照千一隅への道のり

カテゴリ:戯言( 9 )

「弘晃の野望」


「私、実はゲーム中毒でね。」と言うと皆びっくりする。「まさか先生が!?」と。昨日もそういうことがあった。

そういう時は「私のことをなんと思っているんだ!」と言ってやる。人のことを、無欲で霞でも食って生きているかのように勝手なイメージを持っている人もいるようで、困ったものである。無欲な人間なんて人間ではないのですよ。


酒だって好きだ。

これは最近気に入ってる米焼酎。「水鏡無私」なんてなれるわけない。「酔狂無視」なら得意だけど。と思いながら吞んでいる。

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漫画も本当は大好きである。

漫画雑誌は1冊に絞っている。「キングダム」が面白い。始皇帝の中華統一戦記で、兵士たちの首がポンポン飛ぶ。そんな漫画を喜んで読むのも私だし、わごいちで弱っている人を助けようとするのも私。どちらも私。


ゲームは「信長の野望」に何度もはまった。

一度はまると1年くらい寝食を忘れて没頭する。まさに中毒の様相を呈するのである。この中毒のせいで何度も学業に支障をきたしたし、夫婦関係にも危機を招いた。これはいかん、このままでは人生駄目になると思って、20代でゲームは卒業した。

しかし中毒とは怖いもので、今でも「信長の野望」の広告を見るとウズウズする。死ぬまでこの小悪魔には付きまとわれるであろうと覚悟はしている。それが中毒というものだろう。

外にも私には中毒がまだまだある。いちいち言わないが、私のハラの中にはもっともっと大きな欲が渦巻いている。


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信長はやっぱり好きなので、本を読んでいる。『下天は夢か』。さすがの津本陽さん、面白い。賛否両論分かれる信長だが、そのスケールの大きさは群を抜く。そんな信長が好きだ。

信長は「天下布武」をスローガンに揚げた。天下を武力でもって一つにするという意味だ。

凄いな、と思う。自分がすることをちゃんと公言して、その道を粘り強く突き進んでいくことができた日本人がどれだけ居ただろう。今どれだけいるだろう。果たして自分はできるだろうか。



信長が「天下布武」と言うなら、私は「天下布撫」でいってやろうか。

天下を撫で撫でして一つにする。バラバラになりつつある社会を一つにまとめるというのはどうだろうか。



平成の「弘晃の野望」である。










三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-04-30 15:06 | 戯言

体温と肚温


昨夜、夢現の狭間で「そういうことか」と思い至ったことがある。今日はそれを少し書いてみようと思う。

人間には2種の体温があるという捉え方である。

体温については我々はなじみ深く知っている。体温計で計ると凡そ36前後、体内ではもう少し高いが、それを我々は体温と認識している。しかしもう一つの温度を我々はもっているのではないか、そう思ったのである。私は「肚温」とそれを呼ぶことにした。


例えば私は、高校と大学と会社でとても不自由な思いをした。周りの人間から「アツい」と言われた。時に賛美のニュアンスもあったが、多くは非難めいた言われ方をしてきた。仲間内から浮くことも多かった。だから自分を抑えることも多かった。

逆にパチンコや土方のバイト仲間、あるいはナンシーなど外国の人達との付き合いにおいては、誰も私のことを「アツい」とは言わなかった。自分は素でいることできた。


私はいわゆる体温も高い。私が座っている座布団を人に貸すとびっくりされる。座布団がホカホカと温まっているからだ。電車で私の後に座った人がびっくりしていることも良くある。「あら、このシートってヒーターが入ってるのかしら?」っていう顔を見て、にやりとしながら私は電車を降りる。

しかし肚温はそういうものではない。より精神的であり、より人格的なものがイメージに近い。


もうちょっと違う角度から考えてみよう。

例えばわごいちで私にハラを揉まれる人たちが言う。「おなかがすごく熱くなって気持ちいいです。」これは何をしているかと言えば、物理的にハラの中の血管の流れを促進し、結果として生理的に体温を上げているのである。

しかし私の中では、そういう物理や生理だけではなく、それ以外の感性のイメージがある。

私の施術を受けに来る人は、ハラの鍋に冷えたスープを入れてやってくる。私はそこに自分のハラの鍋からアツアツのスープを注ぎ込む。そして相手のハラを温かいスープで満たすのである。そういうイメージを最近抱くようになってきた。

このスープこそが「肚温」ではないかと思い至った。

体温には上限下限がある。30度では動けないし、50度では死んでしまう。しかし肚温は極めて自由度が高く、20度の人もいれば90度の人もいる。そんな風に思う。



その上で、人間とはなにとはなく相手と自分の肚温を比較して生きているのではないか、というのが私の仮説である。自分と相手の肚温を感じ、比較し、その温度差によって交際の距離を測っているのではないだろうか。

学生時代や会社員時代の私と周りの人たちの間には、少なからぬ温度差があった。だから「アツい」と疎まれることもあったし、それが嫌だから温度を隠して付き合ってきたように思い出される。

そういう仲間内では、いつも必ず私を冷やかす人間が居たようにも思う。なぜか分からないが私を目の敵のように冷やかし、からかい、気持ちをくじこうとする人間がいた。ずっとなぜか分からなかったが、肚温に思い至った今、その理由がはっきりとわかる。

彼らは私の肚温の高さを感じ取り、比較して自分の肚温が低く、また上げようがないとあきらめるゆえに、私の肚温を下げようと冷やかすのだ。本能的に肚温のバランスをとろうとしているのだ。そうでないと彼ら自身がつらくなってしまうから、彼らも必死だったのだ。

実際に肚温は人間関係において決定的な要素となるに違いない。




昔、とある女性が私にメールを送ってきた。大きなトラブルに心身が痛んていて肚温は極めて低い状態だったように思い出される。彼女は私を求め信じてついてきて、わごいちに通い、千照館に通い、スタッフにまでなった。私の元で懸命の修業を重ねるうちに彼女は力をつけ、肚温が別人のようにまで上がっていった。

そこで彼女は問題を抱えたのである。ご主人との不和であった。私がみるに、もともと同じくらいの肚温であった夫婦において、奥さんが一人肚温を上げていくと問題を抱える。肚温が低い人間にとって、肚温が高い人間はもろ刃の剣となる。心強いパートナーとなるか、自分に劣等感を抱かせる相手となるか、である。その分岐点は、その本人による。

体温が同じでも、肚温が違うと人は対等では居られない。たとえ夫であっても、たとえ目上であっても、肚温に対して人は無条件の威圧を受ける。それをどう受け止めるかは人それぞれになる。

彼女のご主人は、猛烈な抵抗を示した。自分の肚温を上げる事よりも、妻の肚温を下げようとしたようであった。わごいちのことをカルトとさえ罵ったそうである。ご主人は肚温のギャップにそこまで追い詰められたのだ。彼女はご主人を思い私の元を去った。


まったく同じような道をたどったのが、今弟子をしている紙鳶である。彼女の場合は夫ではなく親兄弟であるが、彼女が肚温を上げるにつれて家族との付き合いが変わりつつあることは、わごいち通信やFBで彼女自身が書いているとおりである。


他にもそういう話には枚挙にいとまがない。

私の肚温に触れ、自分の肚温をあげている人は、大なり小なりこれまで同じ肚温で仲良くしてきた人たちとのギャップに苦慮しているように見える。冷やかされる人もいれば、非難される人もいれば、逆に周りの人が認めてくれる人もいる。


人間が変わるというのはそういうことなのだろうと思う。人間が変わるというのは、表面的なキャラクターが変わるという事だけではなく、その奥底の肚温の変化があるということではないだろうか。

肚温が上がってこそ、本当の意味で人間が変わったと言えるのではないだろうか。


変わるというのはある意味痛い。よく人に誤解されるが、私だって痛みは感じている。これまで仲間だった人と疎遠になる。「あいつは変わった」とか「見捨てられた」とか言われることもある。痛くないわけがない。痛みを感じないわけでは決してない。


私は会社を出てこの道に入ってから一貫して肚温を上げようと努めてきたのだと、今はっきりと認識する。

この10数年、私の元には多くの人が私の肚温に触れようとやってきた。私の肚温を注いでほしいとやってきた。その時その時の肚温で私は人を温めようとしてきたが、時に温めきれない人がいた。だから私はさらに自分の肚温を温める必要を感じた。

自分の肚温が高まるにつれ、救える人が増えてきた。私の肚温でしか救えない人が私の元で救われていった。それはそれまでの仲間を失う痛みを受け入れてでも価値のあるものだった。だから私は痛くとも肚温を高める丹練を欠かさないでいる。


どう生きようがその人の考え一つである。多くの人と同じくらいの肚温を保つのも私は決して否定しない。変化の痛みに耐えられない人を責める気持ちももはやない。

ただ私自身は、まだまだ肚温を高めていきたいと思う。冷やかす人間はかえりみない。痛くても、自分に不満足なまま途中で止まらず、心のままに前に進みたいと思う。そして痛みの先の新しい世界を見たいと思う。




さて今日は久々に夢から書きなぐったが、そろそろ締めよう。



どうやら人間には二種の体温がある。

皮膚の上から計る体温もあるが、命の源で燃える肚温と言うものもある。これを知っておくと対人関係をより深く分析できるようになるのではないか。

そんな今日の発見である。







三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-04-26 15:21 | 戯言

嗜好品とは何か


私は酒をこよなく愛す。

ギャンブルはやらない。煙草もやらない。その上酒も吞まないようでは何の面白味もない人間ではないか!との大義面分を振りかざし、酒だけは好きなように吞んでいる。放っておくと一年に364日くらいは酒を呑む人間である。

酒は日本酒がいい。「酒は純米。燗ならなお良し。」とは故 上原浩さんの名言だが、やはり日本酒が良い。特別上等な酒でなくて良い。いや特別上等でない方がむしろよい。真っ当に造られた酒を、気の置けない仲間と気安く呑むのが最高に幸せだと思う。

私は酒と一緒に肴も楽しみたい派である。新鮮な野菜に愛情を添加して料理された肴があれば素敵だ。いや料理抜きで、新鮮野菜と味噌のスティックサラダでも充分だ。贅沢をしたいときはそこに季節のお造りを添える。寒い時には湯豆腐などの炊き物もまた嬉しい。山に入ったらやっぱり塩をまぶして焼いた川魚が最高のご馳走になる。

日本酒がいいのは、味もさることながら、季節折々を楽しむことができるところにあろう。今の季節は新酒が楽しい。新酒はぴちぴちとして元気が体に入ってくる感じがする。その中でも特ににごり酒やどぶろくに近頃はまっている。お米の旨みと微生物の元気がはちきれんばかりで、呑むと「ウオー」っと叫びたくなる衝動が突き上がる。それを抑えるのが大変な次第である。

この時期から酒粕もでてくる。酒粕は字の通り、酒を絞った残りカスであるが、むしろ酒の栄養はこちらの方にぎっしりと詰まっているので捨てるに惜しい。この酒粕と味噌を混ぜ出汁に溶き、大根や白菜などの冬野菜、またサバやアンコウやタラなどの旬魚を煮込む。そう粕汁である。あるいはおでんの出汁に酒粕を入れてもいい。粕汁と玄米と日本酒で冬が完結する。



そんな酒を数日抜いてみた。

年中無休のはずの飲酒生活を、私は時折中断する。いや中断するというのは格好つけているだけで実は中断させられる。体調不良というやむを得ない事情によって。

毎日呑み続けていると、といっても大した量ではなく一日に四合瓶一本程度のものであるが、それでも毎日毎日呑んでいるとやはり体はおかしくなってくる。呑もうと思えば呑めないことはないが、そこで無理をすると後々痛い目に合うのは幾度も経験済みなので、おかしいと思ったらしばらくスパッとやめる。

「ああ、またか。」

と、黙って酒を抜く。数日の禁酒で済むこともあれば一月ほど続くときもある。いつまで続けなくてはならないかは体が教えてくれる。朝起きて空に飛べそうな気がすると酒のペナルティーは支払い終えたことになって、また酒呑み道楽の日々が始まる。禁酒明けの酒はまた格別に美味しい。考えようによっては禁酒は最高の酒の肴とも言えよう。




この数日の禁酒の間、考えたことがある。「嗜好品とはなんであろうか。」と。

実はもう数年前からなんとなく「嗜好品」について考え続けている。酒に煙草に砂糖に珈琲にあとは・・・?まあいい、酒とたばこと砂糖と珈琲だけでいいだろう。我々は嗜好品というものをどう受け止めたらいいのだろうか。

嗜好品が体にいいとはあまり聞かない。「酒は百薬の長」という人もいるが、あれはちびちび養命酒を呑むような人のことを言うのであって、ぐびぐび呑む酒が薬になるはずがない。砂糖はどうか。砂糖は体のエネルギーになるが、別にお菓子やアイスを食べなくても炭水化物を摂っていればちゃんと体内で砂糖に変えてくれるんだから、わざわざ砂糖を取らなくてもよい。むしろ砂糖は害である。

煙草はちょっと分が悪い。「煙草は健康にいい!」との理屈は苦しいから「疲れたときに一服すると心が落ち着くんだ」で周囲の理解を求めるか、いっそ「肺がんで死のうが俺の勝手」と開き直るか。

コーヒーはどうか。砂糖や煙草ほど珈琲が体に悪いとは思えない。沢山飲みすぎなければ、クリープや砂糖を入れなければ、そして胃が弱くなければ、そんなに心配しなくていい嗜好品の優等生かもしれない。

まあそんな風に一つ一つの品目についてどうのこうのと言うのが今日の趣旨ではなく、もっと大きく漠然と「嗜好品」というものをお盆の上にのせて、まじまじと眺めながらその存在意義について考えてみたいというのが、今回の禁酒中のテーマであった。



嗜好品とは何か。これを考えることは、人間の本質を考えることではないか、そんな風に思う。

嗜好品は基本的に体に悪い。わざわざ金を払って体に悪いことをする。体に悪いとわかっていながら、健康意識が高い人でも、嗜好品となると理屈が度外視される。ダイエットのためにスポーツで汗を流した後のビールやアイスは美味いらしい。無農薬野菜にこだわりながらお菓子をやめられない人も多い。嗜好品には我々の心を捉えようとする独特の吸引力がある。

人は理屈で生きている。生きたがる。理路整然とした人生哲学を持ち、合理的に生きることに憧れる本能が誰しもある。しかしだからこそ、その反面に良くない事、良心に反する事、ダークサイドな事に惹かれる気持ちが湧いてくる。「あえて」「わざわざ」悪いことをしたくなる本能が誰しもどこかに必ずある。反発したい。それが気持ちいい!と感じてしまう自分がいる。

こういう「ダークサイドの魅力」を否定する事には何の意味がないし、事の本質を見えなくする。人間にとって「ダークサイドの魅力」もまた決して消し去ることのできない本能の一部であろうから、それを否定しようと努力をしたり、それを苦に感じるのは全く無駄であって、それはあるものとしてそのまま受け入れるしかない。

むしろ「正しく合理的に生きるべし」なんて虚妄に縛られる風潮があるから、ダークサイドとしての嗜好品が存在意義を得ているのかもしれない、そんな風にも思う。人間はそんなに徹頭徹尾全てが綺麗なものではない。賢くもない。賢いところもあるが、馬鹿なところも確かにある。それなのに、理路整然としたものを求めすぎたときに、ダークサイドからバランサーとしての嗜好品が送り込まれてくるのかもしれない。

嗜好品は純粋に気持ちいいのである。酒に酔うのは気持ちがいい。煙草を吸う人も心底気持ちよさそうな顔をしている。プリンを食べる人の顔はほころぶし、極上の珈琲を口に含む瞬間のかぐわしさと言ったらもう堪らない。これはどういいうことかと言えば、綺麗も醜いも混濁した人間に対し、「こうあらなくてはならない。」という決めつけをあまり押し付けてしまうと、なんとなくハラが息苦しくなって、ダークサイドからのかぐわしい嗜好品に酔いたくなるのだろう。

禁酒中にそんなことを考えた。


健康にいいものだけを口にしよう、などというバカな考えはどうぞ捨て去るべきでしょう。体に良いものだけを食べようなんて人が仕事柄私の所には沢山来るが、それはおかしい考えではないかといつも言っている。ハラ揉みを生業とする人間がこんなことを言ってもいいかはわからないが、「私は賢明だから栄養バランスは行き届いている立派な生活をしています」なんて考える人間は誠につまらない人間であると思う。そういう人間ほど、実は人よりも大きなダークサイドを隠しもっているものであることを私は知っている。だてに何千人ものハラを揉んできたわけではないのだから。

人間のハラは美しくも醜い。醜さもまた自然でありそれがまた美しい。理路整然と生きていく瞬間もある。しかしそうでない瞬間も必ずある。理路整然といかないからと言って自分を卑下する必要は全くなく、そういうものとして自分と向き合えばいいのである。もちろん理路整然と出来た時はその清らかな香りを楽しめばいい。でもいつもいつもそうはいかないことを知っておくのもまた大事である。

酒に「百薬の長」などと正当な理由をつけるのは持ってのほかである。酒はダークサイドからの贈り物であって、自分をわきまえた本当の大人はダークサイドの味わいを正々堂々と楽しめば良い。生きている喜びを、美しさと醜さと強さと弱さとが混濁した命の生々しさを楽しめば良い。そこでほっと一息の鋭気を養い、いまだ届かぬ清らかな世界に向かって不器用に翔びたてば良い。その繰り返しが人生というものではなかろうか。


今日も旨い酒を呑もう。










三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-02-13 21:52 | 戯言

話せばわかる・・・か



今朝、心斎橋で喫茶店に入ると女性客が一人いた。旅行者らしくスーツケースを横に置いてタバコを吸っている。煙がかからないようなるべく遠いところに座ってコーヒーを飲んでいる私のところへ、その女性が近づいてきた。

彼女が私にスッと差し出したスマホの画面には「海賊王フィギア」と表示されていた。その他は中国語で読めない。

「これ?」

と聞くと、黙ってうなずく。

「ここに行きたいの?」

と聞くと、黙ってうなずく。
困った。日本語は通じないみたいだ。

「ニアヒア?」

と聞くと、?な顔をする。
困った。私の怪しい英語は通じないみたいだ。

多分このあたりで海賊王のフィギアのイベントかショップがあろうのだろう、とは予想がつく。でもあまりにも情報が少なすぎやろ。

言っても仕方がないので、自分のスマホで「海賊王フィギア 大阪」で検索すると、それらしいのが出てきた。あべのキューズモールでワンピースフィギアのイベントをしているショップがあるらしい。


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「これ?」

と画面を見せると、うなずく。よっしゃよっしゃ。


さてここからが問題である。どうやってそこまで自力で行ってもらうか。

「ユーハフトゥーテークアサブウエイ」

と再度怪しい英語を繰り出すも予想通り「?」な顔をする。懲りずに「トレイン アンダーグラウンド」と続けると「JR?」と近づいてきた。「ノーノー」と言いながら人差し指を地面に向ける。そして「アンダーグラウンド」と再び言うと、「OK!」とうなずく。よっしゃよっしゃ。

「ユーハブメモ?」と言いながら手で書く真似をする。もはや我がイングリッシュは儀式と化した感があるが、意味は通じたようでカバンから紙とボールペンを持ってきた。

こう書いた。

「私は天王寺駅にいきたい。」
「私はキューズモールにいきたい。」
「心斎橋」→(SUBWAY)→「天王寺」→(WALK)→「あべのキューズモール」

今あなたは「心斎橋」にいるんだよ。ここからサブウエイにのって「天王寺駅」に行って、そこからウォークで「あべのキューズモール」に行くんだ。サブウエイでは「私は天王寺駅に行きたい」と近くの日本人にこのメモを見せて、天王寺駅に着いたら「私はキューズモールに行きたい」とこの紙を見せたら教えてくれるから、とメモを指差しながら説明した。

もちろんぼでぃらんげっじでね。

苦節15分。すごく嬉しそうな笑顔を残して彼女が去り、冷めたコーヒーが手元に残った。




どうも私は中国人によく道を訊かれる体質のようだ。

あまりにもしょっちゅう訊かれるので、でも中国人が最近大阪には多いから皆そうかと思って君らはどうや?とスタッフたちに聞いても、彼女たちは全然そういうことはないらしい。わごいちスタッフの中では私だけが狙い撃ちの状況のようだ。

きっといつも親切に教えるから、その筋では有名なんだろうというのが、我々の仮説である。中国人向けガイドブックに「大阪の親切な人」特集で載っているんじゃないかという噂もある。もしそうなら少々迷惑な話ではある。

でも実は言葉の通じない人と何かを話すというのは嫌いではない。なぜなら言葉が通じなくても伝えたいという熱意を感じるからだ。




私は大阪外大を卒業しているが、言語をそれほど大事なものとは思っていない節がある。単に不勉強の言い訳かもしれないが、大学時代に言語を勉強してみて思ったのは、言語は最重要じゃないという皮肉な事実である。


それを今、改めて痛感している。

同じ日本人なのに、同じ日本語を話しているのに、話が通じないことが多い。同じような顔立ちをして同じ言葉を話して、話す言葉は理解できているのに、思いが通じない。言葉が虚しく霧散する。時折日本にいながら見知らぬ外国に自分がいるような気がすることがある。

熱意をもって伝えようという人が少ないからかもしれない。



言葉が通じれば気持ちも通じるはず。それは楽観的思い込みであろう。

話せばわかると言うけれども、言葉と言うのは熱意を持ってこそちゃんと聞こうという気になる。別にどっちでもいいんですけどなんて言いながら日本語をしゃべられても、「聞こう」という気にはなれない。自分が熱意を持たないことを「話そう」という気にもならない。

熱意なき言葉と独り言にどれ程の違いがあるだろう。



言葉が通じることで甘えてはいけないね。

やはり人と向き合う時には、互いに正面を向いて話すのが大事。熱意を交わす会話を重ねたい。


初めて入った店だったけど、マスターにも丁重にお礼を言われた。

コーヒーは冷めちゃったけど悪くなかったよ。






三宅弘晃

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by wagoichi | 2016-12-17 14:48 | 戯言

呑み同志


わごいちではしばしばスタッフで吞む。


仕事上がりに院で呑むときは、あり合わせのアテでとっておきの酒を吞む。昨日は蕎麦と生ピーマンで頂き物の酒を呑んだ。豪華な料理があれば嬉しいが、無くても全然平気なのがわごいちの呑み会のいいところ。


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最近サラリーマンのおやじさん達の、嘆きを通り越した諦めのフレーズをよく聞かされる。

「最近の若いもんは誘っても飲み会には付き合いませんわ」

「僕らの若い時は上司や先輩に誘われたら絶対に行ったもんですけどね」

おやじさんたちの気持ちが痛いほど分かる。

しかし同時に、若いもんの気持ちもまたよくわかる気がする。





4年間のサラリーマン生活で、何度も上司や先輩に飲みに連れて行ってもらった。とりあえず新卒1年目は金を出させないという男気のある先輩も何人かいて、何度も先輩たちにご馳走になったりしながらお付き合いさせて頂いた。


楽しいことも面倒なこともあった。


新入社員と言うのはある意味便利屋で、話題も提供しなくちゃいけない時もあるし、馬鹿にならないといけないときもあるし、それが出来ないと「使えん奴だ」と先輩になじられることもあるし、その間も先輩や上司たちの追加注文にも走らなくちゃならないし、その辺の手配の段取りが悪いと「使えん奴だ」と叱られたりする。

しかしそういう中で仕事のヒントをもらったり、勘違いをそっと諭してもらったり、違う職場の人と打ち解けてその後の仕事がしやすくなったりと、呑み会の効用とでもいうべきものも確かにあった。



が、それでもやっぱり「あの呑み会は楽しかったか?」と言われると、素直に「はい」とは言えない自分がいる。

さらに今時となると、もう散々な感じがする。声だけ大きいがそんなに楽しそうでないのだ。居酒屋で周りの会社員達のテーブルを見回してみるに、「あのテーブルに入りたいか?」と訊かれると、「いやだ」と絶対に拒否したくなるような呑み会がよく目につく。

どうにもこうにも今どきの会社員の呑み会がつまらない、そんな風に思う。大きなお世話だろうが。

そんな時に考える。もしこの呑み会のメンバーが若き日の松下幸之助や本田宗一郎のごとき人物であったなら、どうだっただろうか。大盛り上がりで人がどんどん集まってくるんじゃなかろうか。




呑み会の一番のアテはなんだと思う?


料理は一番のアテにはならないよ。

これまで料理自慢のお店や友達の呑み会に参加してきたが、それはそれで美味しくて幸せなのだが、それで終わりになることも多いのである。

「これ美味しいね。」「これも美味しいね。」「どうやって作ったの。」「これはねぇ、食材を特別に取り寄せてねえ。」なんて話も楽しいし一時の話題にはなるが、それだけで終わってやっぱり物足りないのである。そういう呑み会(食事会)はいずれネタが尽きたら飽きてくる。そういうもんである。

やっぱり話題が大事だろう。

呑み会の話題として時事ネタや世間話から始まるにしても、徐々に話は交わり時にぶつかりながらも人生の核心に迫り深まるような、そんな議論が一番の呑み会のアテになるように思う。

「なんで働くのか。」「この会社は社会の中でどういう役割を担うべきだろうか。」「従業員家族の幸せってなんだ?」「働く喜びって何だ。」「どうすればこの会社が良くなるか。」「その為に自分がすべきことはなんだろう。」

こういう議論が盛り上がる呑み会が、はたして今の日本にどれだけあるだろうか。何パーセントかはあるのだろうか。

この議論を深めていこうと思えば、それぞれが仕事と人生について常日頃から考えていなくてはならない。果たして、そんな会社員がどれだけいるだろうか。


「会社の利益」と「自分の評価」


現在の多くの会社員はこの二つに囚われているように感じる。会社が儲かってちゃんと給料を貰えることが大事。自分が頑張った分だけ評価されて、給料や昇進に反映されることが大事。それだけ。家族や社会は会社と完全に切り離されている。家族には生活費を持って帰り、社会には税金を払えばいい。それだけ。


もし仮にそういう人たちが集まって呑み会をしたところで面白いはずがない。評価とかお金の話になると愚痴になるし、じゃあ違う話題はというと、もう同僚や取引先の誰かの噂話くらいしかネタがない。そんなネタをアテにしても酒がうまいはずがない。議論も深まらない。たまになら面白いかもしれないよ。でも毎週毎週そんな薄っぺらい話じゃあうんざりだよ。



せっかく生まれてきたんだから、この限りある人生を有意義なものにしたいというのは、誰もが持つことを許される願望であり、その形としての「志」であると思うのだが、しかし今の会社の多くは、この「志」を抑圧こそすれ、認めて伸ばしてくれるようなことは滅多にしない。

そんな会社の呑み会に、新入社員が参加したいと思わないのは至極当然のことだと思う。本能的につまらなそうと分かるんだろう。だからここはおやじさんさん達にもよく考えてほしいし、同時にただ無気力に会社にしがみつくだけの新入社員も残念に思う。



私は4年で会社を去り、自分で開業して、小さいながらも二人の従業員を預かっている。そして時折皆で吞む。

馬鹿話もするが、呑み会を通して基本的に我々は同志であると感じる。上司と部下、経営者と従業員、師匠と弟子、いろいろな関係性をもってはいるが、基本的には私は彼女たちを同志だとみなしている。

それぞれの人生を豊かにするために、それぞれの人生を賭けて世に貢献するために、自分たちはどう歩むべきか、その中で自分はどういう歩みをしたいか、それぞれの「志」をアテに吞みながら飽きることなく話を重ねる。

共に呑み、志をぶつけ合い、さらに前に進み、また呑む。この繰り返しによって我々は一歩一歩前進していっているように思う。






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会社から呑み会が消えるのは、その会社にとって危険サインではなかろうか。会社が「志」を語る場では無くなりつつある、そんな暗示ではなかろうか。

呑み会は無くしちゃいけないと思うな。例え酒が飲めなくても、美味しいアテが無くても、「志」さえあれば呑み会はおいしく成立する。そういう呑み会が実は一番楽しいんだよ。







弘晃


080.gif今日の丹練
・四股400丹
・階段四股100丹

080.gif昨日の丹練
・四股500丹
・木刀100丹


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by wagoichi | 2016-12-13 16:36 | 戯言

都会の雨


都会の雨は外れくじ

せっかく降っても土がない

命を育む土がない


コンクリの上をぽたぽたと

排水溝をどろどろと

海を汚しに川下り


あーあ今日は外れくじ

そんな日もある仕方ない

雲にもどって再トライ






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弘晃

055.gif: wagoichi◆excite.co.jp (◆を@に)
HP: わごいち(←クリック)

066.gif今日の丹錬
・無呼吸四股100回
・四股200回


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by wagoichi | 2016-11-27 16:20 | 戯言

夢物語


このやたら旨そうな柿を見ながら、今朝見た不思議な夢を、

思い返していた・・・

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走っていた。息せき切って走っていた。友の元へ。


友の職場は人々の熱気で沸き立っていた。社長以下、従業員十数人が皆揃って戦争に行くという。


職場のテレビのニュースはこんなことを言っている。

「戦場で役立つ新しい毛布が開発されました。雨風を完璧に遮断し、汗で蒸れることはありません。これ一枚で野営する兵士の体調管理は飛躍的に向上するでしょう。」

そんなニュースを見ながら、「この毛布すげー。」「敵に奪われないようにお前、毛布の守備兵な。」「え、毛布の守備兵ってありなんすか。なんかかっこ悪いっすよ。」なんて会話で無理矢理に盛り上がろうとする友の同僚たち。

皆、不安なのだ。


友に会う。「今からでも遅くはない。辞退しろ。」と小声で私は言う。「いや、もう決めたことだから。」と同じく小声で友は言う。確かにこの状況で「やっぱりいきません。」と言うのはかなり勇気がいる。

「とりあえず『坂の上の雲』を読めよ。」と訳のわからないことを口にしてはじめて、私自身も空気に飲まれていることを自覚する。社会全体の熱気が異常なのだ。

「もう決めたこと、じゃないだろ。まだ何にも決めないままに行くことになったんだろう。」

帰り道でむなしく一人つぶやく。





・・・場面が変わる。・・・






大きな会社の大広間。労働組合の委員長が声を張り上げる。

「われわれの会社から、有志が戦地に赴くことになった。わが社にとって誉れである。今から私が諸君の前を順に廻る。戦地に赴むかん!という者は高く右手をあげ"行きます!”と声をあげてくれ。」

「行きます!」「よし!」「行きます!」「よし!」「行きます!」「よし!」

すでに今回の任命は社内に知れている。2年間の軍役で帰国後に役職が1つ上がるか、赴任拒否で、反社会人間としてこれから肩身の狭い思いをして働くか、どちらかを選ばないといけない。

委員長は私の前で止まり、顔をこわばらせる。私が"思うようにいかない”社員であることをすでに知っているからだ。

「諸君らの手は何のためにあるか。尻の穴を拭くためにあるのか。大事なものを守るためにあるのか。わが手を見てよくよく考えたまえ。ゆめゆめ尻の穴を拭くためだけにその手を使うことなかれ。その誇りある手を、高く高く掲げたまえ。」

と、わざわざ私の目の前で声を張り上げる。全員一致で赴任させないと、彼の面目がつぶれるのだ。

「行くか!」と彼は私を睨みつついう。

「行きません」と私は応える。

「他の仲間に対して恥ずかしくないのか!」「君の恩義ある上司のキャリアに傷をつけるというのか!」「自分一人だけ安全ならいいのか!」「そんなに命が惜しいのか!」

次々と浴びせられる怒声を受け止め、「断固行きません。」と応える私。

 


・・・夢から醒めた。

何とも不思議な夢を見たものだ。夢なのに珍しく細かいところまで覚えているものだ。不思議な目覚めだった。



現実的に考えれば、私のような44歳の老兵が戦地に召集されることはあるまい。私はとっくに軍隊適齢期を過ぎてしまっている。腰が痛い、目がかすむ、そんな老兵は戦地では使い物にならない。

だから軍隊適齢期の若者がこの夢を見ればよかったのにと思う。現実に戦争が起こるような方向にじわじわと進んでいる今だからこそ。


昔、太平洋戦争をした日本人は間違っていた。おかしかった。そんな風に学校で教える先生がいた。あの時代の日本はおかしかった。我々のじいちゃん、ひいじいちゃんたちは、おかしな日本人だったと。でも現代の我々は違う。違っていなきゃならない。そんな風に教えられた。

でも果たしてそうだろうか。

今、日本が戦争を始めたら、国とメディアが上手くやれば、兵隊を集めるのは不可能ではないと思う。「なんとなくそういうものだから」という理由で学校に行き、会社に就職する人間が、「なんとなくそういうもの」として軍隊に誘導されないという保証はどこにもない。


私はなんとなくそういうものである戦争にはきっと行かない。例え周りから非国民と蔑まれても石を投げつけられても、世の風潮に流されない類いの人間であることは、私を知る人は皆、想像がつくだろう。

なぜ「なんとなくそういうもの」に流されないと確信を持てるのかと言うと、私は普段から「自分はどう生きるべきか。」「何のために働くのか。」「どう死にたいか。」ということを常に考える習慣を持っているから。

普通の人が「そんなことを考えても仕方がない。」ということを、大真面目に考える類の人間だから。そういう人間は、世の風潮に流されることがない。権力に操られることもきっとない。






今を生きる若者に言いたい。

一つ一つ意味を考えよう。「どうして勉強するのか。」「自分は何をしたいのか。」「今自分は本当に頑張っているのか。」と。

いつも答えを持っていなくていい。答えは大事ではない。

答えを探し続けることそのものがきっといつか財産になる。



なんとなく学校や会社に行かないでほしい。

小狡い大人に人生を台無しにされないように、しっかりと生きて欲しい。




44歳の軍隊適齢期を過ぎたおっさんからの忠告である。











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弘晃

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by wagoichi | 2016-11-26 16:43 | 戯言

篤姫の下ネタ


『天璋院篤姫』を読み始めた。

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その中に、薩摩の姫君は厠に1人では行ってはならないとあった。侍女が必ず一緒に厠について行き、足した用の後始末、つまり尿や便をふき取るんだと。

その後、

「おちょうずたくさんでごさいます。」(おしっこ沢山でました。)

「やわらかいおとうとでございます。」(柔らかいうんちでした。)

と老女(侍女の責任者)に状態を報告する。これが大人になっても続くのだと。。。。


このある種の拷問にも見える昔の高貴な家の風習に、ちょっと同情してしまう。でも同時に、理にかなっているなと感心もしてしまう。



やっぱり日々の尿や便の状態を観察するのは大事。特に便は。

私の場合、日本酒を飲みすぎたり甘いものを食べたりした翌日は、甘臭い便になる。滅多に食べないお肉や臭いのきつい食べ物を食べると、翌日すっごい臭い便になる。「便は雄弁なり」と便所でひとり感心し、食事内容を反省することしきりである。

昔、日本のほとんどの便所が汲み取り式であったころ、汲み取り作業員の中には、「この家には癌患者がいる。」と便の臭いで判別するものが居たとか居ないとか。今の時代ではもうそういう話は聞かないが、実際にあったとしてもうなずける話だと思うよ。



医療はどんどん金がかかっていく。

検査もCTとかMRIとか、あの機械は何億円もするんでしょう。オブジーボがすごい高すぎて、これからあんな高い薬が次々出てきて、いずれ医療保険制度が崩壊するんでしょう。


今日から皆、自分の便の臭いを嗅いだらどうだろう。

なんでもかんでも病院任せにしちゃいかん。臭い便が出たときは前の日に食べたものを思い浮かべて、食生活を見直していけば、社会全体で見れば病気は確実に減る。ということは医療費も減る。お医者さんも過労死から免れる。いいことずくめじゃない。



「便の臭い嗅いだらよろしいどすえ。ほほほ。」

と、昔の人が笑っていそうな現代社会だね。











弘晃

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by wagoichi | 2016-11-25 18:24 | 戯言

肝っ玉

最近聞かなくなった言葉に「肝っ玉」がある。

玉と言っても股の玉ではなく、肝と言っても肝臓のことじゃない。肝っ玉とは「胆力」、もっとわかりやすく言えば「度胸」や「勇気」のようなイメージが近いが、とにかく肝っ玉と言う言葉をめったに聞かなくなった。そしてとかく肝っ玉の小さい人間が目立つ。




安倍総理がトランプさんの自宅までに会いに行ったらしい。外国首脳の中で一番乗りだと喜んでいるらしい。

そらそうよ。まだ相手は大統領になってないのに、現職の首脳がいそいそと自宅まで会いに行くなんて赤面もの。

早めにトランプにつば付けておきたい気持ちもわかるけど、それなら元総理の小泉さんとか森さん辺りに親善大使で行ってもらえば、恥もかかずにすむし、彼らの顔も立つと言うもの。




肝っ玉の小さい人間が増えた。



博多の底抜け道路があっという間に埋め戻されて、市民の生活が平常に戻ったらしい。日本の土木技術の復元力に称賛が集まっているらしい。ヨカッタヨカッタ。

でもちょっと待った。「あれ?原因検証は?埋めてしまってどう検証するの?」中国で事故して埋められた鉄道車両を思い出す。


しばらくおいときゃよい。穴空いたままで、これ以上穴が拡がらないように手当てだけして、車も歩く市民も通れるように上に鉄板の橋をかけて、しばらくの間おいときゃいい。

ばあちゃん達が「こんなことってあるんだねえ。地面はありがたいねえ。慢心したらいかんねえ。くわばらくわばら。」なんて穴を覗きながら歩くのも悪くない。


また同じ様な事故が再発しないように、土木や地層の専門家達を集めてじっくり検証したらいいのに。週末は都市地下博物館にして市民にも解放したらいい。海外のメディアなんかも招いて、失敗もありのままに、その後の再発防止に向けた検証の姿勢なども見てもらえばいいだろうに。かえって日本人の誠実な仕事に評価が高まるんじゃないかな。

堂々と現実を見据えたらいいのに。




病気も一緒だよ。

体のことを省みず、食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べ、「太く短い人生で言いんや」なんて言っている人に限って、いざ大病をしたら大騒ぎだよ。そんな人多いね。

病気相手はブルったら負け。どんと構えて、出てくる症状を受け止めなくちゃならない。痛いのはつらいけれど、それでもグッとこらえて冷静に現状を見つめなくちゃならない。そうすると段々と現状が見えてくる。どういう対処をすればいいのかが見えてくる。

慌てふためいて医者に飛び込んで、あーだこーだと素人要求突き付けて、治してくれなきゃ訴えるからね、なんて脅しかけて、そういう人はあんまり経過が良くないもの。肝っ玉が小さい人の治りは遅い。これ本当の話。


健康情報はもうこのくらいで充分じゃないか。

総理大臣から庶民まで現代日本人に足りないのは、ぶっとい肝っ玉なんだよと、つくづく思う今日この頃だよ。








弘晃

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by wagoichi | 2016-11-18 18:54 | 戯言



「原点が導くこれから」という感じでしばらく探り書きです。

by 三宅弘晃
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