運動音痴


人間の能力というものは測りがたい。

よく勘違いをされるが、私の運動能力は低い。短距離走はいつも遅かったし、球技全般も下手だし、器械体操に至っては壊滅的でさえある。

私が丹足をしている姿を見て、「先生って運動万能なんでしょうね」とよく言われるたびに、悲しい否定をしている。

一方、相棒のたーさんはそうではない。スポーツ万能だ。球技もできるし、側転も綺麗にするし、パワーもある。格闘技もやっていたことがあるという。流石はプロスノーボーダーというか、私と比べるのもおこがましいが、彼がサラブレッドならわたしは駄馬でしかない。

さらに運動にはまったく関係がないが、彼は極上のコーヒー豆の焙煎をし、上質のケーキが焼ける。どちらも私には全く無理。出来る人は何でもデキるという好例ではないかと思う。

丹足もこの春から始めたばかりであるが、上達スピードには目を見張る。かつての紙鳶を超えるスピードで上達する姿を見るにつけ、やはり人間の能力にはいかんともしがたい個性があるのだなと思い知らされる。



そう思って我が身を振り返ると、不思議な気もする。

どうして自分は丹足を生み出すことができたのだろう。人の体に触れているうちに、体の理のようなものが見えてきた。動いている人を見たら、体内で働くメカニズムが理解できる。集中すれば動揺や興奮などの心の動きさえも感じ取れる。自分・相手を問わず、心身の動きが透けて見える。

いつからこういう能力を得たのだろう。学生時代もサラリーマン時代もそんなことは一切できなかったから、整体の世界に入ってからであるのは間違いない。きっとそれは肚と向き合いだしてからだと思う。肚を通して人間を見た時、見れるようになった時、人間の内部が見えてくる。体内の筋肉の動きや内臓の動き、神経の伝達経路などが見えてくる。





丹足は肚に向き合う第一歩だと思う。第一歩であり最も確かな一歩であると思う。一見相手を踏んでいるだけだが、その実「自分の肚はいまどういう状態か。」ということを常に問い続けることができる。自分の肚を感じ取れるようになればなるほどに、動きが洗練されてくる。

内面の感性の変化が外面の動きの変化に現れてくる。これが丹足の面白さだと思う。



人間の能力は、単に知力や運動能力だけでは測れない。プロアスリートのたーさんが運動音痴の私から学ぶのは、彼がその面白みを知っているからだと思う。僕の中の秘めた能力を察知して、少しでもものにしようとしているからだと思う。(実際に彼にはそのセンスさえもある)

人間の能力は実に多様だと思う。若い時に輝く能力もあれば、歳月を重ねて深みを増す能力もある。自分はまだまだ伸びるんだと信じて、今自分ができる努力を重ねて、自分の中の秘めた能力を引き出したい。

千照館はその場になることができる。




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<今日の協会連絡事項>

たーさんこと井本忠男さんの、千照館道場会会長就任が決まりました。

丹足創始者である師範と、プロアスリートの道場会長がけん引する丹足道場 千照館。こんな道場ありますか。










三宅弘晃

080.gif今日の丹練


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by wagoichi | 2017-07-26 11:50 | 整体