備をしたり、稽古着を製作したり、丹足教本を作ったり、段級試験の詳細を詰めたり、、、、

絶対に間に合わないのは間違いがないので、走りながら優先順位を付けて形を作っていくしかないのだろうと思う。

そんな中わごいちで10年来のお付き合いの司法書士の稲津先生が、バンビのようなうるうるした美しい瞳で「先生、着々と夢を形にされて行っていますね。」と言ってくださったことが励みになった。

日々精一杯に頑張るのみ。




☆稽古着

丹足稽古の服装はどんなものを着たらいいのか、はじめての皆さんが悩まれる。確かに丹足を受ける際には、ポリエステルのズボンだとツルツル滑って踏みにくい。それならいっそ道着として「踏む際に動きやすく、踏まれる際に滑らない」丹足道着を作ったらどうかと理事会で決定した。

昨日より「直伝!丹足集中セミナー」生の皆が道着製作の相談を始めている。

ちなみに道着はこんなイメージ。(絵的センスについてはご自由につっこまれたし。)

e0359411_18341294.jpg
このカッコよくないイラストをきっとカッコよい実物にしてくれるはずです。

と、プレッシャーを感じながら、楽しくやってください。






☆丹足教本

丹足教本を作ろうと思っている。非売品で、新しい協会の会員限定で配布する。

ようやく今日「目次案」に着手できた。こんな方向性。


e0359411_18332646.jpg

まず「入門編」をつくる。上級者が出てきたらより詳しいのを作りたいと思う(何年後かな)。丹足のこと論理的にわかりやすく、かつ実用的な教本にしたい。この世に他にないエッセンスの詰まった本になるはず。

この本の担当は、私と参尽。仕上げの製本は有志でパチパチとしようかな。

問題は、これだけの内容が6月1日に間に合うかどうか!だ。





☆組織体系つくり

一般社団法人の組織体系は、法律でいろいろと条件が定められている。無法者の私にとっては片腹痛いことだが、今回は5000歩譲って法律を遵守しながら組織を作っている。

ちなみに一般社団法人には「社員総会」の設置が必須とある。株式会社の株主に当たるそうである。株主であるが、利益は出ても配当はもらえない。権限だけあり、責任もあり、配当はもらえない。こんな割に合わないことに心意気だけで挑もうという人たちが「一般社団法人の社員」だと私は理解している。


その下に、管理運営機関として、理事会を置く。会社で言う取締役会に当たるらしい。

制度上は社員も理事も報酬をもらうことはできるが、しばらくは報酬なんて出ない。皆で頑張って会員を増やして、賛助金などの協力を求めて、まずは最低限の運営費を出せるところまで行き着くのが当面の目標だ。(そういうが楽しいと思うのは私だけだろうか。)


一応、超概略な組織図を書いてみた。また詳しくは後日ちゃんと書くと思う。(今日はこれでご勘弁!)



e0359411_18562488.jpg

現状の千照館は、この図の「道場会」にあたる。さらに新しい千照館には「普及会」という新しい活動組織が加わる。道場会員は普及会活動にも参加してもいいし、しなくてもいい。任意である。

逆に普及活動だけ参加するのも可能である。例えばフライヤーを作ったり、配ったり、ホームページを作ったり、ワークショップの受付などの事務をしたり、そういう普及活動を想定している。

1から試行錯誤である。実際に動き出してから、修正や変更を繰り返しながらだんだんとよい形になるだろう。






☆新会員受付

そろそろ新会員受付の開始をしたい。現千照館の門人、あとは4,5月の体験会に参加した人たちに案内を送る。

入会したい人は今月中に忘れず手続きをされたい。そうすれば現門人は全額、新規会員は半額、入会金が免除になる。はじめから共に!という意気込みに対する協会からの気持ちである。

案内以上の勧誘はしないから、興味のある人が入ってくれればいい。協会の理念に共感する人を待っている。




☆今後の方向性

丹足は踏むほどに上手くなるし体も強くなるから、稽古日を増やしてさらに月に何度でも参加できるようにした。外でどんどん体験イベント活動をして丹足を知ってもらい、会員を増やしていったら、稽古日もどんどん増えていく。

そうすればわごいちの間借ではなく、常設の道場建設が現実味を帯びてくる。

また外に出るばかりではなく、道場でちゃんと教育をして、認定丹足トレーナーが増えていけば、日本各地に丹足道場を広げていくことが出来る。日本中に丹足が広がる。

「大きな話ですねえ。」

とこの話を聞いた人がいう事があるが、私は大きな話だとは別に思わない。一つ一つの取り組みを協会の会員で力を合わせてやり遂げ、コツコツと実績を積み上げていけば、自然な流れで実現する話だと思う。はじめは試行錯誤でもたつくかもしれないが、加速しだしたら一気に進むだろう。

丹足にはそれだけのポテンシャルがあると私は思っている。




☆段級試験と資格認定試験

これは、ちょっと今は現実逃避しておきたい。試験を受ける皆さんも大変かもしれないが、級ごとの合格基準とか審査方法とか免状とか、そういうことを考えるもの意外に大変なものです。

やっぱり皆さんの努力をはかるもの、場合によっては未来に関わるもの、そしてこれからずっと続いていくベースになるもの、前例がない新しいことを始めるというのはやっぱり大変ですが、だからこそやり甲斐がある。しかしまだその前にやることが山ほどある。

というわけで、もうちょっとこの仕事はお蔵に入っていてもらいたい。


ああ、今思い出したがホームページ。大事なのはわかってはいるけれど、優先順位を付けてやっていくしかない。

まあはじめはそんなもんだろう。





e0359411_20553477.jpg
それぞれの一日の役割を終えた後の、ささやかな一杯。




ざっと書いたけど、今はこんな感じで社員一丸となって走り回っている。

これからセミナー生を中心に、段々と協会全体の動きとなっていくのだろう。



まだ書けないけれど、私個人のでっかい挑戦(これは本当にでかいこと)もこれから。

あぁ生きているねえ。









三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・四股500丹


[PR]
by wagoichi | 2017-05-13 19:33 | 日常

豆の教え


空豆を見ると、祖母きみを思い出す。

人生に「生き甲斐」を問い生きることを教えてくれた祖母きみ。毎年春に空豆を見るたびに、自分の生き方を問い直す。あれから私の人生は着実に変わってきている。


「先生、このまま行かれたら、大変なことになりますよ。覚悟はおありですか。」


と最近、問うてくれた人がいる。今こうして大阪の片隅で穏やかに整体だけをしている生活が、大きな渦の中に放り込まれるような未来が待っているだろう、とその人は言う。

「ハラの大切さを世界中の人がもっと知るようになるのなら、望むところですよ。」

と私は応えた。





今、私はとても穏やかで幸せな毎日を過ごしている。

多くの人に愛され、信頼されて暮らしている。これほど満たされた人生はなかなかないだろうと思う。



しかし常に心のどこかに気がかりと、不完全燃焼感が拭えずに存在する。

自分はやるべきことをやり尽くしていると言えるだろうか。このままこの社会が進むのを傍観していていいのだろうか。このまま私が死んだらハラ文化は遺るだろうか。



やるべきことがあるならば、やらねばならない。それは人の為だけではなく、自分自身の生き甲斐の為にも。

例え、穏やかな日々が失われていくとしても。。。




e0359411_15135913.jpg

昨夜祖母きみの娘、つまり私の母が家に来て、えんど豆の皮を剥いていた。

私と妻が仕事で家を空ける時、母は娘の面倒を見にやってきてくれる。昨夜は母と娘と私の3人で過ごした。


「最近忙しいみたいやけど、何かしているの?」


と母が訊くので、「あちこちの家庭で丹足で踏み合えるような社会を目指して、仲間と一緒に協会を作っていくねん」と話したら「それはとてもいいなあ。」と言ってくれた。母は長年介護ヘルパーの仕事をしている。




わが母は少し面白い人で、何でもとりあえずかじってみる癖がある。ミカンを食べる時も皮をかじって少し食べる。「農薬ついてるで。」と言っても「ちょっとくらい大丈夫よ。」と取り合わない。

以前、天王寺動物園に行ったときに、コアラ館の前にユーカリの木が植えてあって、「ユーカリの葉には毒があります。」と書いてあるのに、わざわざかじってみる母にはさすがに言葉が出なかった。


昨夜は頂き物のえんど豆を持って帰ったところ、早速剥きだし一つ生でかじる母。「苦い~」と言った後、私に向かって「食べてみ」。でた!得意のまきぞえパターン。断るととてもしつこいので一粒食べる。「苦い~」。で娘に「食べてみ」。親から子、子から孫への儀式の伝承!?

娘も果敢に挑戦して「苦い~」。はっはっはと笑い合う、アホなババ、父、娘。




「こういう時間がいいんやなあ。」


母がポロっと言った。

はっと思った。自分の心の奥底の躊躇が露わになり、そして解消していくのを感じた。



私は今、確かに穏やかで幸せに暮らしている。しかし同時に、日常を疎かに過ごしている自覚もある。この平和が続くという前提に甘えている自分を感じている。もったいないことをしているという自覚がある。その上でこの生活に執着している自分が居る。

これでは駄目なんだと、言われたような気がした。



「生き甲斐を大事に生きろ」と言い遺した祖母きみ。その狭間の何気ない日常を慈しみなさいと伝えてくれる母美智子。大事に生きるからこそ、日常がより愛おしくなる。日常を愛する人間だからこそ、大事が為せる。ひと時ひと時に感謝して大事に生きなさい、と言われた気がした。

祖母と母に心の中で頭を下げた。



もう迷うことなく、前に進むことが出来る。

空豆とえんど豆が見守ってくれることだろうと思う。











三宅弘晃

今日の丹練
・四股500丹


[PR]
by wagoichi | 2017-05-12 16:08 | 人生

型稽古の醍醐味



期間限定の「直伝!丹足集中セミナー」も後半戦に突入した。

本セミナーでは一貫して「型」に基づいた指導をしている。



丹足トレーナーのミッションは、「正しい丹足を体得した上で、踏み合う楽しさを伝える」ということになる。

これまでの千照館稽古でも型は伝えてきたが、しかし徹底はしてこなかった。門人の人たちが我々指導者と同じに踏めるわけがない。だから多少型が崩れていても、その人なりの特徴を生かして楽しく踏むことが出来ればいい、という指導をしてきた。これまでの千照館はそれでよかったのだ。

しかしそれは指導を受ける側の話であって、指導する側になると話は変わる。




そもそも「型」は何のためにあるのか。

型には色々な意味があるが、今日はそのうちの1つだけ書いてみたい。それは「道筋をつける」というものである。


正しく型を実現しようと思えば、理論を知っておくだけではなく、その型を実現できる体を作っておかねばならない。丹足の場合であれば、ハラを中心に重心を低く保ちながら、粘り強く足腰を動かすことができる体でないと、正しい型は実現できない。

「私はこういう形のほうが踏みやすいの」でもいいのだが、それは未熟なその人の体に合った形であって、丹練された体が産み出す型には比べるべくもなく、丹足の本当の効力を引き出すこともできない。厳しい言い方をすれば「もどき」なのである。

丹足の正しく美しい型を実現するためには、普段からみっちりと四股を踏んで自分の体を鍛えることが必須になる。さらに稽古に参加して指導者の型を見てその動きを繰り返し自分の体に叩き込む、そういうプロセスが必要となる。

このプロセスに道筋を付けるのが、型の意味のひとつと考えることができるはずである。


まずセミナー生には毎日四股踏み300丹は必須と言ってある。

「型」を作り上げるには一朝一夕にはいかない。

だから型には価値がある。人を惹きつける美しさが宿る。






e0359411_15372584.jpg


かと言って、体験会に参加した素人さん達に「これが本当の丹足の型だ」と押し付けても何にもならない。まずは気持ちよく踏むこと。踏み合うこと。その楽しさを感じてもらうこと。はじめは楽しさが一番大事である。

でも「教える相手が素人だから自分もレベルが低いままでいい。」というのは絶対に違う。自分自身をたゆまず高めていきながら、指導の際には相手の立場に立って分かりやすくかみ砕いて導くのが、指導者の力量だと私は思う。

「本当は丹足はこうやるんだけどね、最終的にはこれを目指してほしいんだけどね、まあまずは難しく考えないでこうやってやると上手くほぐれますよ。」

というふくらみのある指導をできるような人材を育てたいと思ってセミナーをしている。



e0359411_16052935.jpg



認定試験は6月25日の夕刻から。

たかだか3ヶ月ですぐに結果が出るとは思っていない。それでもコツコツ丹練すれば必ず型が見えてくる。


いい意味で期待を裏切ってくれる人がいればいいな。









三宅弘晃


166.png今日の丹練
重刀100丹
四股400丹



[PR]
by wagoichi | 2017-05-11 16:11 | 整体

その10.燕雀安くんぞ


開業後まもなく、私は「ゴスペル教室」と「インド舞踊教室」を始めた。

「なぜ整体院がこんな文化教室をはじめるんだ。」と言われたこともあったが、私は何とも思わなかった。わからん奴にはわからない。「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」である。



桜井先生から学んだ丹力には「内臓マニュピレーション」「足圧」という実技に加えて、「ハート呼吸法」「バーズ姿勢法」という理論があった。丹力への理解を深めたいと考えた私は、ゴスペルを通して呼吸法を、インド舞踊を通して姿勢法を研究しようと考えた。学術書やセミナーを受講するだけが研究ではないと私は思っている。

実際にゴスペルは非常に呼吸法の研究に役立ってくれた。約10年、真剣に発声練習をしながら研究に打ち込む中で、どうやったらより楽に大きく息を出し入れできるか、肋骨運動を向上させることが出来るか、そして内臓を引き上げることができるか、ということをメソッドとして確立することが出来た。

思わぬ副産物として声はとても響きある良い声になって、当時普通に話していると「歌手ですか?」とよく聞かれるようになった。しかし残念ながら私は音痴だった。



インド舞踊の方は、雇ったインストラクターの先生とケンカして教室は無くなったが、代わりにできるだけ色々なジャンルのダンスや伝統芸能を見に行って姿勢と動きの研究をした。

バリ舞踊、フラメンコ、フラダンス、ジャスダンス、日本舞踊、ベリーダンス、ヒップホップ、社交ダンス、エアロビクス、よさこい、古武術、能、などなど。。。機会があればできるだけ見に行った。時に体験もしたけれども、舞踊の場合は主に観察研究をした。

舞踊を見る時、徐々にハラと軸をみるようになった。どんなジャンルであっても、熟練者は必ずハラから動きが発し、ハラに動きが終息することが分かってきた。5体の動きの拠り所となるのが軸であり、ハラから生まれたエネルギーは軸を経て5体に放出され、また軸を経てハラに収まる。そんなことが段々と見えるようになってきた。



そう、おわかりだろうか。この研究が今の丹足に繋がってきている。

といっても書くのは簡単だが、やるのは難しい。それ以前にこのメカニズムを感じ取るのがまず難しい。私が見てきたダンサーたちもほとんどがそこで行き詰っていて、トップダンサーとの差を埋められていなかった。なぜ埋められないのか、それさえもが見えていないように見えた。ハラと軸が肝心なのだ。でもそれが感じられないのだ。



このように、歌と踊りの世界から私は多くのことを学んだ。

なぜか私には核心を感じ取る感覚があったようで、これらは丹力の教えにもないものだった。じーっとダンサーの動きを観察する中で、黒人ゴスペルシンガーの歌う姿を観察する中で、人間の体のメカニズムの全貌と核心が見えるようになっていった。我ながら面白い能力だと思う。


しかしこの能力が、ひとつの悩みを生み出した。

それは当時「完成品」だと思っていた丹力の呼吸法や姿勢法の理論に、まだまだ研究と改善の余地があることを否定できなくなっていったのだ。しかし整体師になってわずか3,4年の人間が、30年以上やってきた先生に異を唱えていいものかどうか、すごく悩んだ時期があった。

先生と会食をしているときに、2度ほど意見具申をしたことがあったのだが、先生は否定はされなかったがそのまま進展もなかった。私は弟子ではない。しかし先生に恩義がある。発見の共有というお返しをしたい。でもそれはおこがましい。しかしどう考えても先生の先の世界が見えてきたように思えてならない。

それを伝える関係にはなかった。桜井先生は永遠の恩師であってそれは揺るがせてはならなかった。



いまから思えば、私は無邪気だった。変わるということは、成長するということは無条件で喜ばしいものだと思っていた。

これは素晴らしい、ものにしたい、そして乗り越えたい、そういう一心で修業をしている時は、春を謳歌する幸せに包まれている。乗り越えた、と思う瞬間は夏の盛りのような火照りを覚える。しかしその後は秋の別れと冬の孤独が待っているということを知らなかった。



迷いに迷って私は決意をした。

これからもこういうことはあるだろうが、傲慢と言われようが乗り越えて進んでいこうと。孤独にひるまず前へ前へと進もうと。それが私の人生だと。











つづく





三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・木刀200丹
・四股100丹


[PR]
by wagoichi | 2017-05-09 20:40 | 人生

その9. 修行は愚直なるべし


桜井先生の元での修業は、愚直そのものだった。「違う」「こう」とだけしか言われない反復練習を繰り返しながら、少しでも先生のほぐし方に近づけるように挑み続けた。

マンツーマンで1日4,5時間。親指の付け根が腫あがって軽く触れただけでも飛び上がった。そうなると先生が少し揉んでくださって、その後また練習を再開する。仏か鬼かわからない先生だった。

帰り道、自転車のハンドルが握れなくて、グーをハンドルの上に乗せて運転をした。ブレーキは握れないから足で止めた。家のチャイムもグーで押した。ドラえもんの気分がよく分かった。そんな修業生活を数か月続けた。

修業が終わった時に、それでも「君の手はまだできていないから、ハラを揉むときは指を使うと危ない。これから1年間は手の平で揉みなさい。」と言われた。

開業して間もないころは施術効果を出したくて焦ったが、それでも指は一切使わず手の平だけでほぐし続けた。グーがパーに変わっただけで、指は相変わらず使えなかった。不便極まりなかったが、ちゃんと1年間、先生の言い付けを守り続けた。

結果としてはそれが良かった。

「もうちょっとこうやればうまくできる」という近道をついつい人は考えるものだが、修行に近道はいけない。まず初めに体を作ることが大事なんだ。手や体が出来てない素人の考えなど、まずい味噌汁に化学調味料をいれてごまかすようなもので先がないんだね。

あの時に指を使ってしまっていたら、私も世の整体師と同じく小手先の手技になってしまっていたかもしれない。



今、千照館でも「丹練」を推奨している。毎日四股を踏もうと言っている。何回やるか、どのくらいの負荷をかけるかは本人任せだが、毎日みっちりと四股を踏んでいる人間はやはり違ってきている。

愚直な丹練をしないでは、たちまち頭打ちになる。体をつくらないまま小手先いや小足先でごまかし踏んでいると、どんどん変な方向に行って帰ってこれなくなる。怖いね。




話を私の修業時代に、戻そう。

桜井先生の元を離れて一年後、ようやく指を使うことが解禁となったが、それでも丹力の手技はまだまだ習得できたと思えなかった。

当時の私の頭には桜井先生の丹力施術のイメージ、そしてその源流の宮原一男先生の延命学の施術のイメージがこびりついていた。わずかな一歩でも日々近づいていこうと、イメージだけを頼りに一心に施術していた。


この孤独な修業は6年続いた。

2001年の4月に桜井先生の元で丹力を学び始めてから、2007年頃まではひたすら丹力と延命学を追求した。

世の整体師や治療家の多くは、あちこちの技術セミナーや学校に通って、様々な技術を仕入れる努力をするが、私はそういうことはしなかった。セミナーマニアに本物は居ない。私はただひたすらに丹力と延命学だけを見据えて修業を続けた。


何か一つのことだけを追求するのは難しい。

時に行き詰まり、違う道を試したくなる。この道で本当にいいのかと、迷うこともある。周りの人たちが一見華やかに楽しそうにしているのを見ると、地道に這いつくばるように進む自分に「なにやってんだろ」と思うことも出てくるのかもしれない。

当時の私に、そういう迷いは全くなかった。この道は「本物だ」と信じて疑わなかった、迷いのかけらもなく、ただ愚直に修業を続けた。力をつけ、桜井先生を支え、伝え、丹力を世に広めよう。それが何より世のため人のための道だ。桜井先生への恩返しもになる。

そんな気持ちでただ愚直に修業を続け、徐々に自分の力量への手応えも感じ始めてきたその先に、意外な道が現われてきた。







つづく







三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・立木打ち100丹
・四股200丹


[PR]
by wagoichi | 2017-05-06 23:10 | 教育



「原点が導くこれから」という感じでしばらく探り書きです。

by 三宅弘晃
以前の記事
最新の記事
近頃の私(5/25)
at 2017-05-25 19:43
千年の第一歩
at 2017-05-24 18:22
その12.エレキにビビッとや..
at 2017-05-22 14:34
その11.整体はしんどいものか
at 2017-05-20 21:26
乗り越えて仲間になる
at 2017-05-19 17:59
近頃の私(5/13)
at 2017-05-13 19:33
豆の教え
at 2017-05-12 16:08
型稽古の醍醐味
at 2017-05-11 16:11
その10.燕雀安くんぞ
at 2017-05-09 20:40
その9. 修行は愚直なるべし
at 2017-05-06 23:10
意気に感じて
at 2017-05-04 03:22
「丹足普及協会 千照館」設立案内
at 2017-05-01 20:34
「弘晃の野望」
at 2017-04-30 15:06
夢を共に
at 2017-04-29 14:00
祭りの開始
at 2017-04-28 21:58
その8.勝負どころ
at 2017-04-27 04:29
カテゴリ
検索
フォロー中のブログ
ブログパーツ
ブログジャンル