揉道15.いまどきの徒弟制度


昨日一緒に飲んでいた経営者T氏に、「どうして徒弟制度をとっているのですか。」と尋ねられた。なぜ今の時代に徒弟制度なのか。今日は徒弟について書いてみようと思う。

(昨日、T氏と共に富山珈琲でいただいたエスプレッソトニック。)


e0359411_17142312.jpg


わごいちが徒弟制度に踏み切ったのは、今から10年前。もちろんそれなりの伏線はあった。

当時も今も愛読する『木に学べ』。西岡常一棟梁の宮大工仕事にスポットライトを当てた本だが、その中でも「口伝」というものに強く関心を持った。『木に学べ』は口伝についてこういう記述がある。(本文より一部抜粋)



棟梁の家に伝わる家訓のこと話しましょ。法隆寺の棟梁がずっと受け継いできたものなんです。文字にして伝えるんではなく、口伝(くでん)です。文字に書かしませんのや。

100人の大工の中からこの人こそ棟梁になれる人、腕前といい、人柄といい、この人こそ棟梁の資格があるという人だけ、口をもって伝えます。

口伝を聞くときは、正座して黙って聞くんです。1回しか言わんのです。2回はしゃべりません。それで10日ほど経ってから試験しましたな。「口伝、お前ちょっと言うてみい。」

わたしがうろおぼえのを言いますと、「違う、違う」と言いますのや。どういうふうに違うということ一切言わない。「違う。まちごうている」だけや。

次の時に言うたら、「ああ、その通りや。しっかりと頭に叩き込んでおけ」そんなことでしたな。なかなかおじいさんは厳しいおましたで。



口伝というものものを、私はこの本で初めて知った。こんな伝え方があるのかと、今の教育とはずいぶん違うなと、最初はその程度しか思っていなかったが、職人世界で年月を重ねるうちに「口伝」というものが大きい存在になっていった。

一定期間で効率よく学ぶのが現代教育の潮流であろう。「飯炊き3年、握り8年」などという寿司修業は「古臭い」と敬遠され、調理学校で握りの技術を学ぶ時代である。医者も弁護士も何でもかんでも学校で育てられる。「学び=学校」それ以外の選択肢が無くなりつつある。

西岡棟梁の本の中で、当時の私がショックを受けた出来事があった。それは西岡棟梁が現役引退される前に、「口伝」を一般公開されたことだ。


「この人こそ棟梁になれる人、腕前といい、人柄といい、この人こそ棟梁の資格があるという人だけ、口をもって伝えます。」


という口伝の重みを誰よりも知り、誰よりも大事にしてきたはずのの西岡棟梁が、なぜ口伝を一般公開されたのか。どのような心境であられたか。

門外漢なので想像の域を出ないが、西岡棟梁は「口伝の時代じゃない」、つまり徒弟制度の時代じゃないと考えられたんじゃないか。一番目をかけた弟子が、自分の会社を立ち上げたのも大きかったのかもしれない。もうそういう時代なんだと。

もちろん実際のところはどうなのか知るべくもない。

ただ当時の私はショックを受けた。時代にあわないからと、我々はこのまま徒弟制度を捨ててしまっていいものだろうか。本当に徒弟制度は必要のないものになってしまったのだろうか。



私はずっと肚揉(はらもみ)を続けている。病院治療で救われない人々の肚を揉み、西洋医学がカバーできない肚の研究を一人で続けてきた。まだわずか16年でしかない道のりだが、それでも確信をもって言えることが一つある。

それは肚揉は学校教育では伝えることができないということだ。


肚揉はもちろん技術事である。自分の手で相手の肚をほぐす施術法である。しかし実のところ、肚揉は技術事だけとは言えないところがある。例えば学校を作って肚揉教育を施したとしても、恐らくものにできるのはごく一部であろうと思う。

なせなら肚揉を行うには、技術とともに人格が問われるからだ。宮大工の口伝にこうあった。

「100人の大工の中からこの人こそ棟梁になれる人、腕前といい、人柄といい、この人こそ棟梁の資格があるという人だけ、口をもって伝えます。」

大工ならば頑張れば誰にでもなれるが、棟梁になることが出来るのは100人に1人。技術が卓越していると共に、他の大工がこの人ならついていこうという人格が備わっていないと、大工の棟梁にはなれないという。


肚揉の場合は、肚に触れられた相手が「この人は全てお見通しだ」と感じさせないと、つまり相手の肚を開かせないと本当の肚揉ができない。そういう人格教育を行うに、学校教育は、朝から晩まで師匠に密着する徒弟修業に遠く及ばない。

だから宮大工の棟梁も徒弟制度で技術と人格教育をしてきたのであろうし、肚揉もそれがふさわしいと私は考えている。


私はこういう時代だからこそ、古きものが失われている時代だからこそ、敢えて古きものから学びを深めようと思う。伝統を守れないことを嘆くのではなく、これからの時代にも生き残る伝統を模索しようと考えたた。

そして肚揉(はらもみ)を伝える徒弟制度を始めた。

そして10年前に、当時26歳だった池田参尽を、5年前に34歳だった井上紙鳶を弟子にとった。



・ ・ ・



昨日経営者T氏に「どうして徒弟制度をとったのですか」と聞かれ、私は応えた。

「技術者にとって、自分が人生を賭けて獲得した技術というのは最大の財産であり、いわば大事な子供のようなものです。その大事なものを、授業料をもらったからと言って誰でも渡せるわけがないんです。私の人生をそこに捧げます、という意気込みがあって初めて教えてやろうかという気にもなり、またモノにもなる可能性が出てくるのです。中途半端は害にもなる。だから肚揉(はらもみ)という本物の技術を持つわごいちで徒弟制度をとるのは、ごくごく自然なことなんです。」

教える方も、教わる方も、一生を賭ける。

それが学校教育と徒弟制度の一番の違いであろうし、どちらも人の世には必要なものであろう。



徒弟制度を無くしてはいけない。

あれから10年。わごいちの挑戦は続いている。












三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・木刀200丹
・四股200丹
・三番叟四股100丹


[PR]
by wagoichi | 2017-07-28 17:10 | 人生