照千一隅への道のり

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癌の3要件 その2 癌と循環


なぜ人は癌になるのか。癌細胞の増殖を許してしまうのか。どうして医学が進歩しても癌は減らないのか。

今までの所(平成29年3月時点)、癌予防100%を継続しているわごいちの取り組みを通して、皆さんと共に癌について今一度考えてみようという連載の今日は第2回目。

「癌と循環」ということで書いてみようと思う。

第1回目で「肚」という字について考えてみた。体にとってハラは土であるということ。植物にとって土が健康の決め手になるように、我々人間の体にとっては肚こそが健康の決め手になる。

しかし肚を真剣に研究している人がどれだけいるだろうか。腸内細菌の研究をしている人は居る。ピロリ菌と胃癌の関連を研究している人は居る。けれども、胃も腸も、腎臓も肝臓も、子宮も卵巣も、あるいは前立腺も、膵臓も脾臓も、全てをひっくるめて肚を包括的に考えている人がどれだけいるだろうか。肚全体から栄養を考えている人がどれだけいるだろうか。

我々が持つ癌に対処できる最大にして唯一の手段は、免疫力である。それ以外にはない。文字通り癌に対抗する「抗癌剤」がどうして癌治療の決定打にならないかと言えば、抗癌剤自体が癌だけではなく、我々の免疫力を損なうからである。免疫力を損なわずに癌細胞だけに効く抗癌剤があれば理論上は癌は克服できるはずだが、それが出来ないから抗癌剤は今だに抗がんの決定打に成り得ていない。

「免疫力が大切」

言うのは簡単だが、この免疫力を充分に生かし切るのは難しい。(だから癌やらいろいろな病気に我々は負けてしまう)誰しもが持っている免疫力を過不足なく発揮して生きていくのは、誰にでもできるとは限らない。私はそこに挑み続けている。

私は何をしてきたか。どうやって癌や様々な病気を防いできたか。

一つはハラの活性化である。免疫力の大部分は腸に由来する、ということがだんだんと知られてきた。余談だが、私は15年前からハラが大事だと言い続けてきたが、当時は誰も見向きもしなかった。最近になってようやく医者たちが「免疫力の70%は腸に由来するのですよ。」などとテレビで言ってくれるようになって、ようやく腸が日の目を浴びるようになってきた。

私の施術ではじっくりしっかりとハラを揉む。ちなみに揉むのは腸だけではない。腸も揉むが、胃も肝臓も膵臓も腎臓も子宮も、異常のあるところはすべて揉む。「免疫力は腸」と聞かされると人は腸ばかり気にするが、腸は腸だけで単独で働いているわけではない。他の臓器と連動して協力して働いている。だから腸だけではなくて、連動する臓器と一緒に異常を修復していくのが私のハラ揉みである。

ハラを丹念に揉む。

現代人は砂糖や油や添加物まみれの食べ物を毎日ハラに放り込む。唐揚げやスナック菓子やチョコレートがどんどんとハラに入ってくる。胃は油が苦手である。腸は糖が苦手である。肝臓は添加物や薬が苦手である。苦手なものが毎日ハラに入ってくる。ハラには拷問のような日々である。

拷問を受けて苦しんで、炎症を起こしているハラを揉む。潰瘍でただれたハラを揉む。癌になりそうなハラを揉む。ハラを揉んで慰めて、癒して休ませる。そうしてハラを元気にする。ハラが元気になればまた免疫力が働いて、ピロリ菌もやっつけてくれるし、癌細胞もやっつけてくれる。そうして免疫力を高めて癌や様々な病気を未然に防ぐ体を作っていく。

これが私があみ出した癌予防の秘密である。病院では実現できない癌予防100%を実現してきたカラクリである。しかし実は、まだ他にもカラクリがあるのである。今日はそれを明かすことにした。

私が癌予防を実現してきた二つ目の要因、それは循環である。

私のところに通う人たちは、わごいちがハラ揉みだけでないことを知っているはずである。ハラを中心とした全身手技施術だけでないことを知っているはずである。そう、わごいちでは弟子たちによる丹足施術を必ず受けてもらう。

なるべく単純に言えば、わごいちでは手でハラを揉み、足で全身を揉む。もちろん膝痛とか首のコリなど踏みにくい部位は手を使うなど臨機応変に対応するが、敢えてざっくりいえば、手でハラを受け持ち、足で全身を受け持つ。


これは何をしているかと言えば、(これも甚だざっくりしすぎる説明だが)ハラを揉んで免疫力を回復させ、足で全身を踏んでその免疫力を全身に行き届かせているのである。

医学が証明してくれている通り、免疫力の大部分はハラで培われる。肚という体の土で免疫力を養う。しかし、いくらハラに免疫力を蓄積しても、その免疫力を全身に届けなければ意味がない。胸に癌細胞が巣くっているのならば、そこに免疫力をじゃんじゃんと届けなければ癌細胞はどんどんと増殖してしまう。どんどん癌が大きくなってしまう。

いくらハラで免疫力を高めても、それを全身に循環させなければ意味がないのだ。

私は世の動きをもどかしいと思うことがある。15年前からハラが大事だと言ってきて、ようやく最近「腸が大事」という認識が広がってきた。だから腸を元気にしようと、腸が大事だとサプリなんかを飲む人も増えてきた。

けっして今の栄養学やサプリメントで腸がどんどん良くなる訳ではないのも悩ましいが、それを差し引いて腸を大事にしようという機運は評価できるにしても、

「じゃあその免疫力をどう体の隅々に運ぶのよ。患部にしっかりと届けるのよ。」

という考察についてはまだまだ世間の認識は甘いと感じる。いやそもそも、免疫力には循環力が必要だという感性さえ欠落しているように思えてならない。

何も病院医学だけを非難しているわけではない。民間療法も同じである。「肩が凝ったから肩を揉んでほしい」と言われて、肩だけを15分揉んで先生顔な民間療法者も同罪である。

こと循環に関する限り体全体をみない事には、体全体にアプローチしない事には、体全部を揉まない事には本当の循環というものは得られない、と私は確信する。

わごいちでの施術は1時間以上である。どうしてそんなにかかるのかと言えば、ハラをしっかり揉むことに加えて全身を揉むからである。ハラの免疫力を高めながら全身の循環力を高めていくには、どうしてもそれぐらいの時間がかかる。

ところで体をほぐすとき、どうにもほぐし難くて大変なところが3つある。どこかお解りになるだろうか。

アタマとムネとハラである。

アタマは頭蓋骨で囲われていて、容易に内部に踏み込ませない。当たり前である。脳みそが他人に簡単に触られるようでは生きていくのが大変である。ムネは肋骨に囲われている。これも当然で、柔らかい肺や大事な心臓をしっかりと守らなくてはならない。そしてハラ。ハラは骨盤で守られている。

アタマ。ムネ。ハラ。どれも動物の急所というべきところである。急所は守りが硬い。だからこそほぐし難いのである。しかしここで考えてみたいのは、守りが硬いということは良いことばかりなのかということだ。

守りが硬い。外のものを寄せ付けない。触らせない。目に触れさせない。感じ取らせない。外部からの干渉を遮断する。アタマ、ムネ、ハラはそういう特性を持っている。

ということは、である。外部からの干渉を遮断するということは、いざその内部に問題が起こった時に、外部の助けが滞りなく入ってくるのか、という心配を持つべきであろう。例えば肋骨の中に異常が発生した時に、体の治癒力が円滑に働くだろうか。

癌と言えばどんな癌があるか。

癌の主な罹患部位と言えば、肺・胃・大腸がまずあがり、肝臓・膵臓などが続く。その次に前立腺や子宮などの生殖器の癌もある。そう、どれもムネとハラに発生するものばかりである。悪性脳腫瘍に罹った場合の5年生存率は癌全体の中でも悪い方だとされる。アタマも怖いのである。

アタマとムネとハラ、骨に囲まれて外部から触れにくいところに癌は発生しやすい。

これはどういうことかと考えるに、しっかりと厳重に守られているところは免疫力さえも届きにくい、ということになるのではなかろうか。あまりこういうことを言う人間はいないが、私は経験上そういう疑問を無視することができないのである。

実際に全身を丹足法で施術していると、アタマ、ムネ、ハラは硬い人が多い。骨が硬いのではない。骨周りの筋肉などの軟部組織が硬くなっている人が多いのである。

「これでは血が通わない。」(つまり免疫力が及ばない)といつも感じる次第である。


せっかく食生活を改善してハラを揉みほぐしても、循環力が偏っていれば、必要なところに免疫力が届かないのではないか。その届かないところで癌細胞が増殖をしてしまうのではないか。私はそういう想定を立て、それを検証しながら施術を続けてきた。

実際にアタマやムネやハラを揉むのは難しいものである。頭蓋骨はカチカチで、その中に何らかの働きかけをするのは相当な技術が要る。ムネの肋骨は意外にもろくて折れやすい。肋骨を折らないように肺や心臓に働きかけるのは至難の業である。(だから救急救命の心臓マッサージは「肋骨を折ってもしかたがない」とされる。)ハラを揉む難しさは改めていうまでもない。とにかく難しく、下手に触ると危ないのがアタマ、ムネ、ハラである。

しかし、本当に循環力を高めるためにはこの三部位を避けては通れない。正直に告白すると、私自身、この三部位を安全に深く思いのままにほぐせるようになったのはここ数年のことであって、我が弟子たちはまだ途上にある。本当に難しい。

わごいちでは手で主にハラとムネとアタマを、足でその周辺から全身を分担して、免疫力を高めつつ循環力を回復させていく施術を志向している。結果として癌は今のところ完全に予防できているし、癌の再発予防の期待にも100%応えている。

そろそろまとめよう。

私がこの癌連載で皆さんに伝えたいのは、第一にハラを大事に免疫力を高めることの大切さであり、第二にこの免疫力を患部に行き届かせる循環力の大切さである。

世間の動向を見ていると、第一についてようやく知られ始めてきた段階であろうかと思う。しかし真剣に癌のことを考えるならば、第一の免疫力だけではなく第二の循環力についてもまた、じっくりと考えられることをお勧めしたい。というのが今日のポイントである。

本当は循環力を高めるために皆さんが自分で取り組む方法について書きたかったのだが、長くなりすぎたのでそれはまたいつかの機会に書いてみたいと思う。













三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-03-25 20:54 | ガン

センスクイズ(中級編)の答え合わせ


センスクイズ(中級編)の正解発表の時間です。

<問題> 丹足をする動物のイメージは、鳥が一番良い。それはなぜか。


結構難しかったようなので、ヒントを出しました。

<ヒント> どこで生きるかの違い。固体・液体・気体の違い。



ちなみに丹足とはこういうものです。







丹足というのは、足で相手を踏む整体マッサージ法です。片足で相手を踏みほぐす。もう片方の足一本で自分の体を支える。踏むことも大事ですが、片足と言う不安定な状態で自分の姿勢を維持するという事がなかなか難しい。

はじめはみんなフラフラしています。軸足がフラフラするものだから、踏み足が不安定になってしまう。踏み足と軸足がバラバラになって、弱々しい踏み方しか出来なかったり、逆に力任せに相手を踏んでしまいそうになったする。はじめはまあ見ていて面白いもんです。

でもやっているうちに段々と上手くなってくる。練習を重ねて軸足が安定するにつれて、踏み足が思い通りに動かせるようになってくる。そうなるとだんだん気持ちよくなってくる。踏まれる人が気持ちよいのは当然として、踏んでいる自分も気持ちよくなってくる。体幹を使うって気持ちよいんです。


解説が長くなりましたね。

つまり丹足のポイントは、「姿勢の安定」であるということなんです。小器用に踏み足を動かせるとか、うまくツボに当てられるとか、そういうのは次の段階のことで、まずは踏み手が自分の姿勢をちゃんと安定させることがポイントになります。片足立ちでね。

しかもジッと片足立ちしているわけじゃなく、相手をゆらゆらと踏みほぐしている中で、揺れの中での姿勢の安定を持続しなくちゃいけない。いわば波間に揺れる船の上で姿勢を保ち歩き回るようなものです。このバランス感覚が、丹足の大事な基礎になるのです。

今回のクイズのヒントで、「どこで生きるかの違い。固体・液体・気体の違い。」と言いました。まさにここです。

哺乳動物は基本的に大地の上で暮らします。それに対して、鳥は空や水の上を主たる生活の場としています。ゴリラは土や岩や木の上で暮らします。カルガモは水の上で、ツバメは空で暮らします。土と、水と、空気と、どこに乗るのが一番安定しますか。

土ですね。次に水、そして一番不安定なのが空です。

空を飛ぶ鳥を見てください。姿勢の悪い鳥がいますか。翼が右下がりの鳥や、重心が前のめりの鳥がいますか。空飛ぶ鳥、水面に浮かぶ鳥、どれも姿勢がピタッと安定しています。

色々な形状の鳥がいますが、どれも共通して安定感があります。どこに安定感を感じるかと言えば、それは表面の形状云々ではなく、体内に何かしらの中心感を我々は感じる事ができるはずです。それを日本人は古来より「丹田」というのです。

丹田と言うものは、脊椎動物はすべからく持っているものだと私は考えます。タカにもクジラにも、イタチにもカエルにも丹田はあります。もちろん我々人間にもあります。

ただし、その動物の暮らし方、運動習慣によって丹田はその存在感が強くなったり弱くなったりします。空中や水上という不安定な場所で暮らす動物の丹田は自ずと強くなります。周りの環境が不安定だから、自分で自分の体のバランスをとらないといけないのです。

もし丹田の位置が右にずれたら、カルガモの体は右に傾いてしまう。前にずれたら頭が水面につんのめってしまう。もし丹田が弱くなって無くなってしまったら、前後左右に体がぐらぐらして、1秒たりともジッとしていられないことでしょう。

カルガモや白鳥が、すまし顔で池に浮かんでいられるのは、ハラのど真ん中にちゃんと丹田感覚があるからなんですね。ハヤブサがピューッとまっすぐに飛んでいけるのは、やはり丹田感覚がしっかりしているからです。

もちろん大地に暮らす哺乳動物も丹田感覚はしっかりあります。少なくとも我々人間よりははるかに。それでもやっぱり水や空気と比べると大地はしっかりしている。しっかり安定してくれるから、左右不均等に寝そべっても受け止めてくれるんですね。ライオンがあおむけに寝ても土中に沈んだり、転がっていってしまったりすることがない。でも水上ではそうはいきませんよね。仰向けに寝るカルガモ見たことあります?

そんなわけで、センスクイズ中級編「丹足をする動物のイメージは、鳥が一番良い。それはなぜか。」の答えは、

「不安定な水や空気の中で生きる鳥は、より明瞭な丹田感覚をもっているから。」

でした。


難しかったかな。残念ながら正解者はゼロでしたが、正解不正解はどうでもいいんです。考えて考えて相手にぶつけるのがいいんです。ぶつけることで何かが自分の中で必ず変わるから。


私はこういうのが好きなんです。

今回のクイズのきっかけは、丹足体験会のフライヤーを考えている時に無意識に「踏み手は鳥だな」と口から出て、その後から「なんで自分は鳥って思ったんやろう?」と考えてみたのですね。そしたら鳥の丹田感覚ということが見えてきた。先に感覚が知っていて、後から頭が解釈したのですね。


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多くの教育者は先に頭から行くでしょう。知識を詰め込んで賢くなったような気がする勉強ばかりさせるでしょう。それじゃあ知識はついても思考の深みはでないんです。「これは本質的にどういうものか。」という原理原則を常に自分の感覚に問うような学び方がいいですね。


少なくとも私はそういう学びを大事にしたいのです。










三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-03-22 17:16 | 整体

マジョリティの危機




とある方に会いに行った。

今、丹足を世に出そうという検討を重ねている。修得しやすいわりに、癒し効果が絶大で、しかもコミュニケーションの助けにもなる丹足は、孤立化が進み、様々な病に悩まされる現代社会への大きな助けになるのではないか。そう考えてのことだ。

NPOという形もいいかもしれない。もとより丹足で稼ごうなどという考えはない。丹足の技術がちゃんとした質を保って人々に伝わり、適切に活用されることが私の願いなのだから、非営利団体の枠組みでやっていくのには違和感がない。

さて、そうなると色々と調べないといけない。

NPOってどういうものだろうか。どうやって作ってどうやって運用すればいいのだろか。またNPO以外のやり方もあるのだろうか。実際にNPOで社会貢献活動をしている人の実感とはどんなもんだろうか。

今はネットである程度の情報は調べることができる。また「NPOもいいが、一般社団法人という形もいいですよ」とそういうことを教えてくれる人もいて、リサーチは進む。ある程度進んだところで、その道のプロの人に相談しようということで、伝手を頼って相談にのってもらうことにした。

その方は社会福祉事業に携わられて40年ほど、NPO法人や一般社団法人を3つ運営されている。ちなみにNPO等には実体の怪しい団体もあるようだが、この方はそういう類の人では全くなく、主に身障者と災害被災者への支援活動をずっとされている。

「こんな人も居るんだな」

というのが私の第一印象であった。

実際お話をしてみて、私はいかに自分が社会の一部しか知らないかを痛感した。


義務教育をそこそこの成績で通過し、親のすねをかじって大学までやらせてもらい、一部上場企業に入社して4年働き、脱サラして「先生」と言われる仕事を15年。飢えるほど貧乏した経験はないし、大きな病気も経験していない。家族や友人にも恵まれているし、家も大きくも小さくもない普通の大きさである。

そんな人生を歩んできた私が属するのは、いわゆる中流階級とも呼ばれたり、勝ち組と言う人も居るかもしれない世界である。日本社会で一番メジャーな層に属していると言っていい。

この方の向き合う人たちは、いわゆるマイノリティと言うべき人たちだそうだ。マイノリティといっても身障者や被災者だけではない。薬物やアルコール中毒者、ギャンブル依存症者、同性愛者や性同一性障碍者、生活保護を受けている人たち、精神病患者など様々な人たちとの付き合いがあるという。

その方が言うには、マイノリティの人たちは、全然違うタイプであっても同じところにあつまる傾向があるのだそうだ。考えるに、マジョリティに入れない、あるいは入りたくない人達の居場所が今の狭い日本では限られているのかもしれないし、もしくはマジョリティの圧力が強すぎて、とにかく助け合わないと立ち行かないのかもしれない。

ともあれ私が会いに行った方は、そういうマイノリティの人たちが集まる場を確保し、国やマジョリティからの支援を集め、それぞれの自立を支援する活動を40年続けられている。

「これまで出会ったことのないような人が色々いるから面白いよ。はじめは大変だけどね。」

と笑う。

「でもマイノリティといっても、東大卒も京大卒も阪大卒もいっぱいいるよ。精神を病んでこっちに入ってくるんだけど、初めはプライドが高くて大変よ。だんだん受け入れるけどね。」

とまたまた笑う。この人強いなと見惚れた。

私の話を聞いてもらった。

私はマイノリティの助けをするつもりではないんだ。マイノリティの人たちも大変だけれども、実はマジョリティも危ういんだ。マジョリティも自分達の生活の維持に必死すぎて、社会全体のことを考えて暮らす人が少ないように思う。まず自分ありき。余裕があれば人のことを助けてあげる。そんなスタンスで自分のことばかり第一にする人間は、結局自分を殺していくことになる。そのことに気付いていないだ。そしてそういうマジョリティの風潮が、結局マイノリティの暮らしに毒をまき散らしていることもあると思うんだ。未来ある子供を病ませていくことも実際にあるんだ。

一気にそういう話をしたところ、「ありますね」と私の目をじっと見て応えられた。

「ああ、この人は気付いているんだ。全部知っているんだ。」と、その一言で私は理解した。



私は以前、身近な人や千照館の門人さんたちに「善良人のエゴ」という話をしたことがある。

「私は毎日真面目に働いて暮らしています。誰にも迷惑をかけるようなことはしていません。他の人よりも善良に暮らしているつもりです。まだこれ以上何かしないといけないのですか。」

私が「自分のことばかりではなく、もっと社会を助けに行こうよ」と言ったときに、そういう答えを言う人が何人もいた。私はそれを「善良人のエゴ」と感じた。

頑張って働いて、ある程度の水準の暮らしを手に入れた人たちが、あとはその水準の維持だけを考えて暮らす。ある程度の獲物がいる縄張りに属すライオンが、他の飢えているライオンの存在を知りながら、自分の縄張りを守ることだけに必死なのと何が違うのか。

私が言う「善良人のエゴ」とは、そういう意味だ。

「善良人のエゴ」は、知らぬ間に弱者を追い詰めている。それだけじゃなく、自分自身の心を病ませる。そして未来を潰す。そこに気付いているマジョリティがどれだけいるか、行動するマジョリティがどれだけいるか、今の日本は、いや世界は「善良人のエゴ」を問われているんじゃないかと思う。

この方はすでにそれを知っていたから、私の話を容易に理解してくれた。


ちなみに私がマイノリティではなく、マジョリティを救おうとするにはもう一つ理由がある。

マイノリティの人たちは確かに困っていることが多いが、その分だけ助けも数多く入ってくる。ボランティアも集まりやすいし、寄付金も集まりやすい。地震の被災地を見ればそれがよくわかる。ある意味わかりやすい面がある。

だから継続性などの問題もあるとは思うが、マイノリティに対する支援意識が高い人もまだまだ世の中には沢山いる。


しかしマジョリティはそうではない。極度に生活に極度に困窮しているわけではないし、あからさまな身体的不自由があるわけではない。一見、助けの必要性など感じさせない人たちが大部分である。

しかし、例えばお金はあっても、食事がレトルト食品や菓子パンばかりでじわじわと病気の種を育てているマジョリティはいないか。そういう食生活で成長して心身を病んでいくこどもはいないか。今は一見平気でも、10年後に治らない病気になる可能性がどれだけあるか。そういう分かりにくい危機をはらんでいるマジョリティに対する関心も、心配も、知恵もほとんど無いように思える。本人も周りも気付きにくいだけで、そこに危機は確実にあるのに。


私はそこに何らかの警鐘を鳴らす人間がもっと必要なのではと考えている。「おなか元気ばなし」講演会もその一環だった、誰も手を付けないからこそ、しなくてはいけないと思う。少なくともマジョリティが無自覚に無関心に未来を毒していることだけでも伝えたい。考え合いたい。

「でも危機が見えないから、お金も人も集まりにくいだろうと覚悟はしてるんですけどね。」と言うと、「そうでしょうね」とその方は静かにうなずいた。それでも色々と知恵を出してくださった。


何をしたらいいのか、まだ全貌は見えない。

今はしっかりと考えを練る時期。

最終的には動きながら考えていくしかないだろう。


人のハラも難しいが、人の社会もまた難しい。












三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-03-21 17:28 | 世界

天才の調べ


山田忍さんの音に初めて触れたのは数日前のことだった。

初めて聞いた時から虜にされた。正確に言うと、初めの一音で心を鷲掴みにされたような気がした。

あの世に逝かれた人のことを無責任に論じる傲慢さは怖いと思うが、それでもどうしても書きたくなったので書こうと思う。忍さんお許し願います。




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たった一音、たった一つの和音、たった一つの打鍵、それで伝わるものがある。同じピアノ、同じ譜面、なのに違う音が鳴る。なんと面白く、なんと興味深いことではないだろうか。そんなことを改めて思った。

一緒に忍さんのCDを聴いていた妻も「この人の音は違う」と言う。違う人間が聴いても、伝わる凄みというものがあるのだろう。

同じドレミなのに、違うドレミが奏でられている。

上手いと凄いは違う。上手い人はちらほらいるが、凄い人にはあまり出くわさない。練習を重ねれば多くの人はいつか上手いにたどり着けるが、凄いにたどり着ける保証はどこにもない。

上手いは必然の範疇にあり、凄いは奇跡の範疇にある。

だから凄いに触れると無性に嬉しくなる。大げさに聞こえるかもしれないが、生きていてよかったなと思う。





山田忍さんは凄くて、しかも上手い人だと感じる。

音楽知識の乏しい私にはあくまでも推測でしかないが、おそらく忍さんのような人でも一曲の中ですべての音がパーフェクト!というものではないんじゃないか。これはバッハでもショパンでもきっと同じではないかと思う。

どの音も一つとして外すことはないが、それは全てが完璧という事ではなく、たまに「完璧!」という音があるが、全てがそうじゃない。「んっ」「おっ」「やっ」という音と、「イエス!」という音が入り混じる。誰でもそんな感じじゃないかと思う。

ただ山田さんのような人が一味違うのは、完璧であろうが無かろうが一音ごとの凄みが圧倒的であるという事に加え、弾いた瞬間に、その音が耳に入った瞬間に、その音を前提としてその後の曲全体の流れを、瞬時に再構成していくんじゃないかと想像されるのだ。

一音一音ごとに、曲の流れを作り替えていく。既に出てしまった音を無視しないで、例えその音が不本意であったとしても、その音を次にどう活かすかだけを考える。常にその時その時の最高の次の音を繰り出そうとする。頭で考えては追いつかない。手が、体が、ハラが自動的にその作業を繰り返す。一曲の中で何百回も何千回もそれが繰り返される。



常人ではこうはいかない。弾く前に曲のイメージを用意する。弾き始めたら、初めに用意したイメージに極力忠実に弾こうとする。練習通りに、先生に指摘されたことを忠実に弾こうとする。それが普通の人であろう。

少し熟練した人ならば、曲の最中に何回かイメージを軌道修正することができる。自分の調子、ピアノとの相性、ホールの響き方、客の反応などをみて、より好ましい流れへを演奏を軌道修正する人もいる。

しかし本当に上手い人はそうではない。

曲の途中で何回か・・・そんな甘いものではなく、一音一音ごとに軌道修正をかけ、新しい流れを作っていく。あの切れ目のないような音のつながりの中で、コンマ何秒という世界で確実に一音一音に軌道修正をかけて、結果的に全ての音が必然であったという世界を曲の中に創り上げ、最終的に自分の思い通りの楽曲に仕上げてしまう。そして観客を熱狂させてしまう。

本当に凄くて上手いという人はこういうことをしているはずである。山田忍さんの演奏を聴いて、私はまた考察を深めることができた。



上手いと凄いは違う。上手い人も必要だが、凄い人はなかなかに得難い。だからこれから何かに取り組もうという人には、上手さだけではなく、凄さという物差しも持って練習してみてほしい。また違う取り組みになるはずである。

もしその過程で山田忍さんのような人に出会ったら、きっとその時は、逃げずに挑んでほしい。己の限界に果敢に挑み、嫌というほど何千回と打ちのめされながら努力するのもまた気持ちよいものである。




私はそんなひたむきな努力を見つめながら・・・






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コーヒーでも淹れて忍さんの音楽を聴いていたいものである。












三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-03-19 21:09 | 職人

センスクイズ(中級)


前回の「センスクイズ」。いきなりの出題の上、当日回答〆切という無茶ぶりにもかかわらず回答を寄せられた皆さん、どうもありがとう。楽しく拝見しました。

参尽もブログで上げていた通り、答えは「軸の有無」ということでしたがどうでしたか。簡単すぎた!という人もいたみたいなので、今日は第2問を用意しました。ちょっと難しいですが、これは非常に考えるのが楽しいクイズです。チャレンジしてみてください。

では。


<センスクイズ第2問>

「丹足をする動物のイメージは、鳥が一番良い。それはなぜか。」

丹足をさせるなら、鳥がいいんです。ゴリラでもライオンでもカンガルーでもいいけれど、鳥が最適なんです。ツバメでもハトでも、鶏でもペンギンでも。もちろん今話題のダチョウでも。とにかく鳥類がいい。哺乳類より鳥類がずっといい。ちなみに爬虫類・両生類・無脊椎動物はいろいろなタイプが居てややこしいので除外。魚類も足がないので除外。哺乳類と鳥類で比較すると、鳥類は丹足が上手くやれそうな何かがより明確にある。だから鳥がいいんですね。おっとっと、ヒントを言い過ぎ。

さあ、考えてみましょう。今回も正解者には本を贈ります。答えは参尽ブログにお寄せ下さい。(回答期限 3月21日)


ちなみに弟子二人は、このセンスクイズ第2問も撃沈。あまりに不甲斐ないので、今日の稽古の帰りに飲み代をおごらせた次第です。でも私の回答を聞いたら「言われたら。。。。ホント。考えたことなかったけど、ほんとそうですね。。。」とすごく感動していた。

5年、10年教えて、、、、やれやれです。






さて近況。


ここ数日の間にいくつかあった出来事がとても印象的で、なにか示唆的なものをも感じさせられた。結果としてそれらは、これまで私のハラの中で育ちうごめいていたものに対し、陣痛のような働きかけをしたようにも思う。

これまでやってきたこと、悩み続けたこと、その中で私は何を求めてきたのか、15年ずっと考えてきた。わごいちや千照館はゴールではなかった。整体が全てではなかった。健康が一番ではなかった。自分がどこに向かおうをしているのか。ずっと探し求めてきたものが、ようやく形になって見えた。ハラの中で卵が割れて正体が現れた。白地だった旗に書くべき言葉が見つかった。

使命に向き合って生きていこうと決めてきた。しかし同時に、何にも縛られず自由に生きたいと願ってきた。矛盾を飲み込めないふたご座にやきもきしてきた。

どうせ生きているのなら太い仕事を求めたい。あんたすげえ仕事をしたなと、おかげで助けられたよと今の世の人達が喜ぶ、未来の人達もすげえ人がいたなと驚く、そういう仕事をしたい。かねてからそう思ってきた。でもそれが何かが分からなかった。両手のますかけがずっと疼いていた。




我がライバルは、やはり1000年先まで残る薬師寺西塔を立てた西岡常一棟梁であろう。日本を外国の侵略から救い、今なお日本人にロマンを与える坂本龍馬であろう。その領域に割って入れるか、どうか。


日に日にたぎりゆくこれからである。











三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-03-19 02:40 | 仕事

センスクイズ(初級)


弟子たちに出したクイズが、思いのほか苦戦しているようなので、皆さんと一緒に考えてみようという今日の趣向。

わごいちに通っていて丹足に興味のある人、千照館の門人の皆さん、各種アスリートや武道家の皆さん、ダンサーの皆さん、姿勢に興味のある皆さん、どうぞ私からのこのクイズに挑戦してみてください。



こういう下書きを描きました。
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ダチョウがクマを踏み解しているイメージカットです。



「なんだそれ?」という人はこちらをクリック↓







「こういう感じでかいたらどうや?丹足の動きが分かりやすいやろ。」

とこのイメージを描いて、あとは弟子の参尽にまかせたところできてきたのがこれ。




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もういちど。




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これが・・・・・





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・・・・これ?






「まあ、これでいいよ。」

とGO!をかけたけれど、本当は納得がいかない。踏み手のダチョウが全然違う。こんなのは丹足じゃないし、ろくな整体にはならない。



何が違うかわかりますか?

下のダチョウでは、ろくな動きが出来ないし、ろくな効果がでないのです。





どこが違うか考えてみてみましょう。

これはセンスを問う問題です。





答えが分かった人は、参尽のブログにメッセージをどうぞ。正解者には僕の本をあげます。

回答期限は今日中ね。















三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-03-16 12:00 | 職人

メジャーの真剣


日本のプロ野球をみて思うことがある。

賛否両論あると思うが、力のある選手がメジャーリーグに行くのは仕方がないなと、それが日本の野球界にどのような影響を及ぼすにせよ、心情的にはどうしようもないのだろうなと想像する。

同じホームランでも、140キロの直球を弾くのと160キロの直球を弾くのとでは手ごたえが違うだろう。快感が全然違うだろう。同じ160キロでもそこに込められたソウルによってその重みは違うだろう。

結局なぜ何年も何十年も野球一筋にやってこれるかと言うと、渾身の本気の、研ぎ澄ました本気の一球で相手をねじ伏せる時の、相手を打ち砕く時のその快感!!!!が欲しくて、もっともっと刺激的な快感!!!!!!!が欲しくて、そういう気持ちがどんどん湧いてくるからやめられないのではないだろうか。

その快感が日本では得られない、これ以上の快感は期待できない、そう思ってしまったらもう誰にも止められない。そういう心情ではないかと察する。


自分はなぜ第一線で整体を続けていられるのか。なぜ癌に挑むのか。あの絶望的な手触りの子宮筋腫をほぐそうと思うのか。なぜややこしい症状ばかりを自ら求めるのか。

それは相手が助けてくれと言うからである。先生しか頼るものがないというからである。普段隠している自分の本音をさらけ出して、弱さもずるさもさらけ出して、それでも助かりたいと頼んでくるからである。この真剣に応えたいと思わせてくれるのである。自分も真剣にやれると期待できるからである。普段抑えている真剣を、さらに奥の真剣を引っ張り出せるかもしれないと思うからである。

世の中、金が一番ではない。金で動く範囲など水面だけである。水面の奥底の、深い所をかき混ぜてうねりを作ることができるのは人の気持ちだけである。ソウル、本気、真剣、魂、そういう類のものだけである。

今WBCを見ている人は多いと思うが、その真剣勝負を楽しみながら「どうしてイチローはアメリカに行ってしまったんだろう。力のある選手は、日本を去ってしまうんだろう。」ということを考えてみることが必要だろう。これは決して野球だけの話ではないはずだから。

自分のソウルを込めた160キロをそれに負けないソウルで受け止めてくれるキャッチャーを、はじき返すバッターを求めるのが人間の心情というもの。去る人間を引き留めることは誰にもできない。できるのは自分がそういう人間のよきキャッチャー、バッターになることだけ。そういうものじゃないだろうか。











三宅弘晃

今日の丹練
・四股300丹


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by wagoichi | 2017-03-11 10:45 | 丹練

体育に丹足をする


昨年からずっとわごいちの「想念の間」(スタッフルーム)の壁に貼ってある紙がある。

日付をみると、平成28年の10月27日とある。
もっと前からあったと思ったけれど、まだ4ヶ月ちょっとか。


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数年前に、学校でヒップホップを授業に取り入れるというニュースがあったように思うが、その後どうなったのかな。

このニュースを聞いたときには「ええとこ目を付けたなあ。」と感心した。


ヒップホップは良い。単にエクササイズのような運動になるだけではない。体の中心がしっかりして、それでいて末端は脱力した状態を体得できる優れた動きだから。あの動きをしようと思えば、しなやかで、それでいて芯の通った体になる。子供のうちにそういう動きを体に浸み込ませておくのはとても良いと私は思う。

しかしどうせヒップホップをやるのなら、阿波踊りをやったほうがもっといい。しなやかさと芯の通った体になるのはヒップホップも阿波踊りもどちらも優れている。しかし阿波踊りにはさらに下半身の粘りがつく。特に男踊りにそれが顕著だが、あの低い重心であの柔らかい足の動きを続けるのは相当な足腰の強さと粘りが必要になる。阿波踊りはとてもいいと思う。

総じて現代人は姿勢が悪い。胸を詰めて肩をすぼめて腰は反って足はO脚気味だ。こうなると息がつまって肩がこって腰が痛んで足も疲れやすい。マッサージ屋さんが儲かるばかりで、ろくなもんじゃない。

さらに心配なのは、姿勢の悪さが大人だけじゃなく、子どもにも目立ってきたことだ。お腹をすかせて野山を駆け回って遊んでいた時代の子供と、家でお菓子を食べながら勉強かゲームばかりしている今の子供で体が違ってくるのは当然のことで、だから昔は成人病と言われた様々な病気が、今は子供にも増えている。この子達の未来はどうなるのだろうと、ただただ心配ばかりしている。

この子達を救うため、子たちに元気な大人になってもらい、しっかり働いて我々の老後を・・それはいいとして、またその次の世代を立派に育ててもらうために我々は何をすべきか・・・・

色々な事を考えてきて、色々なことに挑戦してみてきて、最終的にはこれだなと思ったのが、




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である。





丹足はやはりすごいものである。

しなやかで芯の通った体作りという観点で考えても、ヒップホップと阿波踊りには負けない。

さらに下半身の強さと粘りの養成という観点でも、阿波踊りと丹足は図抜けている。

その上で、阿波踊りにはなくて、丹足にあるものがある。


それは「癒し」だ。


「癒し」は「相手への思いやり」と私は解釈している。相手を踏みながら、「気持ち良いかな」「どんな感じかな」「楽になってくれるといいな。」そういう思いやりを深めていくのが、癒しと言う行為の真髄だと思う。

学校で丹足を習う。単なる踏み方だけじゃなくて、ハラの使い方、ハラをしっかり使って相手を踏む。どういう姿勢をとれば楽か、つまり自然な姿勢かということを自ずから学び取る。その上でしっかり上下運動をして体を鍛える。

順々に先生を踏んでみるのもいい。いつも叱られている先生を踏みつける快感もあってもいい。踏みながら「どうすればもっと気持ちいいかな」と試行錯誤するのがとても大事な経験になる。

さらに家に帰って「お父さんお母さん、学校で習ったから踏んであげるね。」なんて展開もあるだろう。じいちゃんばあちゃんには何よりの孝行になるだろう。自己鍛錬をしながら癒しを実現するには、丹足の右に出るものはないと思う。

癒しを通して心を豊かにし、踏みほぐしを通して、体をしなやかで粘り強いものにしていく。丹足の練習ならばそれができる。どんどん体力が低下している子供たちをもう一度強くして将来に備えさせる。なんとか日本の体育の授業に丹足を取り入れさせたいなあ。やっぱり体が強くないと、アレルギーやインフルエンザに怯えてばかりの未来にはしたくないなとずっと思っているわけです。



まあ、そう簡単には行くまい。日本中の小中学校で丹足を教えるようになるには、20年、30年かかるかもしれない。インストラクターも育てていかなくちゃいけないからね。

しかしこれだけ学校があるのだから、「面白そうだし子供たちのためにやってみよう」という学校が一つや二つは見つかるかもしれない。いきなり子供たちには難しくても、まず先生たちやPTAの親たちが体験してみてもいいかもしれない。それなら今すぐにでもできるかもしれない(むしろ今丹足が必要なのは大人なのだ!)

今すぐにでもできることはあるはず。できることからやっていけば、段々と理解者も増えてくるだろうと思う。



夢はでっかいほうがいい。でもそんなに難しいことじゃないかもしれない。なんせ気持ち良いからね。受ける方も、踏む方も。


でっかい夢に向かって、強くしなやかに歩んでいこう。


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三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-03-07 14:57 | 人生

太りたい?


テレビを見なくとも、新聞を読まなくとも、世の中の動きを感じることは出来る。

わごいちに来る人の口から、体から、そしてハラから今の世の中の動きを読むことができる。ここ数年目立って増えている相談は「太りたい」だ。

「太りたい?ぶよぶよの体になりたいの?」と聞くとそうじゃない。「脂肪だけじゃなくて筋肉も付けて、肉厚のある健康的な体になりたい」のだそうだ。そしてその為に「食べたものをどんどん吸収できる強い内臓を手に入れたい」のだそうだ。

女性も多いが、20代~30代のそういう男性が増えている。

そう考えてみれば、最近この大阪の本町でもスポーツジムがやたらと増えている。だいたい15年遅れで東京がアメリカの後を追い、5年遅れで日本各地が東京を追う、というのが私の持論であるが、ようやく日本全国がそういう流行になってきたのかもしれない。

「とにかく体を大きくしたい。そうすれば何かが変わるかもしれない。いやきっと変わる。自分が変わる。自分に自信が持てるはず。」

若者たちのハラに触れていると、そんな声が聞こえてくる。



沖縄からやってきた20代の男の子。先月来た時は、ロート胸、不整脈、下痢などが気になると訴えていたが、それらはそれほど心配ないよと話をしたら、一番の関心事は「太りたい」であることがわかってきた。

ジムに通い、サプリを飲み、とにかく体を大きくしようと努力している。10代の時に体が大きい友人たちを羨ましく見ていた自分を乗り越えるため、なんとか体を大きくしたいと願っている。「まず沢山食べて太って、それから鍛えて脂肪を落としていくのが理想的だ。」とジムのトレーナーにそう言われて、沢山食べようとするけれども、そうすると下痢をしてしまう。これは内臓が弱いんじゃないか、と思ったらしい。

それでわごいちにやってきた。

ハラを触ると、それほど問題があるわけじゃない。というよりも問題はない。ただ消化力を越えて食べ過ぎている事と、食べている内容がレトルトばかりなので、それが炎症を起こしていると話した。そんなに無理にたくさん食べても逆効果であると、そして何よりお米を炊いてご飯を食べよと、そういう話をした。

現代日本人はどうもお米を軽視する。糖質制限とか日本人のDNAを無視するようなことをやったり、赤身の肉ばかり食べたりとかしたほうが良いと勘違いしている人が多い。内臓の事を知らないトレーナーたちが勝手なことばかり言うもんだから、素人さんが勘違いするのも仕方がない。

その男の子が2回目に沖縄からやって来た時、お米を炊いて自炊する頻度が週に2,3回に増えたと言っていた。面倒くさいことは大嫌いらしいが、太るためなら頑張れるのだろうと思うと変に感心した。なによりその為だけに沖縄から大阪にやってくる熱意は買わねばならない。

その一方で、食べ過ぎない方が良いという私のアドバイスに関しては、なかなか理解できないようだ。食べ過ぎて胃炎や腸炎を増やしたら消化力吸収力が落ちるだろうというのは、子どもでもわかる理屈であると思うのだが、「食べる=太る」という思い込みの呪縛はなかなか解けない。

「ハラはそんなに悪くないし、食べ過ぎなければ調子よくなるんだから、通う必要あるかな。単に太りたいだけならば僕はあまりみたくないなあ。ちゃんと僕の言うことを信じて実践するなら、期間限定で通うのもいいけどね。その辺よく考えてきて。」

と伝えて2回目の整体は終わった。ぼんやりしている印象だった。

太るというのは、おそらく彼にとって最終目的にはならない。太りたいという願望の根底にあるもの、本当に彼に欠けているもの、それを見つけなければならないはずだけど、それがぼんやりとしているのだろう。そこに到達するにはまだ時間がかかるのかもしれない。




「胃が慢性的にもたれて苦しい。以前から病院で薬をもらって痛みをおさえている。でも治りはしない。」「腰が慢性的に痛い。」そして「太りたい」と言って8か月前から通い始めたのは、大阪の30代の若社長。

「お肉と油料理を控えなさい。」「腰の痛みは内臓からきているよ。胃腸と腎臓が傷んでいるね。」「太りたいならまずお肉と油を控えて、体を鍛えることだね。」と世間の常識からみると???なことばかりを言われた彼は、それでも治りたい一心で月に2回の通院と生活改善を続けてきた。

経営者である父親の突然の他界で、心の準備もないままの社長就任。それなのに痛む内臓と腰に体力と気力が削がれて困っていた彼は、とにかく私を信じて徐々に、しかし着実に生活改善を進めてきた。

わごいちで触れる度に、彼のハラは弾力をとりもどしている手応えがあった。胸板も厚くなっていく。「調子はどう?」「良くなっていっています。」という会話を繰り返すなかで、おそらく彼の中でもこれでいいという確信が深まってきたし、私も彼の、そして彼の家族と会社の助けになりたいという気持ちはより強まる。

「これはとっておきやで」と彼を見込んで、特別な丹練法を伝えたのは昨年末くらいだろうか。もうこの頃には胃の不調はほぼ完治までたどり着き、腰痛もなくなり、胸回りががっしりとしてきて、見るからに逞しい姿になってきた。面白いもので体が強くなると表情にも声にも力が付いてくる。

1年も経たずに彼はすっかりと変わってしまった。もう不調なんて気にならない。太れないなんて悩みはない。これをすれば体が強くなるという自信を手に入れている。






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別にわざわざジムに行かなくとも、毎日15分も丹練すれば筋肉はついてくる。




最後は東京の若者。

やはり「太りたい」と言ってはじめてわごいちに来たのは、1年くらい前だろうか。

「ジムに行ってもいいけど、自分で努力できんからといってジムに頼るようでは、結局なんにもならんで。家で腕立て伏せを毎日することから始めたらいいんとちゃうか。」

やはり彼も胃腸がわるいから太れないんじゃないかとおもってわごいちに来たわけだけど、内臓はなんにも問題がない。問題は違うところやろ、と言われてへこんで帰ったのだけど、それから毎月きっちり山水を受けに来る。

そんな彼が先月来た時に言う。

「引っ越しして会社から徒歩40分になったんです。」「よかったやん。じゃあ行き帰り歩いてるんや。」「いえ、まだ寒いので暖かくなったら歩こうと思ってます。」

「お嬢か!!!!」

と思わず突っ込んでしまった。「今、歩かんでどうすんねん。暑かろうが寒かろうが歩くんや。それが大事なんやろ。」というと彼はびっくりへこんでしまった。

「あんな、」と続けた。

「あんな、良いこと教えたるよ。単に歩くだけじゃもったいないからな、今日帰ったらな、スーパーで水を買うんや。2リットルのペットボトルを2本な。それをリュックに入れてな、仕事道具と一緒に背負ってな、毎日それで出勤するんや。」「それでな、その水は飲むんやないで。封を開けずに会社まで運んで、封を開けずにまた家まで帰るんや。開けんまま毎日毎日通勤するんや。」

それを聞く若者のハラが硬くなる。

「周りの目を気にしたやろ。ええねん、ほっといたら。もし笑ったりバカにするやつがいたら、心の中でこう思ったらいいねん。こいつにはこの200円のペットボトルの本当の価値がわからんのや、とな。」

ハラが少し反応をする。

「僕が言いたいのは、本当に大事なことは何かという事や。家でこたつでぬくぬくしながら自己啓発本よんでいる奴と、黙々と水を4キロ背負って通勤する奴とどっちが将来ものになるか、という話や。見てる人は必ず見てる。そういう人は必ずいるから。」

別に特に不調もない若者が、どうしてわざわざ東京から大阪まで毎月わごいちに通ってくるのか。毎月私に会いに来る。ハラを見せに来る。そんな誠意もまた意味がある。

おそらく今の彼の周りには彼を深く導く人間がいない。その人間が現れるように私は彼を導く。その人間が現れるまで。





愛刀と丹錬の後。

私は別に筋肉が欲しくて丹錬をしているわけじゃない。

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何が大事なのか、が見えない時代である。だから人達はわかりやすいものに惹きつけられる。

自分には何かが足りないから、違うもので埋め合わせてごまかそうとする。なぜ太りたいのか。なぜ若く見せたいのか。なぜ人の目がそんなに気になるのか。

自分のハラにきいてみたらどうだろう。














三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-03-05 16:31 | 教育

照千一隅

少し気になって、どのくらいの資産を自分が持っているのかを確認してみたところ、意外に多くの資産が眠っていた。私の固有資産は、大きく3つあるようだ。

一つ目は「ハラ揉み」という技術である。

わごいちで日常的に行っている施術。ハラを揉む。ハラを中心として全身を揉む。ハラを中心に肉体の滞りを揉み解し、萎縮したココロ、硬直したアタマにハラから熱い血を流していく。そうして人間を本質から改造しようとする施術。

この資産は今のところ私がほぼ全てを独占している。二人の弟子が一生懸命にその修得に励んでいるが、まだまだ入り口に入ったところでジタバタとしている。5年10年やってこれだから、この資産をどうやったら相続できるだろうかと途方に暮れている。今、私が死んだらこの資産は霧散する可能性が高い。

二つ目は「丹足法」と足で踏むほぐし法である。

元々は「足圧法」という名前で柔道整復師の桜井寛先生から教わった技術だが、この足圧法を施術者の自己心身鍛錬法へと昇華させ、その恩恵として足圧法よりもはるかに大きな施術効果を実現したのが「丹足法」だ。これも私が産み出した。

丹足法はハラ揉みよりは修得しやすい。また丹足法はハラ揉み修業の入り口という側面も持っていて、先述の弟子2人もそれなりに使えるようになってきた。この資産相続は曲がりなりにも進んでいる。と言ってもみっちり教えても数年かかっているのだから、これをどうやってより効率的に遺していくかが課題である。

三つ目は「体質改善ノウハウ」である。具体的には呼吸法や姿勢法、歩行法、食事法、丹錬法などがある。

日常生活の中で、我々はどのように暮らしていけばいいか。どのように体を使っていけばいいか。どのように鍛えていけばいいか。どのように食べていったらいいか。移り変わる時代の中で我々の心身もまた変化していく。この気付かぬうちに進む変化を感じ取り対処出来るかどうかで、人生は全く変わる。ハラを中心に心身に触れ続けてきた私ならではの理論とノウハウは、実際のところ貴重な資産ではないかと密かに思う。まだごく一部しか公開できていない。大半は私の頭の中にあるままなので、このまま死んでしまうとそれらも一緒に灰になる。

以上、三つが私の主な固有資産となる。もちろん金もいくらかはあると思うが、そんなものは微々たる話である。

さて、この資産たちをどう相続していくか。それが問題だ。

人間はいつ死ぬかわからない。いくら健康に気を付けても、車が突っ込んできたらどうしようもない。あと30年ほどは生きられるだろう、という楽観は無意味であり、時に有害でさえある。なるべく死なない努力はしたいが、突然の死の来訪に備えておくこともまた大事だだろう。

そういう意味において、「技術の伝承」というのは、我々チームわごいちにとって積年の議題となってきた。元気なうちになるべく技術を伝えようとする師と体得しようとする弟子と。また千照館の稽古を通してなるべく多くの人たちに、その断片でも伝えていこうという努力も行ってきたつもりではある。

しかし世間を見渡せば、誰もハラに真剣に向き合おうとしない時代である。美肌とかダイエットとか筋肉美とか、体の表面ばかりに気が行って、内部に意識をなかなか向けない。内部の中心であるハラへの関心を持つ人間が少ない。もう未来の大人達の心身は病み始めているのに。だからこそ、今の時代の人たちにハラの大切さを伝える努力と共に、後世に「ハラ文化」を残していく必要性を感じている。

「ハラ文化」を遺す。私にとって「ハラ文化」が私の資産という感覚はない。日本伝統の、社会全体の共有財産にしていかねばならない。無二のものであり、根源的なものである「ハラ文化」を構築し、伝える。命ある限りこの事業に私はまい進しよう。それが与えられた命に対する礼であろうから。

雪も解けてきたし、そろそろまた動き出さなくてはならない。雌伏の間に悟り得たことを糧とし、一からハラ文化を築いていこう。

しかし文化は一人では作れない。ハラを感じて生きたいという人間がどれほどいるだろうか。現代の危うさに気付き、未来を想い汗を流せる人間がどれほどいるか。これからどのような出会いがあるだろうか。その出会いの数と熱意の総量によって、ハラ文化の展開が決まってくるだろうと思う。

どんな状況になれども、例え一人になっても、与えられた命に礼を尽くしたい。

照千一隅、私はただその一心である。








三宅弘晃

今日の丹練066.gif
・階段四股100丹
・四股歩き100丹
・四股300丹


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by wagoichi | 2017-03-02 17:11 | 仕事



「原点が導くこれから」という感じでしばらく探り書きです。

by 三宅弘晃
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