揉道9. 修行は愚直なるべし


桜井先生の元での修業は、愚直そのものだった。「違う」「こう」とだけしか言われない反復練習を繰り返しながら、少しでも先生のほぐし方に近づけるように挑み続けた。

マンツーマンで1日4,5時間。親指の付け根が腫あがって軽く触れただけでも飛び上がった。そうなると先生が少し揉んでくださって、その後また練習を再開する。仏か鬼かわからない先生だった。

帰り道、自転車のハンドルが握れなくて、グーをハンドルの上に乗せて運転をした。ブレーキは握れないから足で止めた。家のチャイムもグーで押した。ドラえもんの気分がよく分かった。そんな修業生活を数か月続けた。

修業が終わった時に、それでも「君の手はまだできていないから、ハラを揉むときは指を使うと危ない。これから1年間は手の平で揉みなさい。」と言われた。

開業して間もないころは施術効果を出したくて焦ったが、それでも指は一切使わず手の平だけでほぐし続けた。グーがパーに変わっただけで、指は相変わらず使えなかった。不便極まりなかったが、ちゃんと1年間、先生の言い付けを守り続けた。

結果としてはそれが良かった。

「もうちょっとこうやればうまくできる」という近道をついつい人は考えるものだが、修行に近道はいけない。まず初めに体を作ることが大事なんだ。手や体が出来てない素人の考えなど、まずい味噌汁に化学調味料をいれてごまかすようなもので先がないんだね。

あの時に指を使ってしまっていたら、私も世の整体師と同じく小手先の手技になってしまっていたかもしれない。



今、千照館でも「丹練」を推奨している。毎日四股を踏もうと言っている。何回やるか、どのくらいの負荷をかけるかは本人任せだが、毎日みっちりと四股を踏んでいる人間はやはり違ってきている。

愚直な丹練をしないでは、たちまち頭打ちになる。体をつくらないまま小手先いや小足先でごまかし踏んでいると、どんどん変な方向に行って帰ってこれなくなる。怖いね。




話を私の修業時代に、戻そう。

桜井先生の元を離れて一年後、ようやく指を使うことが解禁となったが、それでも丹力の手技はまだまだ習得できたと思えなかった。

当時の私の頭には桜井先生の丹力施術のイメージ、そしてその源流の宮原一男先生の延命学の施術のイメージがこびりついていた。わずかな一歩でも日々近づいていこうと、イメージだけを頼りに一心に施術していた。


この孤独な修業は6年続いた。

2001年の4月に桜井先生の元で丹力を学び始めてから、2007年頃まではひたすら丹力と延命学を追求した。

世の整体師や治療家の多くは、あちこちの技術セミナーや学校に通って、様々な技術を仕入れる努力をするが、私はそういうことはしなかった。セミナーマニアに本物は居ない。私はただひたすらに丹力と延命学だけを見据えて修業を続けた。


何か一つのことだけを追求するのは難しい。

時に行き詰まり、違う道を試したくなる。この道で本当にいいのかと、迷うこともある。周りの人たちが一見華やかに楽しそうにしているのを見ると、地道に這いつくばるように進む自分に「なにやってんだろ」と思うことも出てくるのかもしれない。

当時の私に、そういう迷いは全くなかった。この道は「本物だ」と信じて疑わなかった、迷いのかけらもなく、ただ愚直に修業を続けた。力をつけ、桜井先生を支え、伝え、丹力を世に広めよう。それが何より世のため人のための道だ。桜井先生への恩返しもになる。

そんな気持ちでただ愚直に修業を続け、徐々に自分の力量への手応えも感じ始めてきたその先に、意外な道が現われてきた。







つづく







三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・立木打ち100丹
・四股200丹


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by wagoichi | 2017-05-06 23:10 | 教育