照千一隅への道のり

カテゴリ:教育( 5 )

太りたい?


テレビを見なくとも、新聞を読まなくとも、世の中の動きを感じることは出来る。

わごいちに来る人の口から、体から、そしてハラから今の世の中の動きを読むことができる。ここ数年目立って増えている相談は「太りたい」だ。

「太りたい?ぶよぶよの体になりたいの?」と聞くとそうじゃない。「脂肪だけじゃなくて筋肉も付けて、肉厚のある健康的な体になりたい」のだそうだ。そしてその為に「食べたものをどんどん吸収できる強い内臓を手に入れたい」のだそうだ。

女性も多いが、20代~30代のそういう男性が増えている。

そう考えてみれば、最近この大阪の本町でもスポーツジムがやたらと増えている。だいたい15年遅れで東京がアメリカの後を追い、5年遅れで日本各地が東京を追う、というのが私の持論であるが、ようやく日本全国がそういう流行になってきたのかもしれない。

「とにかく体を大きくしたい。そうすれば何かが変わるかもしれない。いやきっと変わる。自分が変わる。自分に自信が持てるはず。」

若者たちのハラに触れていると、そんな声が聞こえてくる。



沖縄からやってきた20代の男の子。先月来た時は、ロート胸、不整脈、下痢などが気になると訴えていたが、それらはそれほど心配ないよと話をしたら、一番の関心事は「太りたい」であることがわかってきた。

ジムに通い、サプリを飲み、とにかく体を大きくしようと努力している。10代の時に体が大きい友人たちを羨ましく見ていた自分を乗り越えるため、なんとか体を大きくしたいと願っている。「まず沢山食べて太って、それから鍛えて脂肪を落としていくのが理想的だ。」とジムのトレーナーにそう言われて、沢山食べようとするけれども、そうすると下痢をしてしまう。これは内臓が弱いんじゃないか、と思ったらしい。

それでわごいちにやってきた。

ハラを触ると、それほど問題があるわけじゃない。というよりも問題はない。ただ消化力を越えて食べ過ぎている事と、食べている内容がレトルトばかりなので、それが炎症を起こしていると話した。そんなに無理にたくさん食べても逆効果であると、そして何よりお米を炊いてご飯を食べよと、そういう話をした。

現代日本人はどうもお米を軽視する。糖質制限とか日本人のDNAを無視するようなことをやったり、赤身の肉ばかり食べたりとかしたほうが良いと勘違いしている人が多い。内臓の事を知らないトレーナーたちが勝手なことばかり言うもんだから、素人さんが勘違いするのも仕方がない。

その男の子が2回目に沖縄からやって来た時、お米を炊いて自炊する頻度が週に2,3回に増えたと言っていた。面倒くさいことは大嫌いらしいが、太るためなら頑張れるのだろうと思うと変に感心した。なによりその為だけに沖縄から大阪にやってくる熱意は買わねばならない。

その一方で、食べ過ぎない方が良いという私のアドバイスに関しては、なかなか理解できないようだ。食べ過ぎて胃炎や腸炎を増やしたら消化力吸収力が落ちるだろうというのは、子どもでもわかる理屈であると思うのだが、「食べる=太る」という思い込みの呪縛はなかなか解けない。

「ハラはそんなに悪くないし、食べ過ぎなければ調子よくなるんだから、通う必要あるかな。単に太りたいだけならば僕はあまりみたくないなあ。ちゃんと僕の言うことを信じて実践するなら、期間限定で通うのもいいけどね。その辺よく考えてきて。」

と伝えて2回目の整体は終わった。ぼんやりしている印象だった。

太るというのは、おそらく彼にとって最終目的にはならない。太りたいという願望の根底にあるもの、本当に彼に欠けているもの、それを見つけなければならないはずだけど、それがぼんやりとしているのだろう。そこに到達するにはまだ時間がかかるのかもしれない。




「胃が慢性的にもたれて苦しい。以前から病院で薬をもらって痛みをおさえている。でも治りはしない。」「腰が慢性的に痛い。」そして「太りたい」と言って8か月前から通い始めたのは、大阪の30代の若社長。

「お肉と油料理を控えなさい。」「腰の痛みは内臓からきているよ。胃腸と腎臓が傷んでいるね。」「太りたいならまずお肉と油を控えて、体を鍛えることだね。」と世間の常識からみると???なことばかりを言われた彼は、それでも治りたい一心で月に2回の通院と生活改善を続けてきた。

経営者である父親の突然の他界で、心の準備もないままの社長就任。それなのに痛む内臓と腰に体力と気力が削がれて困っていた彼は、とにかく私を信じて徐々に、しかし着実に生活改善を進めてきた。

わごいちで触れる度に、彼のハラは弾力をとりもどしている手応えがあった。胸板も厚くなっていく。「調子はどう?」「良くなっていっています。」という会話を繰り返すなかで、おそらく彼の中でもこれでいいという確信が深まってきたし、私も彼の、そして彼の家族と会社の助けになりたいという気持ちはより強まる。

「これはとっておきやで」と彼を見込んで、特別な丹練法を伝えたのは昨年末くらいだろうか。もうこの頃には胃の不調はほぼ完治までたどり着き、腰痛もなくなり、胸回りががっしりとしてきて、見るからに逞しい姿になってきた。面白いもので体が強くなると表情にも声にも力が付いてくる。

1年も経たずに彼はすっかりと変わってしまった。もう不調なんて気にならない。太れないなんて悩みはない。これをすれば体が強くなるという自信を手に入れている。






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別にわざわざジムに行かなくとも、毎日15分も丹練すれば筋肉はついてくる。




最後は東京の若者。

やはり「太りたい」と言ってはじめてわごいちに来たのは、1年くらい前だろうか。

「ジムに行ってもいいけど、自分で努力できんからといってジムに頼るようでは、結局なんにもならんで。家で腕立て伏せを毎日することから始めたらいいんとちゃうか。」

やはり彼も胃腸がわるいから太れないんじゃないかとおもってわごいちに来たわけだけど、内臓はなんにも問題がない。問題は違うところやろ、と言われてへこんで帰ったのだけど、それから毎月きっちり山水を受けに来る。

そんな彼が先月来た時に言う。

「引っ越しして会社から徒歩40分になったんです。」「よかったやん。じゃあ行き帰り歩いてるんや。」「いえ、まだ寒いので暖かくなったら歩こうと思ってます。」

「お嬢か!!!!」

と思わず突っ込んでしまった。「今、歩かんでどうすんねん。暑かろうが寒かろうが歩くんや。それが大事なんやろ。」というと彼はびっくりへこんでしまった。

「あんな、」と続けた。

「あんな、良いこと教えたるよ。単に歩くだけじゃもったいないからな、今日帰ったらな、スーパーで水を買うんや。2リットルのペットボトルを2本な。それをリュックに入れてな、仕事道具と一緒に背負ってな、毎日それで出勤するんや。」「それでな、その水は飲むんやないで。封を開けずに会社まで運んで、封を開けずにまた家まで帰るんや。開けんまま毎日毎日通勤するんや。」

それを聞く若者のハラが硬くなる。

「周りの目を気にしたやろ。ええねん、ほっといたら。もし笑ったりバカにするやつがいたら、心の中でこう思ったらいいねん。こいつにはこの200円のペットボトルの本当の価値がわからんのや、とな。」

ハラが少し反応をする。

「僕が言いたいのは、本当に大事なことは何かという事や。家でこたつでぬくぬくしながら自己啓発本よんでいる奴と、黙々と水を4キロ背負って通勤する奴とどっちが将来ものになるか、という話や。見てる人は必ず見てる。そういう人は必ずいるから。」

別に特に不調もない若者が、どうしてわざわざ東京から大阪まで毎月わごいちに通ってくるのか。毎月私に会いに来る。ハラを見せに来る。そんな誠意もまた意味がある。

おそらく今の彼の周りには彼を深く導く人間がいない。その人間が現れるように私は彼を導く。その人間が現れるまで。





愛刀と丹錬の後。

私は別に筋肉が欲しくて丹錬をしているわけじゃない。

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何が大事なのか、が見えない時代である。だから人達はわかりやすいものに惹きつけられる。

自分には何かが足りないから、違うもので埋め合わせてごまかそうとする。なぜ太りたいのか。なぜ若く見せたいのか。なぜ人の目がそんなに気になるのか。

自分のハラにきいてみたらどうだろう。














三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-03-05 16:31 | 教育

癌の3要件その1 癌と栄養


では予告通り「癌の3要件」について書いていこう。どうしてわごいちでは15年間、癌を完全に封じ込めているのか。その根拠について。まずは栄養面から話そう。

私の知り合いに福井でお米を作っている人がいて、その人から聞いた話がある。もともとは慣行農法といういわゆる農薬やら化学肥料やらをふんだんに田んぼに投入する世間一般の農法を実施していたのだが、思うところあり農薬や化学肥料を使わないなるべく自然の力を活かした農法にしようと決意された。が、しかし自然は甘くなく、土壌に農薬が残留していた当初の2,3年の間は上手くいっていたのが、残留農薬の効力が切れた途端に雑草がわんさか生えてきて、人力で雑草をひたすら抜いていくという苦役がはじまり、疲労困憊してしまったそうである。

しかしその時に助けが舞い降りた。たまたま近くに立ち寄った樹木医つまり木のお医者さんがいたので、自分の田んぼをみてもらったところ、「土が悪い」と即断されてしまった。以後どうやったら土の状態が良くなるかを研究を重ねられ、今では農薬なし、肥料も牡蠣殻など最低限の天然素材で、雑草も少なく美味しいお米をたくさん獲れる田んぼに作り替えられたそうである。

私はこの話は大変味わい深い話だと思い、ことあるごとに人に話している。できれば全国の医療関係者や病人に聞いて考えて欲しい話だと思っている。大地も大自然なら、我々の体も大自然である。文献やネットで情報ばかり集めていないで、もっと広く深い視野で自然と命を見つめれば体の見え方も変わるだろうにと、いつも思う。

私はハラを揉み続けて15年になる人間である。面白いのはハラを「肚」と書くことである。月へんは体の意味を持つから、「肚」は体の中で土の存在であるということだろう。実際に毎日沢山の人のハラを揉んでいる私の感覚では、この「肚」という漢字は全くもって的を得たものであって、ハラはまさしく人間にとって土そのものと感じる。異物(食物)を吸収し分解し発酵させ木々(肉体)の為の栄養に変える命の源が「肚」なのだから。

「ハラは肚」

食べ物を語る時に、健康を考える時に、まずこれを忘れては話にならない。そもそもの根源的な概念なのだから。しかるに現代の医学も栄養学も薬学も、この概念が決定的に欠落しているのはなぜだろうか。


病気になった時、人は食べ物と薬の情報を集めようとする。ネットや書物や専門家からのアドバイスを通して、病を治す薬を、食べ物を探そうとする。「あれを食べればいい。」「この薬がよく効く。」そういった情報をできるだけ集め、その中から自分が良さそうに思う情報を取捨選択し、体に入れようとする。その考え方はそれほど間違っているようには思えない。これだけ医学が進んで、これだけ情報が提供されている時代なのだから、その恩恵を活かそうとするのは当然のことだと思う。しかし問題は、あなたが手に入れる情報が果たして信頼に値するものかどうか、ということである。本当に人間の体を知り尽くしたうえで、特に大事なハラのことを理解したうえで精査された情報であるかということである。私はここにかなりの疑問を抱いている。

私のところに病を抱えてやって来る人たちは、一通り病院巡りをし、さまざまな健康情報を集めて試した末にやって来る人たちが多い。そんな人たちのハラに触れながら話を聞いていると、人ぞれぞれ実に様々な健康情報を持っている。あれもやった、これも試したと私の知らないような情報もいっぱい抱えてやってくる。よくもまあこれだけ情報があるものだと感心するわけだが、しかし結局のところ、それらの情報は役に立たなかったか、一時的に効いたけれどもやがて効果が無くなってやめたという話に帰結する。本当の事が知りたくて私のところにやってきたんだ、と言う。出回っている情報は最終的には役に立たなかったのだ。

これだけ様々な健康情報があり、様々な人が様々な努力をしているのに、なかなかこの世から病が消えない。消えないどころか癌になる確率は年々増えている。医学は進歩していると言いながら、医療費は年々増えていながら、情報はこんなに便利に得られるようになりながら、結局癌は増えている。毎年のように新しい治療法ができてきているのに、その努力を踏みにじるように癌の苦しみは我々人間社会を益々脅かそうとしている。

これはどういうことであろうか。


ひとつ実験をしてみると解りよいかもしれない。元気な花が咲いている植木鉢を用意しよう。そして翌日から毎日肥料をあげてみよう。良質の有機肥料を買ってきて、毎日欠かさず肥料をあげてみよう。量はせっかくだから贅沢に多めにあげてみよう。大事に大事に毎日欠かすことなく肥料をあげよう。さて一月後にこの花はどうなっているか。多分枯れているね。花は枯れ、葉もしおれ、全体に茶色くなっているだろうね。土のにおいを嗅いでみると、嫌な匂いがするはずだ。これは栄養過多で土が腐って枯れたんだね。海の赤潮と同じく、栄養が多すぎると生き物は死んでしまうんだ。

人間の体も同じ。栄養をどんどん取れば体は元気になると皆思っている。薬を飲めば病気は治ると思っている。熱が出たら栄養が足りないからだと言っていつも以上に食べたり薬を飲んだりする。すでに現代人の体は栄養過多なのに、過多すぎて熱が出ているかもしれないのに、そこに追い打ちをかけるように栄養を摂る。そして薬で無理矢理症状を抑える。これは肥料を与えすぎて弱ってきた植物に農薬をまき散らすこととどう違うと言うのだろうか。

なぜ我々は2人に1人が癌にならなくてはならないのだろうか。家族の半分が、友人の半分が癌にならなくてはならないのだろうか。医学が進歩しても、情報が充実しても増え続けて留まることを知らない癌を我々はどう受け止め、どう向き合ったらいいのだろうか。

わごいちに通う医療関係者の話を聞いていると、医療現場でハラを触ることはほとんどないらしい。検査は機械を通して行われる。検査結果はパソコンにデータとして出てきて、それを患者に伝える。あまりに沢山の患者を診なくてはいけないので、なかなか患者の顔をみてじっくり話を聞くということが出来ないという。ハラはおろか、体のどの部分にも一切触れないで診察が完結する事も多いという。癌には免疫力が大事ということはあらゆる医療関係者が知っている。その免疫力の多くは腸によって育まれているということもまた知っている。なのにハラを触らない。エコーの画像、CTの画像、血液検査のデータなどをみて「わかった」という。言わざるを得ない。なにがどこまでわかったのだろうか。

食事指導をする管理栄養士も、薬を処方する薬剤師も、まずハラに手を触れない。薬や栄養を受け止めるハラを触らない。触らないで検査データをみて「あなたの体にはこれとこれを”入れれば”いいですよ」と言う。「入れる」事には関知するが、その後入れたものが体内でどう変化していくかは関知しない。自分が処方したものが入っていく先のことをよく知らないまま食事指導をし、薬を出す。

今の進んだ医療は、ハラをみない。ハラに触れない。ハラに関心を持たない。逆に進んでいなかったはずの一昔前の医療の方がハラに手を触れていた。今でもベテランの老医師はハラを診ることがある。そういう老医師が癌を見つけることもあると言う。ハラに触れないということは、木をみて土をかえりみないということであろう。土が栄養過多で腐っているのに、木の弱り具合だけを観察して「この肥料を入れよ」「この薬剤を散布せよ」と言って、ますます土を腐敗させその生命力を弱らせていくようなことはないだろうか。

「ハラは肚」

この感覚をどれだけの人が持っているだろうか。ハラを見ずして体を語ることなかれ。命を育み、命を保つのはハラである。免疫力が腸にあるとようやく最近注目されるようになってきたが、そもそも免疫力だけじゃなく、消化力も吸収力も循環力も浄化力も昔から人間はハラで行ってきたのである。そのハラを軽視したまま、ハラに触れずして医学を進歩させようとも、情報を拡散しようとも、それらが病の、癌の核心を癒すことは甚だ難しいであろう。

もうおわかりであろうか。

世の中に出回る健康情報、栄養に関する情報などがその実トンチンカンであるということが。ハラを触りもしない人たちが作った専門知識を伝言ゲームでメディアやSNSが拡散しているのが今の健康情報である。更には癌ビジネスに群がる人たちの怪しげな情報まで交じってくるとどうしようもない。「腸を元気にする食べ物」「腸まで乳酸菌が届くサプリ」なんて類の情報も沢山出回っているが、すでに食べ過ぎで飽和状態のハラにそんなものを入れたところで腸が弱って全く逆効果であることがほとんどである。それを専門家もそうでない人もみな気付かない。ハラに触れないから気付かない。だから癌が増えていく。逆に言うとその事実に皆が気付いていければ、癌は確実に減っていくだろう。

わごいちでは徹底的にハラに触れる。ハラに触れ、ハラを揉みながらハラの状態をさぐる。炎症はないか。癒着はしていないか。どうして腫れているのか。普段どんなものを食べているか。それが臓器にどういう影響を与えているか。ハラの状態を会話で探り、施術で探る。腹筋の奥のハラの状態をできるだけ深く探って異常を感じ取り、その原因を特定していく。いきなり栄養を摂りなさいなんて指導はまずしない。ハラも疲れているんだから、休息を上手く交えながらハラをまず元気にしていく。栄養指導はそれから後の事なのだ。実はそれで十分癌は予防できる。15年間誰一人癌になっていないわごいちの実績がそれを物語る。

ハラは肚なのである。

食べ物を受け止め栄養に変えてくれるハラのことを思い遣り、ハラの状態に合わせた食生活を考える。決して専門知識を押し付けたりしないで、手で触れ状態を感じ取り、定期的に食生活とハラの状態の推移を観察しながらその人にあう食生活を模索していく。丁寧で息の長い取り組みが必要になるが、本来「栄養」とはそういうものであろう。サプリで栄養を何とかしようなどと言う考えそのものがハラへの軽視の現れではないか。そんなことではいつまでたっても癌と言うしっぺ返しをハラから食らい続けることになるだろう。



今日はわごいちの癌予防の3本柱のうち、「栄養」についてまとめた。次回は「運動」について書いてみようと思う。







三宅弘晃

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by wagoichi | 2017-01-17 16:11 | 教育

技術ってのは



最近、寿司の専門学校のネット広告がやたらと我がPCに登場する。

確かに私は寿司は大好物である。であるが寿司の専門学校には別に惹かれない。

「寿司職人になるために、寿司屋で何年も修行するなんて馬鹿げている」という人がいる。食べる人はそういう考えもあると思う。でも職人に対しては、その考えはやめとけと言いたい。




知り合いの専門学校を経営する人から、こんなことを聞いた。

「最近の専門学校は、例えば調理学校なら2年間とか期間を区切って、その間は最高の道具と食材を揃えて、すべての調理技術を教えこんで、卒業までに一人前にする、というのを国が政策として後押ししているんです。」

この国の方針に従う専門学校には手厚い補助金を与え、「いやいや、うちは年月かけても地道に修行させる昔ながらの方針を守ります。」という専門学校の補助金は減額していくんだそうである。

国がそういう方針なのだね。




すでに昔にこの方針が徹底された世界がある。ほかでもない、我らが整体界である。

昔は整体の技術伝承は、個人の治療家が各自で後継者を育てていた。整体と言うのは全国各地に様々な流派があって、その全貌は誰にもわからない世界であるが、従ってその技術伝承も個々の裁量と方針によって行われていたようだ。

整体が西洋医療と比べて世間の信用を得にくいのは、一つには公的医療ではないということもあるが、それ以外に「あの先生はどんな治療をするのかわからない。」という世界であるからだと思う。病院なら「この病気ならばこういう治療がなされるであろう」という想定が可能であるが、整体はそれが難しい。口コミ情報を頼りに訪れ、あとは受けてみないとわからない世界である。

だから整体はどうしても「あやしい」というイメージが付きまとう(それはそれで仕方ない)。一方で自由で闊達な技術研究を行う土壌があるというのもまた事実である。医師会とか医局とか学会とか、そういう縛りが無い。自分が思うように技術を磨いたり、改造したり、発明したりというのが、お医者さん達よりもはるかに自由なのである。

「あやしい」のに無くならない整体。頼る人が後を絶たない整体。それはこういう整体の自由な研究の成果としての技術に、人々が期待をするという要素があるのは間違いないと思われる。


しかしそんな整体界の自由は、今や壊滅的である。国策があったのかどうかは私は知らないが、昨今の多くの整体師は整体の専門学校の卒業生である。整体学校で画一的な技術を学び、卒業をもって「一人前の整体師」として世に出ていくのが今の整体師の在り方になっている。我らわごいちのように、年単位で徒弟制度の中で技術伝承をするような整体院はほとんどない。

「卒業してからも色々な技術セミナーに参加して勉強を続けているから、それでいいんじゃない?」という人もいるだろうが、そういう人はキャリアの一番初めの真っ白な時期の大切さを知らない。徒弟制度の中でしか伝わらない技術の凄みを知らない。残念だけど、わからないものはどうしようもない。

今の整体界は、まず整体学校から入るがために、彼らの言う「効率的なカリキュラム」で促成栽培されるがために、皆同じようなテクニックを、中途半端なレベルで提供しているに過ぎない。これではちょっと上手な整体師は生まれても、すごい整体師は生まれない。これは世の体調不良の人たちにとっても、整体師たち本人にとっても非常に悲しいことであるが、すでに現実として定着してしまっている。

一度失った徒弟文化を、年月をかけて本質を学ぶ文化を取り戻すのがどれほど大変か。今まさに、その苦難の真っただ中にいる私が味わっているこの歯がゆさを、どれだけの人が想像できるだろう。



学びは初めが肝心なのだ。初めに学びとはこういうものかと、修業とはこういうものかと、手に職を付けるというのはこういうことかと、テキストにもDVDにも表現できない師匠と弟子と言う2人の人間の生々しい葛藤の中で根付くこの感覚を、今のような専門学校でどう伝えようというのか。効率を追求すればするほど、技術は遠のく。本物の技術を知らないお国の官僚にはそれがわからない。



寿司は寿司屋で親方から学んだ方がいいですよ。

中途半端な専門学校で学んだ技術なんて、もう数年のうちにロボットに負けるよ。今はまだロボットもあんまり上手じゃないけど、瞬くまに上手になって世界中に出荷されて、中途半端な職人はすべて駆逐されてしまうだろうよ。せっかく学んだ時間も、払った学費も全部パーだね。


でも「飯炊き3年、握り8年」をしっかりやってきた本物の職人だけは生き残る。生きがいに包まれて生涯を終えることが出来る。


技術ってのはそういうもんだよ。













しのぶさんに捧ぐ。。。。弘晃

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by wagoichi | 2016-12-05 15:13 | 教育

効率学習と鍛錬


昨日は月に一度の無楽整体塾。太ももの外側と内ももの丹足を稽古。さらに四股踏み指導と、鍛錬について話をした。



日本の教育において「効率学習」という言葉をよく耳にするようになった。弱点を分析し、最も効果的なアプローチによって最短距離で学習効果を実現する。そんなところだろうか。

その一方であまり耳にしなくなった言葉もある。「鍛錬」である。千本ノックとか、素振り百回とか、腕立て百回とかうさぎ跳びとか、論語素読とか、そういうのはもう流行らない。

筋力を強化したければ、スポーツジムでパーソナルトレーナーの下でマシントレーニングに励むのが一般的である。(書いてみるとやけにカタカナが多い。)

何もこの傾向は野球やサッカーなどの西洋生まれのスポーツに限らない。最近は国技相撲であってもマシントレーニングをする力士も少なくない。

スポーツ科学的観点から作りこまれたマシンで、専門知識を持った指導者の下で、できるだけ効率的に、短期間で最大の効果を得られることを目的に練習メニューを組み立てるのが主流となっている。

この効率化はスポーツの世界だけに限らない。学校教育や受験教育において「効率学習」は空気のごとく当然のものであり、学生は「効率学習をしよう」なんてわざわざ意識さえしなくとも普通に効率的学習を享受できる。

厳しい競争社会に於いては、人よりも効率的に勉強したり練習したりすることこそが、勝利への秘訣なのであろう。



しかしその一方で、なんでもかんでも「効率」が一番とは限らないのが、生き物の世界の面白みである。

例えば下に紹介するのは、我が弟子 紙鳶の丹足風景である。



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何気なく軽やかに相手を踏みほぐしている。実際に紙鳶はこの丹足を4時間も5時間も連続で続けることができるくらいだから、軽やかに踏んでいるのは間違いない。軽やかに深く効かせるのが丹足の真骨頂である。

丹足のポイントは軸足、この写真で言えば右足にある。ある程度低い体勢を維持しながら体全体を上下反復運動を続けなくてはならない。それを軸足の内ももで支え続け、動かし続ける。

と、書いてしまえば簡単だが、実践するのはそう簡単ではない。

軸足が安定しない。普段多くの人は外重心で動いているので、内ももを使うことに慣れていない。「内ももを使うってどうやるの?」丹足に挑戦し始めたほとんどの人は、まずその壁にぶつかる。そして軸足が安定しないと踏み足がどうしようもなくなる。

「どうして外重心ではいけないのか、内ももじゃないと何故だめなのか?」という問いに対する答えは今日は控えるが、結論から言うと、丹足稽古は「内ももを使えるようになること」そして「内ももを使い続けられる強さを養うこと」が肝要であり、この二つの課題は、地道な鍛錬なしでは克服できない。



我が無楽整体塾の門人たちを見ていると、やはりこれまでの効率学習の習性を色濃く感じる。忙しい日常で、月一回の限られた稽古で、たまの自主練習で、いかに効果的に上手くなるか、そこへ関心が向きがちである。

一方で日々の鍛錬はまだまだのようである。「毎日休まず百丹(100回鍛練)してるか?」と訊かれて「はい!」と目を輝かせる門人がまだまだ少ない。5分あれば四股100回くらいは踏めるのだが。

この辺が現代日本のひ弱さを表しているように感じる。肝っ玉もちんちんも小さくなる一方である。


効率学習の目標というのは、極言すれば「ほどほどのところ(設定目標)まで達成する。」ということだと思う。受験勉強は、志望校に合格するレベルに達せれば良い。設定目標までの最短距離を志向するのであって、例えば合格レベルをはるかに超えて、教科書にのっていない深みまで興味をもって学問するのは、効率学習では良しとされない。

世の全ての学びにこの効率学習が適用されれば、世の中とてもつまらなくなるのではないだろうか。みんなほどほどの人生。世界もほどほど。大して違いがない。深みも面白味もない。



なぜ私は「鍛錬」を語るのか。

それは自分が「これだ」と思うものくらいは、効率学習を超越したいからである。ほどほどの目標に向かってぼちぼち頑張るなどと言う頑張りは、受験と仕事の中だけで充分なのだ。今われわれの人生に必要なのは、終わりなき鍛練への挑戦であり、たゆまざる自分自身の更新ではなかろうか。




私の元では小賢しい学習は要らない。
鍛錬あるのみである。








弘晃

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by wagoichi | 2016-11-20 19:09 | 教育

子供顔・大人顔


出勤時の子供との会話がおもしろい。


昨日、前を歩くサラリーマンの後姿を見ながら、「私、パパみたいな仕事がいいねん。」と言う。

「なんで?」と聞くと

「会社でずっと座って働いたり、怒られたりするの嫌やねん。」と応える。

「じゃあ、パパの仕事はどう思う?」と重ねて聞く。

「なんかなぁ、まろやかでしんせん~って感じがするねん。だからパパの仕事のほうがいいねん。」

そんな小学2年生の娘の将来の夢は、他に歌の先生・ピアノの先生・ペットショップ店員・パンダの飼育員と続く。



ちなみに今朝はこう。

「パパ、仕事楽しい?」

うん、楽しいで。すごく楽しいで。と応えると、

「でもパパ、仕事頑張りすぎたら熱でるからな。気をつけてな。」



キラキラと澄んだまっすぐな子供の目に、その感性に時にびっくりさせられる。思わぬところで大人は子供に見られている。

その反面、大人は子供を侮るところがある。「どうせ子供だから」と大人は高をくくるが、実際子供はそんな大人を冷静に観察している。そして大人が思うよりも的確に、大人が思い至らないような真実をも見つけ出すことがある。

子供の眼はきれいだ。きらきらして本当に色々なものが見える。



娘と別れると電車に乗る。いわゆる通勤電車である。

世界が一変する。居並ぶ目目目目が死んでいる。小さな目を世界いっぱいに広げている子供を見た後で、互いに焦点を合わさないようにしながら狭い空間でひしめき合う大人たちに出会う。

綺麗に化粧をしているが、肝心の表情が死んでいる。パリッとしたスーツを身にまとっているが、しぐさに品がない。若者は寝ぼけ眼でコンビニ袋からパンを出してかじっている。そんな狭い車内にはどこにも微笑みがない。感情と個性を押し殺した空気が充満している。


ああ、いつから人間はこうなるのだろう。

あの小学校低学年のあふれ出る好奇心とはじけるような笑顔は、いつこの殺伐とした顔になってしまうのだろう。どういうタイミングで、どういうきっかけで、どういうメカニズムで、人間はこうもつまらない顔になっていくのだろうか。



子供の目のままに大人になることが不可能であるのは知っている。

でもだからと言って、大人の顔はつまらない顔で仕方がない、と開き直るのもまっぴらごめんである。

子供とは違っていても、大人なりに大人だからこそのキラキラした目をして生きていくことに何の問題があるだろうか。



あきらめないでいこう。

あきらめては、そんな大人の後を追う子供があまりにも可哀そうであるから。









弘晃

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by wagoichi | 2016-11-05 21:48 | 教育



ようやく癌解説2つ目完了。3つ目が・・・3つ目が大変なんだよ。テーマは決まっているが、どう伝えたらいいのか。。。。ああぁぁ
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