照千一隅への道のり

<   2017年 04月 ( 19 )   > この月の画像一覧

その4.自分の人生をはじめる


自分の人生をコントロールしているのは誰だろうか。


高校3年生に英語の偏差値を27から72まで上げたが、それでも大阪外国語大学の壁は厚かった。

親は受かっていた立命館大学にいけばと言ってくれたが、私は迷わず浪人生活を選んだ。学校からも親からも解放される狭間の一年が欲しかったんだと思う。

浪人時代は、受験勉強の代わりに社会勉強をしようと思った。高校時代に教育に関心を持った。親や学校は「勉強しなさい」の一点張りで、「なぜ勉強しないといけないのか」というそもそものテーマについて何のアドバイスもくれなかった。

「みんな勉強しているでしょ。」「いい会社に入ってちゃんと生活できるようにだよ。」と言われても、それは夢をあきらめた大人の念仏のように感じてしまった。

日本の教育はどこかおかしい。何がおかしいのか突き止めてそれを変えたいと思った。苦しんだ高校3年間のリベンジの様な気分もあったと思う。「盗んだバイクで走り出す~♪」尾崎豊を良く聴いた。

思い立ったら即行動、ということでまず家庭教師のバイトをすることにした。



井上君と言う男の子を教えた。受験勉強に熱が入らない井上君のことを、お母さんが悩んでいた。

私は井上君と話をすることから始めた。井上君が今したいことは何か。なぜ受験をするのか。将来の夢はあるのか。そんなことを話し合った。次第に井上君の中で将来の夢と今の勉強が繋がってきて、自ら勉強するようになった。

成績はぐんぐん伸びて、彼は志望校に合格した。井上君にもお母さんにも、まるで拝むかのように感謝してもらったが、私には当然の成り行きにしか思えなかった。



かなちゃんと言う女の子も教えた。

育ちの良いまじめな子だったが、疲れた顔をすることが多かったので聞いてみたら、私以外にも数学と世界史の家庭教師が来るのだという。週に5日、3人の家庭教師が来ていた。ちょっと詰め込みすぎじゃないかと意見した。そうしたら私はクビになった。

私がやめたところで、別の英語の家庭教師がつくのは目に見えていた。親には期待できない。かなちゃんがいつか、自分の人生を始めるきっかけになったのならいいなと今でも思っている。


つまるところ教育は子供の問題であると同時に、大人の問題でもあるのだ。そんなことを当時思ったが、25年経った今も状況は何も改善されていない。



浪人中にできるだけ世界のことを知りたいと思った。まず外国人の友達を作ろうと思った。大阪外大に入る前に、世界のことをちょっとでも知っておきたいと思った。

京都の「国際交流センター」には外国人が沢山出入りするとの情報を仕入れ、そこで友達を見つけよう(ナンパしよう)という作戦を立てた。

1人目の美人な女性には綺麗にスルーされたが、二人目の男性が快く相手をしてくれた。キースという名のユダヤ系のアメリカ人で、私より少し年上のとても感じのよい好青年だった。

キースは英会話学校で先生をしていることもあり、私の下手な英語にも上手に付き合ってくれた。定期的に遊びに行きったりご飯に行ったりして、いつもニコニコと色々なことを教えてくれた。まるでお兄さんが出来たように嬉しかった。彼はデューク大学に通っていて、その後シティバンクに就職した。

その後キースのいとこで、ブラウン大学に通っていたナンシーと言う女子大生が数か月ホームステイで我が家にやってきた。両親も予期せぬ展開にびっくりしていたけれども、可愛くて愛嬌のあるナンシーとの生活を思いのほか楽しんでくれた。

年齢は彼女の方が一つだけ上だったが、精神年齢は大人と子供のようにさえ感じた。よく日本文化や日米関係や環境問題などを話したが、いつも圧倒された。時には夜中まで話し込むこともあって、腰を据えて話し合うことの大事さを学んだ。

翌年にはアメリカに帰ったキースとナンシーを訪れて、両家にショートステイさせてもらった。キースの父は医師、ナンシーの父は弁護士で、マイ別荘でマイクルーザーでジェットスキーやウインドサーフィンを楽しみ、あちこち観光に連れて行ってもらい、まるでハリウッド映画の中にいるような日々を過ごした。アメリカの富裕層の暮らしを体験できたのは勉強になった。

ナンシーにボストンの街を案内してもらった時に、「すごく歴史を感じるでしょ」と言われて少し微妙な気分になった。京都や奈良が普通にある日本はやはりすごいなと、外に出て初めて思った。これは大阪外大に入ってからの話である。



浪人中の1年間は今でも忘れられない時間である。初めて得た自由の時間に、自分で考えて行動するという生き方を始めることができた。もちろん親の庇護の中ではあるが、それまでの管理教育を思うと大海に船をこぎ出した気分だった。


これは最近のナンシーのプレゼンテーション。



彼女と出会ったのは偶然だったのだろうか。







つづく。





三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・階段四股100丹
・四股400丹


[PR]
by wagoichi | 2017-04-12 17:15 | 教育

新しい丹足の資格について


記念すべき第一歩になるだろう。


私自身、資格と言うものに関心は薄い。キャリアの始めに通った整体学校認定の資格さえももらっていない。きき酒師の資格だけはちょっと欲しいが・・・。

世の中には私のような人も居るが、そうでない人も居る。資格コレクターのような人もいれば、やはり資格があると安心、ひとつの目安になると言う人が圧倒的に多い。だから世の中には数えきれないほどの資格があるのだろう。


丹足を世に出そうと考えている。(なんの話?という人は昨日の記事を見られたし。)


丹足をできる人を育て、その人たちに世の中の人たちをどんどん丹足してもらおうという構想を抱いている。丹足を知る人が、そしてできる人がもっともっと増えればいいのに、と思っている。

その為には資格と言う「安心保障」も必要なのかもしれない。丹足はやはり人相手である。大事な人の体に触れるのであるから、なんらかの安全基準が必要なものだとも思う。

安心して人を丹足できる。安心して相手に身を任せてもらえる。丹足は本来、安全で効果がとても高い整体法だが、やはり知らない人にとっては安心を添えてあげる方がリラックスできて、より効果も高まることも期待できそうだ。

繰り返し言うが、私は丹足を世に出したいと考えている。丹足法を作ったのは私である。私が広めないと誰も他にする人が居ない。ちなみに私の名前は「弘晃」と言うが、これは「日の光を弘(ひろ)める」という意味にとれる。色々大変だろうがそれでも、丹足と言う日の光を弘めるのが私の役割の一つだと最近は考えるようになってきた。

私の安心保証がどれだけの信用になるのかわからないが、私で良ければ、丹足に興味を持ち、丹足を習得したいと思い、丹足を活かして人の為になりたいと願う人たちの背中を押したいと思う。「安心保障付きの丹足」が皆さんの努力目標の一つになればと思う。

「丹足トレーナー」および「丹足サポーター」という資格をつくった理由である。



技術的には、「丹足サポーター」→「丹足トレーナー初級」→「丹足トレーナー中級」→「丹足トレーナー上級」の順に難易度が上がる。

「丹足サポーター」の技術レベルは難しくない。私のメッセージを読んで「よし私も!」という意気込みがある人ならば誰でも取れるだろう。「直伝!丹足集中セミナー」を受講する人は、まず「丹足サポーター」資格をゲットして欲しい。できれば「丹足トレーナー」にも挑戦してほしい。


「資格は決して目的ではない。むしろ資格を取ってから、それをどう生かすかが大事である。」

ということを踏まえたうえで、まずは「直伝!丹足集中セミナー」から認定試験までを全力で駆け抜けて欲しい。初心者でも全然構わない。2,3回の参加でも全然構わない。気持ちが大事。行動が大事。

・・・・と書いていたら、


「当面は忙しくてボランティアを出来ないかもしれないけれども挑戦したい。」という趣旨のメールが来た。



気持ちと行動を私は愛する。

だから今回は直伝!なのである。




◇参加申し込み・問い合わせ先◇
sensyokan@onaka.main.jp (担当:井上)






三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・木刀200丹
・四股300丹


[PR]
by wagoichi | 2017-04-11 16:33 | 仕事

「直伝!丹足集中セミナー」をやります


人間にはやらなあかん時がある。やるべき時にやらんと2度と来ないもんがある。満身創痍でも、だからこそ挑む価値あるものがある。新しい挑戦を始めよう。


今年4月~6月の期間限定で、「直伝!丹足集中セミナー」(全10回)を開催する。

※「丹足」を知りたい人は、↓リンク記事へ。



以下概要を記す。


<日程>

4月15日(土) 午後17:30~
4月17日(月) 午後18:30~
4月20日(木) 午前10:00~
5月1日(月) 午後18:30~
5月7日(日) 午前10:00~
5月9日(火) 午前10:00~
5月15日(月) 午後18:30~
5月20日(土) 午後17:30~
6月5日(月) 午後18:30~
6月17日(土) 午後17:30~

※各1時間半。土曜日以外は千照館稽古と同時開催(部屋は別)。
※4/15、5/20、6/17のセミナー後に懇親会を予定しています。



<セミナー開催の目的>

・丹足という癒しの整体法を指導できるトレーナーを育成する。技能習熟者への資格授与を目指す。

・丹足を通した社会貢献活動(公共施設での丹足ワークショップ、イベントスペースでの丹足体験会、その他丹足ボランティア活動など)で指導や運営サポートをする為のスタッフを育てる。

・6月25日に下記資格の認定試験を行う。

◆丹足トレーナー◆
丹足練習会やワークショップなどで丹足を指導する人。丹足を理解し、かつ楽しく初心者に指導できる人。(経験と技量により初級・中級・上級の3種あり。)

◆丹足サポーター◆
トレーナーのサポート役として指導補助をする人。同時に裏方仕事などで縁の下の力持ちの役割を担う人



<参加資格>

丹足をいろいろな人に体感してもらいたい! 丹足を通して人を癒し、元気にし、喜びを分かち合えるイベントを作っていこう! そういう集まりを作っていこう! という気持ちを私と共有し一緒に頑張れる人。千照館門人でなくとも可。初心者も可。初心者もベテランもまとめて面倒見ます。



<申込期間>

本日より5月末まで(途中参加可)



<参加費>

1万円(参加できる範囲で参加ください。1回からでも可。何回参加しても1万円でOK!)



<指導>

三宅弘晃



<備考>

・体験会参加者の皆さん・・・すでに体験会に申し込まれた方で本セミナーに参加したい方は、末尾メールアドレスにご連絡の上、移ってください。
・門人の皆さん・・・本セミナーに参加したい人はこの期間限定で移ってきてください。
・それ以外の皆さん・・・今から新たに申し込みたい人も歓迎します。末尾メールアドレスよりお申し込みください。



以上。


これほど濃密な三宅弘晃直伝企画は最初で最後になります。丹足を世に出す大事なはじめの一歩だから、私も全力で行く覚悟です。

ひとまず6月の資格認定試験を目標に、栄えある第1期生となるべく全力で駆け抜けましょう。







e0359411_13420502.jpg
咲き出したら一気にいくのみ。




◇参加申し込み・問い合わせ先◇
sensyokan@onaka.main.jp (担当:井上)




三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・木刀200丹
・四股300丹


[PR]
by wagoichi | 2017-04-10 17:50 | 仕事

歴史的邂逅


その時歴史が動いたという番組が以前あったけれども、今もあるのか分からないけれども、今日、一つの歴史が動いたと信じる。

長らく求めてきたものに出会った。




e0359411_20331314.jpg

失って悔やんでも取り返せないものがある。

重ねることで歴史は繋がれる。






(無楽の後のことはまた明日に。)











三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・四股500丹


[PR]
by wagoichi | 2017-04-09 20:36 | 整体

ラスト無楽稽古


先月で無楽稽古は一旦終了しました。終了記念に、丹足を記録に残しておきます。

皆、上手になりました。



みさ。





くまちゃん。




みつよさん。




権藤君。






最後の無楽稽古はこれまでで一番良かったです。

特に権藤君の成長には、目を見張るものがありました。派手さはないが、一つ一つの課題を着実にこなしてくる生真面目さは、かつてわごいちのスタッフに登りつめた陽室を思い出させます。このままどこまでいけるか。

また長らく伸び悩んでいたみつよさんが、丹練で力が付いて一皮むけた。丹足は繊細さだけでは駄目。力も必要ということですね。

くまちゃんは良く踏めているから、あとは自分から胸襟を開くように相手に接すること。みさは努力にムラがあるから、継続的な努力ができるようになること。

それぞれ心がけていけば、またガラッと良くなります。



この無楽の稽古を通して私が皆さんに伝えてきたことは、体をほぐすにはまず自らの心を開いて踏むことの大切さでした。技術的なことも大事だけれども、丹足稽古を通して自分を見つめ直すこと、より強くより思いやりのある自分に変えて行くことこそが、丹足稽古の真髄なのです。

そしていい稽古をしても普段の自己努力がなければ、教えたことは無になってしまう。日々の丹練が大事だという事、無楽で頑張りきった皆さんにはそれがよくわかったと思います。

私自身も大いに勉強になりました。拙い指導でしたが、最後までついてきてくれてありがとう。






これからのことについては、また明日発表予定です。







三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・木刀300丹
・四股200丹


[PR]
by wagoichi | 2017-04-08 12:32 | 教育

その3.不便の神さま


「文武両道」と学生の頃、父からよく言われた。勉強もクラブ活動もしっかりやりなさいと。

中学校では陸上部に入った。幼稚園から続いていた朝マラソンはクラブ活動に引き継がれ、極めて自然な流れで幼稚園から高校まで陸上一筋で行くことになった。

幼稚園から走り始めたのなら名ランナーになっているはずだが、ピークは小学生の時で、最後は平凡な陸上部員になった。

勉強は小学校5年生から塾に通い始めた。塾では成績順にAからEクラスに分けられ、私はAクラスとBクラスを行ったり来たりした。こんなに激しく上下する塾生は他に居なかった。偏差値で遊んでいた。

中学校のテストはいつも学校全体で4番か5番くらい。学校の勉強は全然やらなかった。





高校受験をし、私立高校の特進クラスに特待生で入った。「なるべく偏差値が高くて、授業料のかからないところに入れ」という父のミッションはクリアしたと思う。

高校に入ってすぐの統一模試で志望大学を書く欄があった。「先生、高校に入ったばかりで大学のことなんてわかりません。」と言うと、「京大か阪大か神戸大のどれかを書いとけ」と言われてなんだか釈然とせず「京都芸術大学」と書いた。

高校に入っても変わらずクラブと勉強だけの毎日が続いた。ひとつの疑問が私の中で芽生えてきた。

「なんの為に勉強するんだろう。」

数学の先生にその疑問をぶつけてみた。先生はこう言った。

「そんなことは大学行ってから考えたらいいんや。大学では考える時間がいっぱいあるからな。だから今は余計なことを考えずに勉強して、いい大学に入れ。」

まるで予備校のような学校だった。





私はそれまで父や先生に与えられたミッションをクリアするのが人生だと考えていた。それで幸せな人生を送れると思っていた。

しかし先生にも先生の事情があった。創立3年目の新設校だったから学校も名前を売らないといけない。その為には生徒を有名大学に沢山入れないといけない。それが大人の事情だった。

悩みを深める私に先生たちは「考えるな。悩むな。勉強しろ。いい大学に入るのがお前の人生の為や。」とアドバイスする。しかしその背後に「何のためにお前を特待生でとったと思う?」という大人の本音も見え隠れして、逃げ場はなかった。






成績は急下降した。高2の夏の時点で、英語の偏差値は27まで落ちた。他の教科もズタズタになった。父のミッション「文武両道」は完全に粉砕された。

人生を恨んだ。塾の先生を恨んだ。父を恨んだ。高校の先生を恨んだ。大人を恨んだ。生きていくことを恨んだ。

「とにかく勉強しろ」という大人ばかりで、「人生をどう生きるか」という私の悩みに向き合ってくれる大人は一人も居なかった。人生を考えないで進むことは一歩もできないことを誰もわかってくれなかった。

もう学校をやめたい。でもやめられない。それなら死にたい。ひたすら大人社会を恨むしかなかった。





e0359411_07542038.jpg

そのころに時々参った神社である。

住んでいた住宅街から田畑を抜けた先の川の対岸にある。はるか上流にある橋を渡らないとこの神社には行き着けない。幸い私は陸上部で鍛えていたので、たまの休みの日に走っていった。家から往復でたっぷりと1時間はかかった。

一度途中で引き返したことがある。2メートルほどのヘビに道をふさがれた。ひやっと飛び上がって逃げた。

不便な場所でヘビがいたりするお陰か、参拝者など他に居なかった。



私はここが気に入った。自分一人しか参らないなら、この神様は俺が独占だ。この神様は俺だけを見てくれるはず。そんな不遜なことも思った。

ここで、ひとりで、ゆっくりと考える時間が必要だった。



e0359411_10525782.jpg


結局自分が悪かったんだと気づくまで、まるまる1年かかった。

父や塾の先生に自分の人生を委ねてしまったからいけなかったんだ。人任せにしたくせに結果に不満を言う自分がちっぽけでつまらない奴だ、ということを自覚するまで1年かかった。

これからは大事なことは自分で決めよう。どんな結果になっても「自分が決めたことだからしかたがない」と思えるほどによくよく考えて自分で決定をしよう。自分の人生の責任は自分で負おうのだ。

どんよりした雲間が晴れ、そう決意した。



「英語の教師になる。その為に俺は大阪外大に行く。」と「自分で」決めたのは高2の3学期だった。目の色を変えて勉強し、それから半年で英語の偏差値は逆さまになった。27から72へと。

先生も同級生もびっくりしていた。



e0359411_08330656.jpg
話は少し今に戻る。


つい先日、山の上で仙人のような暮らしをする人に、「便利は怖い」と聞かされた一言が深々と心に突き刺さった。まさに近頃ずっと考えていたことだったから。

自分自身も知らず知らず便利社会に吞み込まれている。昔はそうではなかったのに。。。。と昔を思い出した時に、この川向こうの不便な神社を思い出した。

「ああ、久しぶりに行ってみたいな。」と思った。弟子二人にも見せてやろうと思った。




e0359411_08184132.jpg


今回、神社の境内にある立札を初めて読んだ。

ここの神社は「開拓の神様」だと書いてあった。



ああ、道理で。

色々なことが腑に落ちた気がした。



30年経ってようやく私は自分の原点に立つことが出来たようだ。











つづく








三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・力士四股100丹
・かちあげ四股200丹
・四股200丹


[PR]
by wagoichi | 2017-04-07 14:08 | 人生

その2.誰も通らない道


桜が咲き始めの山に入った。

「古里に行くが一緒に来るか」と訊いたら二人とも行くと言う。



e0359411_11465398.jpg

青春時代に辿った道を逆行する。

当時から人通りはまばらだったが、さらに寂れていた。道中他に誰にも出会わなかった。



途中に2回分かれ道がある。舗装道路か山道を選ばなくてはならない。せっかく来たのだから山道を行きたい。しかし山道の入り口にはこんな看板が。


<この先ハイキングコース通行止め。落石・土砂崩れ・斜面崩落等による事故が発生しても一切責任を負いません>




さあどうする。







我々は山道を選んだ。



e0359411_10532456.jpg




さすがに水は美しかった。



e0359411_10532567.jpg



倒木がふさぐ斜面を一生懸命ついてくる、大阪の街育ちの二人。



e0359411_10532723.jpg





誰も通らない道。

放置された倒木で道がふさがれていた。道が風化して無くなりかけていた。毎年の夏休みに父に連れられてアルプスを登っていた経験が無かったら、きっと迷っていただろう。

なんとかクリアした。




e0359411_15454457.jpg


二つ目の分岐点がやってきた。

「どうする」と訊くと「せっかくだから山道に行きましょう。」と言う。もとより「迷ったらGO!」が信条の私であるが、さすがにこの道の険しさに「ほんまかいな。大丈夫か。」と訊くと、「院長先生と一緒じゃないと行けないから。」と言う。

この言葉が妙に心に残る。




再び山道を進むことにした。

もはや道とは呼べない。


e0359411_13502289.jpg

完全に道をふさがれた。

斜面を登って迂回路があるかどうかを偵察。


e0359411_14530175.jpg


「あかん、引き返そう。」

今の我々に乗り越えられる道ではないと判断した。

まず挑んでみる。無理なら別の道をいく。





舗装道路もそれはそれで気持ち良い道だった。


e0359411_10531017.jpg


e0359411_10525542.jpg



e0359411_10532325.jpg

途中落石があってヒヤッとしたりしながらも、山の春の訪れを心ゆくまで楽しんだ。




e0359411_10530716.jpg


「一緒じゃないと行けませんから」と、いつも二人はせっかくの休みに私についてくる。

前にこの道を辿った青年時代の私には、ついてくる人間など一人も居なかった。今は家族と二人、それ以外にも沢山の人がついてくる。

いつからそうなったのだろう。この30年ほどで私はどう変わったのだろう。





長いようで短い道を踏み越えて、ようやく目的地。

原点に帰ってきた。







つづく。








三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・重刀200丹
・かちあげ四股200丹
・四股100丹



[PR]
by wagoichi | 2017-04-06 16:11 | 人生

その1.屠殺場のウルトラコース

私の古里。

盆地の真ん中を川が流れ、周りに田畑と人家が広がる。30年ぶりに歩いた。


e0359411_10525925.jpg

写真の真ん中に映るのは屠殺場。(屠殺場を知らない人はこちらなど→「屠殺場レポート」 )


この辺は、幼稚園の時から小学校卒業まで、毎朝父親と一緒に走らされた思い出の場所だ。一緒に走ったと言いたいが、気分的には走らされたとしか言いようがない。

朝はいつも父親が「いくぞー」で目が覚める。すでに父親は5~10kmほどひとっ走りした後に、さらに私と一緒に走るのだ。AコースとかBコースとか3~10kmの幅で父が設定したいくつかのコースがあり、父がどのコースを走るかを毎朝決める。反論など一切許されない。「お腹が痛い」と訴えたら「走ったら治る!」。

雨や雪でも走りに出たが、さすがに台風や豪雨の日は休みになった。今気づいたが、私が雨好きなのはここから来ているのかもしれない。

ただ走るだけではなく、毎回タイムを計られた。ゴール地点はもちろん、途中の500m地点、1km地点、2km地点ごとにチェックポイントがあり(もちろんコース設定も計測地点も父が独自に設定したもの)、チェック地点ごとに父がストップウォッチを見て「昨日より2秒遅い!」とか叱責が来た。

ゴール地点で遅い場合には「罰走」。追加で300mほど走らされる。もちろんタイム計測付きであり、結果によってはさらなる「罰走」つきである。念のためもう一度言うが、幼稚園児の頃の話である。

それが私の朝だった。朝は大嫌いだった。恐怖でさえあった。





屠殺場の近くを通る「ウルトラコース」が一番の恐怖だった。「今日はウルトラコースにする」と言われた時は、滅多に逆えない父に対して出来うる限りの抵抗をした。結局は無駄な抵抗におわるのだが、それでもどうしても嫌だった。距離が長いのも嫌だったが、もっと違う理由があった。

なぜだかわからないが、当時その屠殺場の周りには数匹の野犬がいた。屠殺場が番犬がわりに放し飼いにしているのか、牛骨のおこぼれでも狙っている本当の野犬なのか、とにかく首輪のない野犬が数匹周りをウロウロして近づく人間に吠え掛かった。だから人も滅多に近づかない、そんな場所だった。

そこをわざわざ走り抜けるのが「ウルトラコース」だ。屠殺場の手前で石をいくつか拾って両手に握れるだけ握って、その野犬ゾーンに飛び込んでいく。

「いいか、犬が迫ってきたら石を投げるふりをしろ。そしたら犬が怖がって飛び掛かってこないから。」

「もしそれでも飛び掛かってきそうになったら?」

「その時は仕方がないから本当になげろ。」

「うん。」

「でも変に石をぶつけると本当に怒って襲ってくるかもしれないから、なるべく当てるな。」

今から考えても、どうしてマラソンの練習にそういうコースがわざわざ組み込まれているのかがわからない。最近は野犬はほとんど見なくなったが昔はたまにいた。大人でも野犬の群れは怖いだろうが、目線の低い子供にとってはなおさらで、サファリパークの肉食獣エリアに身一つで足を踏み入れるようなもので、正直生きた心地がしなかった。

それが屠殺場近くのウルトラコースであった。




父とのマラソンは思い出が沢山ある。

地区のちびっこマラソンではいつもメダルや賞状をもらった。でも、どうしても勝てない大倉君と言う少年がいて、いつも彼が1番で私が2番だった。父はいつも悔しそうだった。

小学5年生の時に左足を骨折した。友達とケンカをして足が絡み合ったまま二人同時に倒れた時に、てこの原理で私のすねの骨が折れてしまった。ギブスに固められて痛い痛いと泣きながら帰宅したら父がいて、「情けない。やりかえしてこい!」と叱られて痛みが吹っとんだ。でもギブスが外れるまではさすがに朝のマラソンも免除されて、とても幸せな日々だった。



幼稚園の年長組の時に、年齢を偽って(正確に言うと父に偽らさせられて)小学生の部のマラソン大会に出たことがある。

走っていると沿道の応援の子供達に散々笑われたことを、今でもはっきりと覚えている。指をさして笑う子供もいた。なぜそんなに自分が笑われているのかが最初は分からなかったが、途中で分かった。

「男子なのにブルマで走ってる!」

そう、私の通っていた幼稚園は男女とも体操着がブルマだったのだ。小学生になると男子は半ズボンの体操着。だからブルマの「小学生」男の子がすごく異様だったのだ。事実を知ってからは顔を真っ赤にしてゴールまで駆け抜けた。




思い出語りのようだが、父はまだ生きてくれている。いまだに毎朝ジョギングをしている。

周りの人達にはいろいろ言われることもあった父の教育だが、あの屠殺場のウルトラコースがなかったら今の自分はなかっただろうと、それははっきりと自覚できるようになった。いまようやくであるが。


近頃いろいろな出来事があり、ふと自分の原点に返ってみようと思って古里に帰ってみた。

まさか屠殺場のウルトラコースに行き着くとは思わなかった。






つづく

(かな?)

















三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・かちあげ四股300丹


[PR]
by wagoichi | 2017-04-05 15:36 | 教育

混然一体な稽古


4月と5月の千照館丹足稽古、全10回を無料開放しようという我ながら大盤振る舞いなイベントが今日から始まった。

体験者の方は何回来ても無料である。ついでに門人も自分の所属と違う稽古に参加しても良い、何度でも無料である。今日はエイプリルフールではないから本当の話である。

そんなイベントの第1回目が行われた。私は参加していないが、かなりの盛況であったようだ。




しかし、世の中タダほど怖いものは無い。

単にタダではない。我々にとってもこのイベントには大いなる悪だくみがあるのである。



e0359411_15050930.jpg


丹足法(たんそくほう)とは整体法の一種である。

丹足法の原型は、足圧法(そくあつほう)という踏みほぐしである。私はそれを桜井寛先生から学び、16年続ける中で徐々に似て非なるものへと進化させた。別のものであるから別の名前が必要であろうということで「丹足法」と名付けた。つまり私は丹足法の創始者である。




丹足法は海のようなものである。

深さは果てしないが、間口は広い。意外に誰でもそこそこ踏めるのである。実際に今日の体験会でも、初心者の皆さんがかなり上手になったそうである。



千照館はこの丹足法を学べる唯一の場であるが、立ち上げ当初は私が陣頭に立って指導していた。全稽古を私が担当していたのである。

一昨年より、この指導役を弟子である参尽と紙鳶にバトンタッチしてきた。1年前からは私は稽古場に出ることは控えるようになった。無楽稽古をのぞいては。

その流れからの今である。




門人にアンケートを取ってみた。

その中で、「師範(つまり私)の直接稽古に興味があるか?」という設問に対する回答集計は、「ある」と「少しある」が半分ずつで、「ない」は一人だけ。ほとんど皆が私の指導に関心をよせているらしい。



しかし、私は今のところ稽古場に戻るつもりはない。


e0359411_15142497.jpg

今回の体験会から、指導員は一人体制でいくことにした。これまでは参尽と紙鳶の2人体制であった。意図して指導サイドの厚みを減らしていっている。

指導員たちには、「これからは、これまでのように君らが懇切丁寧に教えるのは極力控えるように」と伝えてある。君らは見守り指導員である、と言ってある。




丹足法には基本の型がある。ハラの使い方も大事なポイントである。そこに最低限の指導は当然必要になる。しかし丹足にこれから挑む人たちに知っておいてほしいのは、丹足における正解がどこにあるか、ということだ。

これまでの千照館の指導は懇切丁寧すぎて(これは昨今の学びの風潮かも知れないが)、先生=生徒という対の関係が強すぎて、生徒と生徒の繋がりが弱くなっている。

皆さんによくよく知っておいてほしいのだが、丹足における正解を指導者はもってはいない。あなたとあなたが今踏んでいる相手の中にあるのである。踏み手と踏まれ手の二人の中に正解があり、それをともに探していくのが丹足法の醍醐味なのである。これをより一層しっかりと意識して丹足をしてほしい。

「先生、これでいいですかね。」と質問する前に、相手にまず「どうですか」「強いですか。弱いですか。」と聞いてほしい。「もうちょっとゆっくりと踏んでください」とリクエストをするのである。繰り返し繰り返し言葉を交わしてほしい。それが丹足なのである。

もちろん型が間違う場合もあるだろう。ハラを忘れて踏んでしまうこともあるだろう。そういう時もなるべく二人で「ちょっとおかしい気がするんですけど・・・」「そういえば・・・・」と声をかけあって欲しい。わからない二人がわからないなりに混然一体となって正解を探求して欲しい。それが丹足の稽古なのである。

指導員はそれらの試行錯誤をなるべく見守りたい。「違うよ」「こうだよ」と言いたいところをぐっとこらえて、試行錯誤を大事に見守りたい。体を痛めそうな踏み方をしていたりよほどの間違いであったりした場合を除いて、極力指導員は貝になる。愛情ある貝になる。そういう方向性に一歩進もうというのが、これからの千照館なのだ。




e0359411_15490655.jpg

これはかつての私の指導風景である。

こんな人間がいたら、踏んでいる相手とのコミュニケーションなど取りにくくてしかたがない。存在感が強すぎて、皆が私に正解を求めてしまう。





今回の体験会は、体験者と門人の混然一体となった探求の始まりとしたいというのが、我々の狙いである。

初心者を上手に導く力量を持った門人が、ちらほらと育ってきている今だからこそ始めようと思ったのである。

千照館は着実に道場として前進をしている。まだまだ紆余曲折があるだろうが、何事も挑戦というのはそういうものだろう。





e0359411_12481293.jpg


大事なことだから最後にもう一度記しておきたい。

丹足の正解は、踏み手と踏まれ手の中にある。

丹足に絶対の正解などない。おぼろげな正解を求めて、踏み手と踏まれ手が言葉を交わし心を通わせ、混然一体となって進んでいく。そういう稽古を千照館では模索してきたい。









三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・四股200丹
・力士四股200丹
・かちあげ四股100丹


[PR]
by wagoichi | 2017-04-02 17:00 | 丹練



「原点が導くこれから」という感じでしばらく探り書きです。

by 三宅弘晃
以前の記事
最新の記事
近頃の私(5/25)
at 2017-05-25 19:43
千年の第一歩
at 2017-05-24 18:22
その12.エレキにビビッとや..
at 2017-05-22 14:34
その11.整体はしんどいものか
at 2017-05-20 21:26
乗り越えて仲間になる
at 2017-05-19 17:59
近頃の私(5/13)
at 2017-05-13 19:33
豆の教え
at 2017-05-12 16:08
型稽古の醍醐味
at 2017-05-11 16:11
その10.燕雀安くんぞ
at 2017-05-09 20:40
その9. 修行は愚直なるべし
at 2017-05-06 23:10
意気に感じて
at 2017-05-04 03:22
「丹足普及協会 千照館」設立案内
at 2017-05-01 20:34
「弘晃の野望」
at 2017-04-30 15:06
夢を共に
at 2017-04-29 14:00
祭りの開始
at 2017-04-28 21:58
その8.勝負どころ
at 2017-04-27 04:29
カテゴリ
検索
フォロー中のブログ
ブログパーツ
ブログジャンル