照千一隅への道のり

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玄人はだし

今日は2か月に1回の、わごいちスタッフのお楽しみ、蕎麦の日。

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「玄人はだしという言葉は、この蕎麦のためにある。」と言いたくなる達人の蕎麦を皆でいただく。

福井県勝山から蕎麦を仕入れ、ベランダの石臼でひき、客に振舞う。1日1組、4名までの限定蕎麦である。割したは20年以上継ぎ足しらしい。商売ではない。あくまで蕎麦好きの一心で20年以上蕎麦を打ち続けておられるご主人の蕎麦はまさに絶品である。


このご主人の蕎麦を食べるたびにプロとは何なのだろうか、と考える。

かつては少年野球チームのオーナー兼コーチをされていた。ゴルフの腕前はかなりらしい。独学で習得したハーモニカを手に老人ホームの慰問を続け、自宅工房で着物をリサイクルして行燈を作る。わごいちの行燈はこのご主人のところから2か月替わりでレンタルしている。

とにかく人を驚かせ、喜ばせ、笑わせるのが大好きなご主人である。こんなエネルギッシュで明るい人がいるものかと、いつも話していると自分もつられて元気になっているのを感じる。

そんなご主人が打つ蕎麦がまた旨い。私は蕎麦通というような者ではないが、このご主人の蕎麦より旨い蕎麦を知らない。


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聞けば、これまでうまい蕎麦屋があると知れば必ず食べに行ってきたそうである。食べに行き、蕎麦がイマイチならばつゆだけ飲んで帰る。つゆがイマイチならば蕎麦だけ食べて帰る。蕎麦もつゆもイマイチならば全部残して帰る。お勘定の際に「評判ほどじゃなかったね」と笑って言い残して帰るそうである。その代わり本当に美味ならば通い詰めて、丁々発止の会話を主人と繰り広げながら味を盗むそうである。

世の蕎麦職人のどれほどがこういう当たり前の努力をしているだろうか。


しかし何度も言うが、このご主人はプロの蕎麦職人ではない。無類の蕎麦好きなのである。

プロとは、職人とは何であろうか。





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〆の大盛取り分け親子丼。「今年の蕎麦粉の在庫が尽きたから」だそうだ。


蕎麦粉が尽きたらその年の蕎麦打ちはおしまい。他の産地の蕎麦粉で補ったりしない。商売じゃないんだから、蕎麦粉が尽きたら仕事仕舞いなのである。

プロの蕎麦屋ではそうはいかないよなあ。「蕎麦粉ないから、新そばまで店閉めるよ。」なんて言ってたら、そのまま永久に店を閉めたままになりかねない。店がつぶれないように利益を確保しながら、味を作っていかなくてはならない。ましてやこのご主人のように1日4人までなんてなかなかできない。

でもだからと言って、商売だからと言って、材料も手間も妥協してしまうプロが多すぎる様にも思う。「そんな手間かけてたら商売になんねーや。」「いい材料使いたいよ。でもいい材料使って利益出すのは無理だよ。」と言いながら、化学調味料を平気で使うプロが多いのもまた悲しき現実。



職人はやはり素人の延長にありたい。

あくまで素朴な興味から始めたい。はじめから稼ぐための仕事ではなく、まず興味から入りたい。興味を持ってやってみて、やってみたら難しくてでもそれが面白くて、やればやるほど発見とさらなる深みに直面して、もう益々どっぷりとはまり込んで、気が付いたら30年職人やってた、そういう仕事でありたいと思う。





近頃は本当にえせプロが多い。一見こだわり風のえせプロなんかも多いから余計にややこしい。本当のプロ中のプロはごくごく一部のように感じる。そしてそんな本物のプロが、一見素人の中に居たりする事もある。いや大いにありうる。実にややこしい(笑)。

こんなややこしい社会に暮らす私たちは、看板や評判に左右されず、大いに自分の眼を養って本物を見つける力をつけたいものである。グルメサイトの口コミ評価も金次第とされる時代である。何が正しいのかわからなくなってきている。

同時に職人志望者も、どう自分が修業を積むかはよくよく考えた方がいい。「だれでも2年で1人前に」なんてキャッチコピーにはくれぐれも要注意である。それはつまり「誰でもなれる程度の職人にしかなれない」と言っているわけだ。



「新そばきたら連絡するよ!」

と、ご主人の次のお誘い。


「君にもこの蕎麦を食わせてやるよ」

と私に言わせる若い才能が出てくる日を楽しみにしている。








弘晃

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066.gif今日の丹錬
・階段四股100回
・四股400回


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by wagoichi | 2016-11-30 16:14 | 職人

めくるめく潜在意識


昨夜は隣で眠る娘が散々蹴ってきたお陰で、夜中に何度も目を醒ました。

何度も目を醒ますたびに、その直前にみていた夢を思い返した。一度目を醒ますたびに、その直前に一つ二つの夢を見ていた。

夜中のことなので正確にカウントしたわけではないけれども、数回おこされて、その度に一つ二つの夢を見ていたのであるから、少なくとも昨夜に10個ほどの夢を見ていたことになる。しかもそれぞれが脈絡のない、どうしてそんな夢を見たのだろうかと我ながら思うような夢であったことが印象的である。もしかしたら潜在意識の表れなのだろうか。

それにしても、こんなにも自分は夜中に多種多様な夢を見ているのかと、我ながらとても驚いた発見だった。



数日前に施術を受けに来た31歳の女性に諭したことがある。

彼女は司法試験に合格し夢の弁護士に向かっているのだが、間違いない夢の成就に向けて、慎重にキャリアを積んでいる。だがその綿密なキャリア計画が思うように進まず、にっちもさっちもいかなくなっていると私に打ち明けた。

「あなたは頭で考えすぎる。いろいろなリスクを考えすぎて行動が億劫になってしまっている。頭で考えすぎなんだよ。行動の中で考えていったらいいんだよ。」

そういうことを伝えた。



人間という者は、頭ですべてを計画し、行動を管理しようとする。けれども頭はそれほど賢くない。刻々と変化する現実のすべてを読み通すことなんてできはしないし、あらゆる変化に完璧に対応する事などもできない。

それなのに人は、頭を頼りに人生を歩もうとする。頭が一番間違いがないと思いたくなる。



昨夜私がみた夢の断片の数々。44歳になって改めて自分の頭が支離滅裂な潜在意識の映画館であることを思い知った。夢に一貫性などない。常識もない。なんだこのストーリーは!というような夢が、たった一晩の内に、幾種類もの夢が私の頭の中を駆け巡っていったという驚き。我が頭の正常さを疑わずにはいられない一夜だった。

おそらく毎晩、私の頭の中には脈絡のない夢の上映が繰り広げられているのだろう。


もしかしたらそんな現象は、私だけかもしれない。私だけがおかしい人間なのかもしれない。その可能性は否定できない。

しかしもしかしたら、そんな人間は私だけじゃないのかもしれない。あなたの夜の頭の中も、私のような脈絡のない潜在意識の上映会が繰り広げられているかもしれない。その真偽のほどは誰にも分らない。


しかし私は敢えて声を大にして言いたい。

自分の頭は完全に理路整然としている、そう考えている人間はどうしようもない。取り付くしまもない。話していてもつまらない。

自分の頭は摩訶不思議のワンダーランドである。とうてい理解できない。だから私は私のことを信頼できない。そういう人間の方が安心して向き合える。話すのが楽しい。話を一緒に深めていくことが出来る。

そんな風に思う。



人間には、人間には理解できないワンダーランド、潜在意識というものがある。その謎めいた潜在意識がある以上、決して私は自分を完全には理解できない。そういう潜在意識を無視して「私はこういう人間だから、こうするのがいいはず。」なんて頭から断言をしているようだと、その人の人生は危うい。どんどん自分の真実から遠ざかっていくのではないだろうか。

弁護士を目指す彼女も「そうですよね」と、涙ぐんで帰っていった。

「自分はこうであるから」と自分で自分を決めつけて生きる方が簡単である。でもそれでは永遠に自分が見えなくなる。わからないままでいいのである。頭で考えるのではなく、行動の中で本当の自分を探し求めていく、摩訶不思議な自分もまた自分であり、自分の実体の一部ではなかろうかと受け止めてみる。そういう粘り強い自分探しを模索したいものである。









弘晃

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066.gif今日の丹錬
・四股300回
・木刀300回
・無呼吸木刀100回


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by wagoichi | 2016-11-29 23:59 | 日常

二度とない仕事


「毎回違う施術をされますね」

と、お腹を揉まれながら話されたのは、子宮筋腫の悩みで最近通い始めた小学校の先生。

「そうですね。毎回おなかは違うし、この瞬間も刻々と変わっていっているし。それに合わせないと。」と応えると、「なまもの相手ですものね。」と納得された。


その先生は面白いことを話された。学校で子供をきつく叱らなくてはならないときは、手を握って叱るんだと。そうすると子供の納得の仕方が全然違うんだと。10年教師をやってきて、ようやくそういうことが分かってきたと。良い話だなと思った。

さらにこんなことも教えてくださった。

小学生でも低学年の子はべたべたと触って甘えてくるが、高学年になると男の子はベタベタできない。それでもベタベタしたい子は、「先生肩こってるやろ」とか言いながら肩を揉んでくれるそうだ。甘えたいのだが、男女の分別はついている。そういう中での肩もみだという。

「OLに触りたいおっさん部長と同じ構図ですね」

あまりにいい話過ぎたので茶化してそう言うと「せっかくのいい話なのに!」と叱られた(笑)。




先生も広い意味では職人である。子供をすばらしい未来に導く職人である。整体師ももちろん職人である。心身をすばらしい未来に導く職人である。

職人仕事はいろいろありどれも素晴らしいものであるが、人相手の、人と言うなまもの相手の職人仕事はまた格別なものである。

自分がしっかり仕事をして成長すれば、その成果は相手の人間に照射される。その光を受けた相手の変化がまた自分に気づきを与え、その気づきがさらなる成長の糧となってくれる。

職人仕事の醍醐味である。



職人仕事にマニュアルは要らない。成功体験は次への糧としながらも更新していかなくてはいけない。成果の中に立ち止まっていてはいけない。その反面、失敗は置きざりにしてはならない。必ず検証して克服していかなくちゃならない。

と書くと大変厳しい雰囲気がするが、厳しいからこそ、乗り越えた喜びはその職人のものとなる。



二度と繰り返しのない仕事の中で「生きている」実感を味わう。

それが職人を続ける一番の喜びじゃあなかろうか。










弘晃

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066.gif今日の丹錬
・重刀200回
・力士四股100回


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by wagoichi | 2016-11-28 15:16 | 職人

都会の雨


都会の雨は外れくじ

せっかく降っても土がない

命を育む土がない


コンクリの上をぽたぽたと

排水溝をどろどろと

海を汚しに川下り


あーあ今日は外れくじ

そんな日もある仕方ない

雲にもどって再トライ






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弘晃

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・無呼吸四股100回
・四股200回


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by wagoichi | 2016-11-27 16:20 | 戯言

夢物語


このやたら旨そうな柿を見ながら、今朝見た不思議な夢を、

思い返していた・・・

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走っていた。息せき切って走っていた。友の元へ。


友の職場は人々の熱気で沸き立っていた。社長以下、従業員十数人が皆揃って戦争に行くという。


職場のテレビのニュースはこんなことを言っている。

「戦場で役立つ新しい毛布が開発されました。雨風を完璧に遮断し、汗で蒸れることはありません。これ一枚で野営する兵士の体調管理は飛躍的に向上するでしょう。」

そんなニュースを見ながら、「この毛布すげー。」「敵に奪われないようにお前、毛布の守備兵な。」「え、毛布の守備兵ってありなんすか。なんかかっこ悪いっすよ。」なんて会話で無理矢理に盛り上がろうとする友の同僚たち。

皆、不安なのだ。


友に会う。「今からでも遅くはない。辞退しろ。」と小声で私は言う。「いや、もう決めたことだから。」と同じく小声で友は言う。確かにこの状況で「やっぱりいきません。」と言うのはかなり勇気がいる。

「とりあえず『坂の上の雲』を読めよ。」と訳のわからないことを口にしてはじめて、私自身も空気に飲まれていることを自覚する。社会全体の熱気が異常なのだ。

「もう決めたこと、じゃないだろ。まだ何にも決めないままに行くことになったんだろう。」

帰り道でむなしく一人つぶやく。





・・・場面が変わる。・・・






大きな会社の大広間。労働組合の委員長が声を張り上げる。

「われわれの会社から、有志が戦地に赴くことになった。わが社にとって誉れである。今から私が諸君の前を順に廻る。戦地に赴むかん!という者は高く右手をあげ"行きます!”と声をあげてくれ。」

「行きます!」「よし!」「行きます!」「よし!」「行きます!」「よし!」

すでに今回の任命は社内に知れている。2年間の軍役で帰国後に役職が1つ上がるか、赴任拒否で、反社会人間としてこれから肩身の狭い思いをして働くか、どちらかを選ばないといけない。

委員長は私の前で止まり、顔をこわばらせる。私が"思うようにいかない”社員であることをすでに知っているからだ。

「諸君らの手は何のためにあるか。尻の穴を拭くためにあるのか。大事なものを守るためにあるのか。わが手を見てよくよく考えたまえ。ゆめゆめ尻の穴を拭くためだけにその手を使うことなかれ。その誇りある手を、高く高く掲げたまえ。」

と、わざわざ私の目の前で声を張り上げる。全員一致で赴任させないと、彼の面目がつぶれるのだ。

「行くか!」と彼は私を睨みつついう。

「行きません」と私は応える。

「他の仲間に対して恥ずかしくないのか!」「君の恩義ある上司のキャリアに傷をつけるというのか!」「自分一人だけ安全ならいいのか!」「そんなに命が惜しいのか!」

次々と浴びせられる怒声を受け止め、「断固行きません。」と応える私。

 


・・・夢から醒めた。

何とも不思議な夢を見たものだ。夢なのに珍しく細かいところまで覚えているものだ。不思議な目覚めだった。



現実的に考えれば、私のような44歳の老兵が戦地に召集されることはあるまい。私はとっくに軍隊適齢期を過ぎてしまっている。腰が痛い、目がかすむ、そんな老兵は戦地では使い物にならない。

だから軍隊適齢期の若者がこの夢を見ればよかったのにと思う。現実に戦争が起こるような方向にじわじわと進んでいる今だからこそ。


昔、太平洋戦争をした日本人は間違っていた。おかしかった。そんな風に学校で教える先生がいた。あの時代の日本はおかしかった。我々のじいちゃん、ひいじいちゃんたちは、おかしな日本人だったと。でも現代の我々は違う。違っていなきゃならない。そんな風に教えられた。

でも果たしてそうだろうか。

今、日本が戦争を始めたら、国とメディアが上手くやれば、兵隊を集めるのは不可能ではないと思う。「なんとなくそういうものだから」という理由で学校に行き、会社に就職する人間が、「なんとなくそういうもの」として軍隊に誘導されないという保証はどこにもない。


私はなんとなくそういうものである戦争にはきっと行かない。例え周りから非国民と蔑まれても石を投げつけられても、世の風潮に流されない類いの人間であることは、私を知る人は皆、想像がつくだろう。

なぜ「なんとなくそういうもの」に流されないと確信を持てるのかと言うと、私は普段から「自分はどう生きるべきか。」「何のために働くのか。」「どう死にたいか。」ということを常に考える習慣を持っているから。

普通の人が「そんなことを考えても仕方がない。」ということを、大真面目に考える類の人間だから。そういう人間は、世の風潮に流されることがない。権力に操られることもきっとない。






今を生きる若者に言いたい。

一つ一つ意味を考えよう。「どうして勉強するのか。」「自分は何をしたいのか。」「今自分は本当に頑張っているのか。」と。

いつも答えを持っていなくていい。答えは大事ではない。

答えを探し続けることそのものがきっといつか財産になる。



なんとなく学校や会社に行かないでほしい。

小狡い大人に人生を台無しにされないように、しっかりと生きて欲しい。




44歳の軍隊適齢期を過ぎたおっさんからの忠告である。











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弘晃

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・階段四股100段
・木刀400回


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by wagoichi | 2016-11-26 16:43 | 戯言

篤姫の下ネタ


『天璋院篤姫』を読み始めた。

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その中に、薩摩の姫君は厠に1人では行ってはならないとあった。侍女が必ず一緒に厠について行き、足した用の後始末、つまり尿や便をふき取るんだと。

その後、

「おちょうずたくさんでごさいます。」(おしっこ沢山でました。)

「やわらかいおとうとでございます。」(柔らかいうんちでした。)

と老女(侍女の責任者)に状態を報告する。これが大人になっても続くのだと。。。。


このある種の拷問にも見える昔の高貴な家の風習に、ちょっと同情してしまう。でも同時に、理にかなっているなと感心もしてしまう。



やっぱり日々の尿や便の状態を観察するのは大事。特に便は。

私の場合、日本酒を飲みすぎたり甘いものを食べたりした翌日は、甘臭い便になる。滅多に食べないお肉や臭いのきつい食べ物を食べると、翌日すっごい臭い便になる。「便は雄弁なり」と便所でひとり感心し、食事内容を反省することしきりである。

昔、日本のほとんどの便所が汲み取り式であったころ、汲み取り作業員の中には、「この家には癌患者がいる。」と便の臭いで判別するものが居たとか居ないとか。今の時代ではもうそういう話は聞かないが、実際にあったとしてもうなずける話だと思うよ。



医療はどんどん金がかかっていく。

検査もCTとかMRIとか、あの機械は何億円もするんでしょう。オブジーボがすごい高すぎて、これからあんな高い薬が次々出てきて、いずれ医療保険制度が崩壊するんでしょう。


今日から皆、自分の便の臭いを嗅いだらどうだろう。

なんでもかんでも病院任せにしちゃいかん。臭い便が出たときは前の日に食べたものを思い浮かべて、食生活を見直していけば、社会全体で見れば病気は確実に減る。ということは医療費も減る。お医者さんも過労死から免れる。いいことずくめじゃない。



「便の臭い嗅いだらよろしいどすえ。ほほほ。」

と、昔の人が笑っていそうな現代社会だね。











弘晃

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066.gif今日の丹錬
・無呼吸重刀200回
・無呼吸四股200回


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by wagoichi | 2016-11-25 18:24 | 戯言

難儀な癌


昨日は実弟の見舞いに行ってきた。急性骨髄性白血病と言う、いわゆる血液の癌で入院している。

身内が癌になる、というのは小さくない出来事であろうと思う。その家庭環境によってどんな模様の波紋になるかの違いはあるだろうが、決して小さくない波紋を広げることになるだろうと思う。それが癌と言う病気のインパクトであろう。

両親は耐えきれないほどのインパクトを受けたはずだが、しかし懸命に前を向いて、無菌病室から一歩も出れない息子の代わりに各種手続きに走り、毎日交互に病院に通いながら差し入れをし、日々の洗濯物を引き取り、洗い、届けている。姉(私にとっては妹)は3人の幼子を育てる身でありながら、遠く福井から京都の病院まで飛んでくる。家族に激震が走っているのは間違いない。

さて、私はどうか。





改めて癌と言うものはインパクトが大きい。

癌そのもののインパクトもあるが、癌治療の副作用がまた新たなインパクトを引き起こしていく。いやおうなく命が天秤にかけられる。便利な社会で自分一人で生きてきたようなつもりもあった自分が、いかに人に支えられて生きてきたかを、どんなに一人では無力であったかを思い知らされる。

普段から人生を深く深く思い続ける習慣を持つ者は、そういう状況でも多分に落ち着いていられるかもしれない。しかし例え「2人に1人が癌になる時代」と耳にしたことはあっても、心のどこかで自分とは関係ないことと目を背けてきた者にとっては、「突然の理不尽な災厄」に対する怒りと嘆きを押さえきれないのかもしれない。「どうして自分が」と思い悩み、しかしいくら悩んでもどうにもならない現実に圧し潰されそうになる。



自分の中に癌細胞がいる。それは癌細胞も自分の一部であるということ。その<癌細胞を作ったのは自分である>ということ。つまりこれまでの自分の生き方が、癌細胞をつくる生き方であったということに、どれだけの人が思い至るかどうか。

そこに納得できれば、癌を自分の体の中から無くすには、<癌細胞を作る自分を癌細胞を作らない自分に変えるしかない>ということがスッと腑に落ちるはずだ。

例え抗がん剤で癌細胞を一旦死滅させたとしても、癌細胞を作る自分がそのままなら、また癌細胞はつくられる。抗がん剤だけでは治りきらない可能性とその理由についても、自ずと想像できるであろう。




手遅れになる前にこのことが腑に落ちれば、その患者は助かるかもしれない。もちろんこれらのことは既に弟にも伝えているが、今はまだ私の助言に「納得できないところがある」と言う。今まで真逆の人生を歩んできたのだから無理もないことである。

癌と言うのは難儀である。インパクトが強すぎて、副作用が強すぎて、その割に自分を見つめる時間が短すぎて、自分を変えるまで待とうとしてくれない。














弘晃

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066.gif今日の丹錬
・力士四股200回
・よさこい四股100回
・重刀100回


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by wagoichi | 2016-11-24 15:17 | ガン

新しい稽古法~階段四股~

新しい丹練を発見。階段さえあれば誰でもトライできる気軽な丹練であるが、けっこう効く。


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やり方は簡単。足を開いて腰を落として、這うように階段を登るだけである。ふらついて後ろ向けに落ちないように、両手はちゃんとつく。




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父もトライ。多少腰が高くなるのは仕方ないが、73歳にしてこのトライにあっぱれである。今後とも安全第一で宜しくお願いしたいところである。


階段の上まで行ったらそのまま逆に下り、いったり来たりする。回数はふらふらになって階段から転がり落ちない程度まで。数をこなすより一回一回しっかりと腰を落とすのが大事。





見ていた娘も参戦。



大人より段差が大きく感じるはずなのに、子供のなんと軽やかに行くものよ。


ネーミングはひねらず「階段四股」としよう。
よく効く新しい丹練メニューが増えたのである。








弘晃

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・鉄砲100回
・四股200回
・階段四股100回


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by wagoichi | 2016-11-23 12:46 | 丹練

男の仕事


昨夜は、久々に吞んだような気がする。

1軒目で、地酒をグラス4杯。2軒目で、同じく地酒を7杯か8杯くらい。2人で一升くらい呑んだような気がする。そう言えば締めに米焼酎もロックでいったような気もする。

まあそれくらいいい時間だったということ。



付き合ってくれたのはI氏。ほぼ同年代の男性。

I氏も私もモテ男なので、いつも飲みに行くときは女子供がついてくる。「たまには男二人で行きましょうよ。」とお誘いして昨日の呑み会となった。


呑みながらいろいろなことを話した。細かいことはいちいち書かないが、仕事のこと、家庭のこと、仕事で出会った人や出来事、親父さんたちの時代のことから今の若者のことまで、色々話をした。知り合って数年経って初めて、ゆっくりと互いのこれまでと今を共有した。

改めて男の仕事というものを考えされられた一夜だった。




仕事とはなんだろうか。生活費を稼ぐための活動だろうか。生きがい探しの活動であろうか。他になにか目的があるものであろうか。何十年と自分の貴重な人生の時間の大半を費やす仕事とは、一体どういうものであればいいのだろう。


I氏には7歳年上の兄がいる。I氏の兄は父親から家業である町工場と共に、借金も相続されたそうだ。ちょっとやそっとの借金ではない。目ん玉が飛び出すのを慌てて押さえなくてはならないほどの金額だった。

この家業と借金を、兄上が一身に背負い、弟であるI氏もできる限りの協力をして、近頃ようやく返済の目処が立ってきたらしい。誠にお疲れ様です、と思わず頭を下げたくなるお話を聞かせていただいた。


I氏は自分で商いをされているが、兄上の工場が忙しい時は手伝いにいくこともあるという。「もちろん兄上もそういう時は現場作業されるんですよね。」と訊くとそうではないらしい。兄上は現場にいる時はいつもスーツ姿。現場作業は絶対にしない。その代わり営業力は抜群で、びっくりするほど仕事をとって来るらしい。

「兄上の営業と他の人と、何が違うんでしょう。」と重ねて訊くと、「迫力でしょうね。」とI氏は答えられた。背負っている物が違うんだと。莫大な借入金を背負っているからこその迫力が成果に繋がるのであろうと。例え兄弟であっても、社長として家業を継いだ兄と、手伝いの自分では迫力は全く違う、ともI氏は言われた。



そうか、と思ったのである。

仕事とは背負いに行くこと、そういう仕事の向き合い方もあるのだと改めて納得した。不幸にもI氏の兄上は、絶望的なほどの借金を親から引き継がれた。自分が作った借金じゃない。例え工場の為の投資であったと頭では納得しても、いざ月々の返済額をみると、心がくじけそうにもなるだろう。実際にくじける人のほうが多いだろう。

しかし兄上はくじけない人だった。親の作った借金を自分の人生の中に受け止め、自分の仕事として返済のための懸命の努力をされた。借金もプレッシャーも全てわが身に背負われたのだ。

世の中にはこういう仕事の向き合い方もある。ただ単に生活費を稼ぐための仕事ばかりではなく、誰も責めずに責任を背負い込むような仕事の向き合い方もある。

「個性のきつい兄ですから、昔から今に至るまでぶつかることも多々あるんですが、結局兄が借入金を背負ってくれているから、僕はこうして自分の生活をできるんです。兄が自殺したり自己破産したら、借入金は僕のところに来るわけです。」

だからずっと振り回されながらも兄上を支え続けてこられたのだと、I氏は話してくれた。



やはり男の仕事は、生活費だけではもの寂しい。

背負うのだ。背負えるだけ以上のものを常に背負い、自分を鍛える。先の保証なんて何一つない。あるのは自負心のみ。それでも戦うのが仕事の醍醐味じゃないだろうか。

家族は大事である。家族を食わせるのは男の責任かも知れない。でも無事に食わせればそれだけでいいと思うか否か。家族を背負うのは当たり前。当たり前以上のことを背負いに行く、そんな男の仕事があってもいいのではないだろうか。


そう考えてみると、いつの間にか私の仕事もそうなってきていることに気付かされる。

家族の安泰だけが絶対条件ではない。場合によっては肉親の縁を断ち切っても仕事を貫かねばならないこともある。周りの人になんと言われようが引き下がらない。男の仕事はそう簡単には降ろせない、そういうものだと考えはじめている。

世の男たちが好きな、坂本龍馬も真田幸村も自分の仕事の為に肉親を捨ててきた。彼ら自身も天寿を全うできなかったが、果たしてそんな運命を呪っただろうか。おそらく逆じゃないかと思う。

時代錯誤と言うならそれでもいい。でも男の仕事は本質的には、変わらない。男と女という二つの性別がある限り、男だからこその仕事があるはずだ。時代が変わってもそれは変わるもんじゃないだろうよ。



そんなことを思った夜だった。










弘晃

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・無呼吸木刀100回
・よさこい四股100回

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・重刀100回
・力士四股100回


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by wagoichi | 2016-11-22 15:00 | 人生

効率学習と鍛錬


昨日は月に一度の無楽整体塾。太ももの外側と内ももの丹足を稽古。さらに四股踏み指導と、鍛錬について話をした。



日本の教育において「効率学習」という言葉をよく耳にするようになった。弱点を分析し、最も効果的なアプローチによって最短距離で学習効果を実現する。そんなところだろうか。

その一方であまり耳にしなくなった言葉もある。「鍛錬」である。千本ノックとか、素振り百回とか、腕立て百回とかうさぎ跳びとか、論語素読とか、そういうのはもう流行らない。

筋力を強化したければ、スポーツジムでパーソナルトレーナーの下でマシントレーニングに励むのが一般的である。(書いてみるとやけにカタカナが多い。)

何もこの傾向は野球やサッカーなどの西洋生まれのスポーツに限らない。最近は国技相撲であってもマシントレーニングをする力士も少なくない。

スポーツ科学的観点から作りこまれたマシンで、専門知識を持った指導者の下で、できるだけ効率的に、短期間で最大の効果を得られることを目的に練習メニューを組み立てるのが主流となっている。

この効率化はスポーツの世界だけに限らない。学校教育や受験教育において「効率学習」は空気のごとく当然のものであり、学生は「効率学習をしよう」なんてわざわざ意識さえしなくとも普通に効率的学習を享受できる。

厳しい競争社会に於いては、人よりも効率的に勉強したり練習したりすることこそが、勝利への秘訣なのであろう。



しかしその一方で、なんでもかんでも「効率」が一番とは限らないのが、生き物の世界の面白みである。

例えば下に紹介するのは、我が弟子 紙鳶の丹足風景である。



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何気なく軽やかに相手を踏みほぐしている。実際に紙鳶はこの丹足を4時間も5時間も連続で続けることができるくらいだから、軽やかに踏んでいるのは間違いない。軽やかに深く効かせるのが丹足の真骨頂である。

丹足のポイントは軸足、この写真で言えば右足にある。ある程度低い体勢を維持しながら体全体を上下反復運動を続けなくてはならない。それを軸足の内ももで支え続け、動かし続ける。

と、書いてしまえば簡単だが、実践するのはそう簡単ではない。

軸足が安定しない。普段多くの人は外重心で動いているので、内ももを使うことに慣れていない。「内ももを使うってどうやるの?」丹足に挑戦し始めたほとんどの人は、まずその壁にぶつかる。そして軸足が安定しないと踏み足がどうしようもなくなる。

「どうして外重心ではいけないのか、内ももじゃないと何故だめなのか?」という問いに対する答えは今日は控えるが、結論から言うと、丹足稽古は「内ももを使えるようになること」そして「内ももを使い続けられる強さを養うこと」が肝要であり、この二つの課題は、地道な鍛錬なしでは克服できない。



我が無楽整体塾の門人たちを見ていると、やはりこれまでの効率学習の習性を色濃く感じる。忙しい日常で、月一回の限られた稽古で、たまの自主練習で、いかに効果的に上手くなるか、そこへ関心が向きがちである。

一方で日々の鍛錬はまだまだのようである。「毎日休まず百丹(100回鍛練)してるか?」と訊かれて「はい!」と目を輝かせる門人がまだまだ少ない。5分あれば四股100回くらいは踏めるのだが。

この辺が現代日本のひ弱さを表しているように感じる。肝っ玉もちんちんも小さくなる一方である。


効率学習の目標というのは、極言すれば「ほどほどのところ(設定目標)まで達成する。」ということだと思う。受験勉強は、志望校に合格するレベルに達せれば良い。設定目標までの最短距離を志向するのであって、例えば合格レベルをはるかに超えて、教科書にのっていない深みまで興味をもって学問するのは、効率学習では良しとされない。

世の全ての学びにこの効率学習が適用されれば、世の中とてもつまらなくなるのではないだろうか。みんなほどほどの人生。世界もほどほど。大して違いがない。深みも面白味もない。



なぜ私は「鍛錬」を語るのか。

それは自分が「これだ」と思うものくらいは、効率学習を超越したいからである。ほどほどの目標に向かってぼちぼち頑張るなどと言う頑張りは、受験と仕事の中だけで充分なのだ。今われわれの人生に必要なのは、終わりなき鍛練への挑戦であり、たゆまざる自分自身の更新ではなかろうか。




私の元では小賢しい学習は要らない。
鍛錬あるのみである。








弘晃

055.gif: wagoichi◆excite.co.jp (◆を@に)
HP: わごいち(←クリック)

066.gif今日の丹錬
・四股300回
・無呼吸重刀100回

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by wagoichi | 2016-11-20 19:09 | 教育



「原点が導くこれから」という感じでしばらく探り書きです。

by 三宅弘晃
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