照千一隅への道のり

カテゴリ:日常( 6 )

ONE?TWO?


熊本市長から礼状が届いた。


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熊本研修旅行の1週間後に震災が起き、皆さんから託された義援金を届けたのが去年の11月だった。

(当時の記事はこちら↓)


仕事の合間の夜行バス弾丸ツアーは体力的に厳しかったが、権藤君の助けも借りて、熊本城、益城町役場、そして竹熊先生のもとに義援金を届けることが出来た。

竹熊先生からもお礼の著書50冊が届き、今わごいちの玄関で新たな義援金に生まれ変わりつつある。また秋くらいに第2次義援金ツアーをしたい。



地震の直後、研修でお世話になった竹熊先生にお見舞いをしたいと思い、もし自分が先生なら何が一番元気づけられるだろうかと考えた。

義援金も嬉しいだろうが、やはり私が先生なら、落ちた瓦の修理よりも自分が学び得た知恵を少しでも多くの人に知って欲しいと考えるに違いない。だから「学んで支援」というメッセージと共に、先生から購入した50冊の著書を皆さんにお勧めし、代金を義援金に充てた。

単にお金のやり取りだけではもったいない。本を熊本と日本各地の間で循環させようという考えだった。今回のことをきっかけに多くの人が竹熊先生の知恵に触れることが出来たんじゃないかと思う。




世間には「ボランティアなんて偽善だ」という人も居ると聴いてびっくりする。そういう人は、ボランティアや支援活動を「お恵み」として捉えているのかもしれない。

例えばわごいちで整体をしているのは、慈善事業ではない。税法上は営利事業である。しかしだからと言って営利だけを求めて経営しているわけではない。人の助けになりたいという理念に基づいた経営をしている。

「営利と理念」。言い換えれば「自分の為と人の為」。どちらも否定はできない。どちらも常に存在する。どちらも存在し、なおかつ不可分の存在である。共にひっくるめて人の営みであり、わごいちの整体である。

だからこそ「和合一致」という屋号を冠している。



私は皆さんに声を掛けて熊本を助けに行った。それはつまるところ、私自身を助けに行ったのであり、義援金を託してくれた皆さんを助けに行ったのである。

行動を起こしたことで、私たちは随分と力をもらった。確かに繋がっているという感覚が、生きている手応えを与えてくれた。

人があるから自分がある。自分があるから人がある。人と自分は分けられるものじゃない。それを分けようとするから心身のバランスを崩して人は病気になる。

ここに気付いている人は意外に少ない。



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TWOは寂しいよ。







三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-04-14 17:26 | 日常

ちょっと一休みの「考えない旅」


「10時から仕事のお手伝いに生徒さんたちが来てくださるから、それまでに家を出てね。」と妻に言われたのは、昨日の朝の出来事。週に一度の定休日は、妻が大雪で置きざりにしてきたマイカーを回収するために滋賀まで行くことになっていた。

ばたばたと来客を迎える準備をしている妻が「コーヒーでもいれましょうか?」と聞いてくる。「いや、忙しそうだから僕のコーヒーにつき合わせるのは悪いよ」と言うと、「私は手が離せないから、あなたの分だけコーヒー入れるわ。」と言う。やれやれ、これは早く家を出た方がよさそうだ。「ありがとう。そろそろ行くよ。」

妻の尻に敷かれる気弱な亭主を装ってみたくなるほどになぜだか弾む心を落ち着かせ、滋賀県へのおつかいに出発した。



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久々の路線バス、そしてJRを乗り継ぎ滋賀を目指す。

今回のミニ旅のテーマを決めてみた。「考えない」というものである。というのは、最近ふと「俺はどうしてこうもいつも仕事のことばかり考えているんだろう」と疑問に持つことが増えてきたからだ。仕事中はもちろん、ご飯を食べている時や電車に揺られている時や寝ている時でさえ、いつも仕事のことを考えている。体のこと、そして人間のこと、さらに社会のことを。

昔の自分はこうではなかった。学生時代はいつもぼーっとしていた。「三宅君はいつもぼーっとしているね。」とよく言われるくらいに間違いなくぼーっとしていた。なのにこの仕事をはじめてから自分は変わってしまった。幼い子どもと二人で風呂に入っている時にもついつい癌の施術をどうしようかなどを考えてしまい、しらーっとした目で子供が私を見ていることがよくあった。とにかく私はこの15年で随分変わってしまった。

こうやって一心に15年間考え続けてきたからこそ今がある。誰よりも考えてきたから誰も知らない発見を得てきた。それはわかっているが、そろそろそのスタイルも終点に到達したかもしれないと感じることが出てきた。ここまで骨の髄まで叩き込んできた「考えること」を極力なくしていくことが、行き切ったうえで本来の自分の「ぼーっと」に戻ることが、むしろ次の段階に繋がるのではないだろうか、と。



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しかし改めて「考えない」を試みるとこれが意外に難しい。どの電車に乗れば早く目的地に着けるか。速さだけじゃなく電車の込み具合も勘案して、ベストチョイスを無意識に探している自分を発見する。油断すると頭のどこかで自動的に行程を計算していることに気付く。「だから今日は考えないんやって!」と自分の頭に言い続けて電車を乗り継ぐ。「南の島で女性に働かせてのんびり木陰で寝ているあのおじさんの境地になるんだ!」と何度も何度もイメージして言い聞かす。

それでも自動的効率探求システムがあまりにもしつこく動き出してしまうので、そういう時は戒めとしてその度に乗り換えの電車をわざと見送った。「ああ、いっちゃった。」と一人ホームに残って電車を見送りながら写真を撮っていると、完全な鉄道マニアの完成である。ともあれ結局1時間で行けるところが2時間かかったのだが、結果的にそれが意外に快感なのはひとつの発見でもあった。





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滋賀は週末の名残雪でまだまだ真っ白。「線路は続くよどこまでも」いやいや続かないよ。いつか途切れるんだよ。人生と一緒だよ。とつぶやいてああまた!とこんなところまで説教臭い自分にうんざりする。

罰として、最後は電車ではなく歩行へ乗り換えることにした。目的地までどれだけかかるか分からない。道も全く分からない。最近覚えたスマホの地図アプリを使えば丁寧に案内してくれるが、もちろん使わないことにした。街の地図と町の人に尋ねながら、目的地を目指すのである。見知らぬ土地で目的地につけるのか。出発前から軟骨再生中の足首がズキズキと痛んでいたが「今日は何も考えない」と繰り返す。そうするとなんだか嬉しくて、ズキズキがドキドキに変わった気がした。



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雪中のネギ、うまそうだな。ネギや白菜は雪をかぶると甘みが増すと聞いたな。食べたいな。かじりたいな。この農家の人に出会わないかな。そしたら一本分けてくれませんかとお願いできるのに・・・なんて思って歩いていたら、案の定いきなり180度真逆の方向に歩いていた。田舎は歩いている人なんてほとんどいないから道を聞くことさえできない。歩く人がいないからだろう、地図なんてどこにもみあたらない。

まずスタート地点の駅からして、大阪の駅なら必ずある近辺地図さえない。歩くということを想定していないのであろう。いや、地図なしであるくというバカな人間を想定していなのだ。ああ、バカで結構。バカって快感。それでもたまに出会う人に親切に道を教えてもらいながら進んでいく。いいぞ、考えない旅らしくなってきた。

結局2時間歩いた。




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不思議な電信柱の反射鏡だなと。そうか、ここらは雪が深いから、電信柱が雪に埋もれても大丈夫なように上にも反射鏡をつけているんだとひとり合点。そういえば昔の新潟の線路保安員は、電柱についているカマキリの巣の高さをみて、その年の冬の積雪量を予測しているという田中角栄さんの話を思い出し、カマキリも人も自然に生きる人の知恵は偉いなあ、凄いなあ、こういう知恵を自分ももっと・・・と思って、いかんいかんまたなんか仕事への連想をはじめている自分を戒める。

「考えない道」は思いのほか険しい。





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野洲川。

「水はさやかに美しく、空のように青く、限りなき美に、ドナウは満ちる。」

なぜか滋賀の奥深くでドナウ川の歌を口ずさみ、ちょっと考えない旅に手ごたえを感じた。








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水口城。

半分溶けた堀に逆さに写る櫓。ああ、熊本城を思い出す。地震の再建はどのくらいまで進んでいるんだろう。現代に無用の長物は、守り伝えようという取り組みそのものが我々の財産になってくれているのかもしれない。

ほらまた色々考えようとする。なぜこの美しさをそのまま味わえないのか。

やっぱり仕事を考えないのは難しい。





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せっかくなのでお城の橋桁に手形を残してきた。

だんだん溶けて最後に消えるのがいいんだ。



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雪の重荷が溶けていく椿。

雪に震えるわが身の不幸を嘆かぬ自然。嘆くエネルギーがあるなら、雪の重みと冷たさに耐えるために使う。純粋に命を残すためだけに使う。生きるためだけに使う。だから枯れない。余計なことを望んで嘆いて消耗するのは人間特有の愚かさではなかろうか。。。。

ほらまた!








この後マイカーを無事回収して、義父とランチを。

数年前に肺がんと言われて、一切の治療を拒否して奇跡的に完治させた義父。全てにおいて一気に気弱になっていた当時から数年の時を経て、また強い義父が戻ってきつつある。良くも悪くもあるが、今はありがたく見守りたい。



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滋賀からの帰り道。

美しい一日だった。妻がくれたプレゼントだったのかもしれない。





帰り道にちょっと気になって京都に住む実の両親の顔も見てきた。

家事と介護ヘルパーの仕事をしながらほぼ毎日のように息子(我が弟)に手料理を届けている母はさすがに疲れていた。背中をさすりながら「大丈夫?」と訊くと、はじめて聞く昔話を聞かせてくれた。

母が物心つく前のこと、多分2歳とか3歳の時に腸カタルか何かの伝染病で入院し、命が危うい時があったそうだ。母の祖母は4人も娘がいる一番下の子だから諦めてもいいんじゃないかと言っていたそうだが、腹を痛めて産んだ母親はそうはいかず必死で看病してくれ、病院への治療費が払えないからと鶏をつぶして医者に届け、病室には沢山のホオズキで壁に飾り付けをして一生懸命励まして看病してくれたという話を、母は成長してから姉達に聞かされたらしい。

「私も一生懸命護ってもらったから、今そのお返しの時が来たのよ。」

と母は言った。





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物心ついてからの恩さえ忘れがちなのに、物心つく前の恩を大事に後に繋いでいこうという母親の凄みを垣間見た気がした。そしてこの母の遺伝子を継いでいるということが励みになる。

父とも久しぶりにゆっくりと話をした。さすがわが父だけに気難しいところも多々あるが、昔から親兄弟のことを語る瞳はいつも情愛に溢れていた。この不器用ながらも情愛に溢れた父母の命を繋いでいることを改めて自覚した。



とうとう「考えない一日旅」は終着駅についたようだ。持って行った酒を両親はことのほか喜んでくれた。



今日積もっていた雪は真っ白で綺麗だった。でもはじめて降った雪ではないであろう。何十万年と繰り返して降り続けてきた雪の歴史の刹那であろう。

私たちもまたそうであろう。










三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-01-20 00:50 | 日常

めくるめく潜在意識


昨夜は隣で眠る娘が散々蹴ってきたお陰で、夜中に何度も目を醒ました。

何度も目を醒ますたびに、その直前にみていた夢を思い返した。一度目を醒ますたびに、その直前に一つ二つの夢を見ていた。

夜中のことなので正確にカウントしたわけではないけれども、数回おこされて、その度に一つ二つの夢を見ていたのであるから、少なくとも昨夜に10個ほどの夢を見ていたことになる。しかもそれぞれが脈絡のない、どうしてそんな夢を見たのだろうかと我ながら思うような夢であったことが印象的である。もしかしたら潜在意識の表れなのだろうか。

それにしても、こんなにも自分は夜中に多種多様な夢を見ているのかと、我ながらとても驚いた発見だった。



数日前に施術を受けに来た31歳の女性に諭したことがある。

彼女は司法試験に合格し夢の弁護士に向かっているのだが、間違いない夢の成就に向けて、慎重にキャリアを積んでいる。だがその綿密なキャリア計画が思うように進まず、にっちもさっちもいかなくなっていると私に打ち明けた。

「あなたは頭で考えすぎる。いろいろなリスクを考えすぎて行動が億劫になってしまっている。頭で考えすぎなんだよ。行動の中で考えていったらいいんだよ。」

そういうことを伝えた。



人間という者は、頭ですべてを計画し、行動を管理しようとする。けれども頭はそれほど賢くない。刻々と変化する現実のすべてを読み通すことなんてできはしないし、あらゆる変化に完璧に対応する事などもできない。

それなのに人は、頭を頼りに人生を歩もうとする。頭が一番間違いがないと思いたくなる。



昨夜私がみた夢の断片の数々。44歳になって改めて自分の頭が支離滅裂な潜在意識の映画館であることを思い知った。夢に一貫性などない。常識もない。なんだこのストーリーは!というような夢が、たった一晩の内に、幾種類もの夢が私の頭の中を駆け巡っていったという驚き。我が頭の正常さを疑わずにはいられない一夜だった。

おそらく毎晩、私の頭の中には脈絡のない夢の上映が繰り広げられているのだろう。


もしかしたらそんな現象は、私だけかもしれない。私だけがおかしい人間なのかもしれない。その可能性は否定できない。

しかしもしかしたら、そんな人間は私だけじゃないのかもしれない。あなたの夜の頭の中も、私のような脈絡のない潜在意識の上映会が繰り広げられているかもしれない。その真偽のほどは誰にも分らない。


しかし私は敢えて声を大にして言いたい。

自分の頭は完全に理路整然としている、そう考えている人間はどうしようもない。取り付くしまもない。話していてもつまらない。

自分の頭は摩訶不思議のワンダーランドである。とうてい理解できない。だから私は私のことを信頼できない。そういう人間の方が安心して向き合える。話すのが楽しい。話を一緒に深めていくことが出来る。

そんな風に思う。



人間には、人間には理解できないワンダーランド、潜在意識というものがある。その謎めいた潜在意識がある以上、決して私は自分を完全には理解できない。そういう潜在意識を無視して「私はこういう人間だから、こうするのがいいはず。」なんて頭から断言をしているようだと、その人の人生は危うい。どんどん自分の真実から遠ざかっていくのではないだろうか。

弁護士を目指す彼女も「そうですよね」と、涙ぐんで帰っていった。

「自分はこうであるから」と自分で自分を決めつけて生きる方が簡単である。でもそれでは永遠に自分が見えなくなる。わからないままでいいのである。頭で考えるのではなく、行動の中で本当の自分を探し求めていく、摩訶不思議な自分もまた自分であり、自分の実体の一部ではなかろうかと受け止めてみる。そういう粘り強い自分探しを模索したいものである。









弘晃

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by wagoichi | 2016-11-29 23:59 | 日常

顔相



仕事柄、人の顔を観ることがある。

顔だけじゃなく、声や発する言葉、相手の言葉を受け止める表情、しぐさや歩き方なども観る。いつも注意して観ているわけではなく、自然に接していて?と引っ掛かる時があれば、その時に引っ掛かったその「要素」を観て分析する。

ああ、この人はこういう一面があるのだ、と。


世間一般で顔を見ると言えば、シワとかシミとかほうれい線とかたるみとか、そういうところに注意を払うと思う。だからみんな一生懸命にお化粧をしたり、エステに通ったり、鏡の前で表情の練習をする。

でも私はそういうのはあまり気にしない。化粧の奥の顔を観る。作り笑顔の奥の感情を観る。怒り顔の奥の恐れを観る。涙の奥の未来を観る。普段は案外ボーっとしているが、ここ一番ではそういう奥の奥を観る。そこには隠し切れない真実があるからだ。

といっても顔を観るのはその気になった時だけ。やっぱ疲れるから。




先月に散髪に行った時、鏡の中の自分を見てびっくりした。「おまえ誰や」と。

大げさな話ではなく、自分が他人に乗っ取られたような気がした。いや、自分の中身に、違う誰かの外身を付け替えたような、逆に自分の外身に誰か違う人間が入っているような、複雑な感じがした。見たことのない自分がいた。

今思い返せばいろいろと考え事を巡らせすぎていた時期だった。これまで自分がいかに他人ばかり観て、自分の顔を観てこなかったかを痛感させれれた。



「短めに切ってください。前髪は特に短くお願い。」と1ヶ月後の今日、美容師さんにお願いした。(気持ち的には丸坊主にしたかったが、丸坊主案は周囲に禁止されている。)


40過ぎたら自分の顔に責任を持てというのは名言だろう。人の顔を観てきて本当にそうだと思う。そして残念なことに、40を超えて責任を帯びた顔に出くわすことはあまりない。特に男がね。

これからは自分の顔を直視することにする。無責任に生きていくわけにはいかないから。






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弘晃

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by wagoichi | 2016-11-19 17:17 | 日常

拝啓、35歳になった参尽殿


本日はお忙しい中、お付き合いありがとうございました。久しぶりの二人きりでの会食、少し緊張気味に見受けましたが、楽しめましたか。

早いもので貴女が私の元に来てから10年目に入ります。当時はまだ26歳。フリーターで人生の道筋について悩んでいる時期でしたね。

あれから9年と少し、様々なことがありました。今の世の中ではなかなかない弟子入りという展開。私にとっても初めての弟子取りという展開。時代はコストパフォーマンスとか費用対効果とか効率学習とかばかりがもてはやされる中、どうしてわざわざ徒弟などという古めかしい遺産を持ち出すのかと、それも若い女性がと、周りには奇異に思われることもありました。それでもなぜか「これしかない」そんな気持ちで突っ走ってきた9年間でしたね。

貴女が弟子入りしてからも、様々な人が私の元にやってきました。やってこようとしました。すっかり仲間として定着した紙鳶の存在は稀で、ほとんどの人達は途中で去っていきました。覚えているだけでも十数人はいますね。

そんな中、初代の貴女はずっといます。「ずっと頑張ってすごいね。」「もう独立開業できるんじゃない?」そんな声も沢山耳にしてきたことと思います。でもね、少なくとも貴女と私は知っていますね。「独立?とんでもない!」と。



貴女はこの9年間、私に叱られるたびに「絶対乗り越えますから。待っていてください。」と呪文のように訴えてきました。私もその言葉を信じ、結果的に言うとほとんど空手形を掴まされるようなものだったのですが、いつか乗り越えてくると信じて待ってきました。

お陰で私は師匠としてどういう人間か、最近ようやくにして少しずつ分かりかけてきたように思います。

私は極論すれば、その辺の誰よりも厳しい人間です。そしてその反面、誰よりも甘い人間です。一見厳しそうに見えて、実はとても甘い。そういうところがあるようだと、最近痛感しています。

そんな私のところに集まる人間は昔から少なくないのですが、それは何故かというと案外と居心地がいいのです。一見厳しそうですから「私は厳しい先生のところで頑張っている」と言う自己肯定ができます。そのくせ実際は甘いところがありますから甘えたままで居座ることもできます。意外に居心地がいいみたいなのです。

鈍い人にはわからないでしょうが、敏感な人には、私と言う人間はとても都合のいい人間であるようだと、段々に分かってきました。なかなか自分のことってわからないものですね。

参尽さん、あなたは甘える天才です。この際はっきり言っておきますが、甘えどころの見極めと、甘え方に関しては天才的です。イチロー選手にも大谷選手にも後れを取らないほどの天才っぷりです。知っていましたか。そこに私はまんまと騙されてきたように感じています。


人はうまくいかないときに、なぜかと考えることで自分の欠点に気づくことができます。そして自分を成長させることができます。

私は貴女が9年以上ついてきてくれたことで、自分の欠点に気づくことができたように思います。これは皮肉でもなんでもなくて素直な気持ちです。

今ここで告白しますが、私は人を育てる才能があると過信してきました。しかし、9年ついてきた貴女がここで行き詰っている現状をみるにつけ、私は自分自身への信頼を問い直さずにはいられませんでした。なぜか。どうしてか。その問いかけの中でようやく自分の中に、一見厳しいようで実は甘いところがある、という大きな欠点を見つけることができたのです。


参尽さん。貴女は今日またしても「叱られてもめげませんから。」と言い、私に「めげるのは俺の方だろ」とたしなめられましたね。「叱られてもめげずについていく」それはもはや貴女にとって美徳でもなんでもないのです。

私はこれまでその空手形に翻弄されてきましたが、結局「叱られてもめげない」というのは強さでも何でもなく「叱ってもらう」ことが前提となっている甘えなのですね。バカな師匠もようやくそこに思い至ったわけです。

バカ師匠は、貴女に限らずこれから誰相手であっても、もうむやみに甘えさせてあげるつもりは毛頭ありません。咲く花は咲けばいいし、自力で咲こうとしない花はしおれるしかないのです。私ができるのはただ咲きたい花が咲けるように見守るだけ。それだけなのです。

だからもう甘える才能はそろそろ封印して、自分で自分の人生をどうしたいかよく考えて生きていってください。もう35歳ですからね。


願わくば、来年の誕生日には違う顔の貴女と杯を酌み交わしたいものです。甘えにすがるような生き方から脱した貴方に。貴女の有り余る生命力が、この整体と言う素晴らしい仕事に惜しみなく注ぎ込まれる姿を見たいものです。

35歳の餞に、大事なことを何度も言わせるあなたのために記しておきます。


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敬具





弘晃

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by wagoichi | 2016-11-17 23:59 | 日常

ただいま。


夜行バスから見る早朝のUSJ。

ああ、大阪に帰ってきた。



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当初の予定では、大分に移動して一泊する予定だった。

が、いろいろ気がかりがあり、大事をとって夜に帰って来たのだ。



おかげで福岡の陥没の混乱には巻き込まれないで済んだ。

しっかり休んだ。



晩ご飯。

ああ、帰ってきたという気がする。

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熊本で食べ過ぎた胃腸も休めないといけない。

明日は朝昼ごはん抜きである。



体と精神は休まず鍛えなくてはならない。

娘を肩車して四股ふみ100回。




今日も大事に生繰りました。






弘晃

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by wagoichi | 2016-11-09 20:53 | 日常



「原点が導くこれから」という感じでしばらく探り書きです。

by 三宅弘晃
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