天才の調べ


山田忍さんの音に初めて触れたのは数日前のことだった。

初めて聞いた時から虜にされた。正確に言うと、初めの一音で心を鷲掴みにされたような気がした。

あの世に逝かれた人のことを無責任に論じる傲慢さは怖いと思うが、それでもどうしても書きたくなったので書こうと思う。忍さんお許し願います。




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たった一音、たった一つの和音、たった一つの打鍵、それで伝わるものがある。同じピアノ、同じ譜面、なのに違う音が鳴る。なんと面白く、なんと興味深いことではないだろうか。そんなことを改めて思った。

一緒に忍さんのCDを聴いていた妻も「この人の音は違う」と言う。違う人間が聴いても、伝わる凄みというものがあるのだろう。

同じドレミなのに、違うドレミが奏でられている。

上手いと凄いは違う。上手い人はちらほらいるが、凄い人にはあまり出くわさない。練習を重ねれば多くの人はいつか上手いにたどり着けるが、凄いにたどり着ける保証はどこにもない。

上手いは必然の範疇にあり、凄いは奇跡の範疇にある。

だから凄いに触れると無性に嬉しくなる。大げさに聞こえるかもしれないが、生きていてよかったなと思う。





山田忍さんは凄くて、しかも上手い人だと感じる。

音楽知識の乏しい私にはあくまでも推測でしかないが、おそらく忍さんのような人でも一曲の中ですべての音がパーフェクト!というものではないんじゃないか。これはバッハでもショパンでもきっと同じではないかと思う。

どの音も一つとして外すことはないが、それは全てが完璧という事ではなく、たまに「完璧!」という音があるが、全てがそうじゃない。「んっ」「おっ」「やっ」という音と、「イエス!」という音が入り混じる。誰でもそんな感じじゃないかと思う。

ただ山田さんのような人が一味違うのは、完璧であろうが無かろうが一音ごとの凄みが圧倒的であるという事に加え、弾いた瞬間に、その音が耳に入った瞬間に、その音を前提としてその後の曲全体の流れを、瞬時に再構成していくんじゃないかと想像されるのだ。

一音一音ごとに、曲の流れを作り替えていく。既に出てしまった音を無視しないで、例えその音が不本意であったとしても、その音を次にどう活かすかだけを考える。常にその時その時の最高の次の音を繰り出そうとする。頭で考えては追いつかない。手が、体が、ハラが自動的にその作業を繰り返す。一曲の中で何百回も何千回もそれが繰り返される。



常人ではこうはいかない。弾く前に曲のイメージを用意する。弾き始めたら、初めに用意したイメージに極力忠実に弾こうとする。練習通りに、先生に指摘されたことを忠実に弾こうとする。それが普通の人であろう。

少し熟練した人ならば、曲の最中に何回かイメージを軌道修正することができる。自分の調子、ピアノとの相性、ホールの響き方、客の反応などをみて、より好ましい流れへを演奏を軌道修正する人もいる。

しかし本当に上手い人はそうではない。

曲の途中で何回か・・・そんな甘いものではなく、一音一音ごとに軌道修正をかけ、新しい流れを作っていく。あの切れ目のないような音のつながりの中で、コンマ何秒という世界で確実に一音一音に軌道修正をかけて、結果的に全ての音が必然であったという世界を曲の中に創り上げ、最終的に自分の思い通りの楽曲に仕上げてしまう。そして観客を熱狂させてしまう。

本当に凄くて上手いという人はこういうことをしているはずである。山田忍さんの演奏を聴いて、私はまた考察を深めることができた。



上手いと凄いは違う。上手い人も必要だが、凄い人はなかなかに得難い。だからこれから何かに取り組もうという人には、上手さだけではなく、凄さという物差しも持って練習してみてほしい。また違う取り組みになるはずである。

もしその過程で山田忍さんのような人に出会ったら、きっとその時は、逃げずに挑んでほしい。己の限界に果敢に挑み、嫌というほど何千回と打ちのめされながら努力するのもまた気持ちよいものである。




私はそんなひたむきな努力を見つめながら・・・






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コーヒーでも淹れて忍さんの音楽を聴いていたいものである。












三宅弘晃

080.gif今日の丹練
・階段四股100丹
・四股300丹
・かちあげ四股100丹


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by wagoichi | 2017-03-19 21:09 | 職人