照千一隅への道のり

やりたいようにやらせてもらいます

明けましておめでとうございます。

この新しい一年をどう過ごそうか。そんなことを考え、少々手こずった年末年始だった。

と言うのは、近頃こんなことを言う人間が時折いるからだ。


「私も先生方のように自分の仕事に命をかけています」


何度かこんなことを言われて、たいていは同業者であるわけで、その度にハテナ?となる。

「俺らこの仕事に命をかけているのかいな?」

何度も言われるとさすがに気になり、試しに弟子たちに「君らは命かけてます!とかカッコいいこと言ってるんか」と聞いてみたら「いやいやいや」と???が増えるだけ。

「仕事に命をかける」とはどういう働き方になるのだろう。そんなことをこの年末年始に考えていた。



どう考えてみても仕事に命はかけられない。

心臓疾患を持っている人がわごいちに来たとして、自分の心臓を移植していいよとは言えない。どれだけたいせつなお客でもね。腎臓なら2個あるからいいかな、、、いや無理だ。

我々がお客のことを大事に思う気持ちは嘘じゃない。どこにも負けないという自負はある。でも命をかけて守ります、と言えばそれは嘘になる。だから言わない。

もちろんわごいちを見て「命を懸けている」と言う人が、我々に心臓移植までを期待して言っているのではないことはわかる。わかるからこそ、じゃあ何でこの人たちはいちいち私にそんなことを言ってくるのか?がわからなくて考えていた。



考えた末にようやく思い至ったのは、この人たちは一見命を懸けているような我々の働き方の根底にある何らかの感覚的なもの、あるいは思想的なもの、そう言うものの迫力要素を取り出して「命懸け」と言う言葉で表現したんじゃないだろうか、と言うことだ。

それであれば確かにわごいちには、他にはない独特の雰囲気と言うべきものがあるかもしれない。多くの人が「温かい空気」「凛とした雰囲気」「叱られるのは怖いけどそれが必要」そんなことを言う。こう言う雰囲気はあまりみないだろうとは思う。

この迫力要素を伴うわごいちの雰囲気は何から生まれているんだろう、そう考えが進んだときに少し面白いことが発見できた。それは自分達が何を求めて働いているのか、と言うことだ。

人は我々に向かい「お客さんや世間の困っている人たちのことを真剣に考えて下さってありがたいです。」と言って下さる。こう言われる度にありがたさの中にも畏れ多い気持ちがそわそわと心の中で浮遊する。確かに真剣に思う気持ちは存在する。しかしその気持ちと裏腹に全く違う気持ちもまた存在することを私は感じ取っている。

人は矛盾だらけの生き物だと言うことは日々痛感することである。人だけじゃなく、動物も植物であっても矛盾だらけ。生そのものが矛盾ではないかと思うくらいである。

しかし多くの人は自分の生の中の矛盾に戸惑うことが多々あるように思う。自分はこういう自分のはずなのに、どうしてこんなことを感じてしまうの?と自分の心を責め、認めようとしないことがある。

わごいちはおなかを触るから、深く深く触るから、人の中の矛盾も、その矛盾に悩み心身のバランスを崩すこともよく知っている。その無意味を体感的に知り尽くしている。だからこそ我々は、いやまだ弟子たちは未熟だから私はとしておくが、自分の中の矛盾に際立って寛容な人間になってしまった。

わかりにくいな。端的に言おう。

私は人様のために生きたい。未来の子達のために死にたい。これは紛れもない本心である。そして同時に自分のために生きたい。幸せに生きて幸せに死にたい。これもまた本心なのである。

私が毎日丹練をして技術向上に励むのは、お客のためである。そして同時に自分の為である。腕は誰にも負けたくないのだ。誰かに負けていると言うのが耐えられないから丹練をしているのだ。

弟子たちにはうまくなってほしい。弟子への指導は真剣であり、少しでも本当の技術を伝えてやりたいと思って指導している。が同時に、弟子には負けたくない自分もちゃんといる。最高の教えを授けながら、自分はそれ以上の成長を遂げていないと不安になる。(そんなことはまだ一度もないが、、、、)

先ほどテレビで筋肉番付をやっていたが、ライバルがクリアしたとき互いに拍手をする。嬉しいけれど悔しい、どちらも嘘じゃない、あれも一つの純粋なる矛盾と言っていいのではないか。


皆さんは私に多くを求め、深みを期待する。陰で仙人と言われているとも漏れ聞いた。しかしそれは私のごく一部であって、私のむき出しの生存本能についてはどれ程知られているだろう。

私が率いるわごいち軍団は、おそらく皆さんが思っているよりもはるかに本能をそのまま大事にしている。ひがみや嫉妬も押し潰さない。ゴミ箱に押し込めないで、ちゃんとまな板の上にあげて料理する。自分を知り、自分の力を活かすために。そのためにはありのままの自分を認めなくては始まらないのだ。我々にはむき出しの生存本能が必要なのだ。

屋号の「和合一致」はそういう意味も持つ。

そういう意味ではわごいちは非常に原始的で人間的で、ある意味子供のような幼稚性を持つかもしれない。そんなことを思った。

ただわごいちが変わっているのは、その幼稚性が徹底していることだとも思う。「役に立ちたい。そして勝ちたい。」わごいちのこの一心は分別がつき始めた子供そのままであり、大人の分別は徹底的に排除される。言い訳はわごいちの仕事では許されない。

我々は本気で癌をなんとかするつもりでいる。そして本気で世界一であり続けようと思っている。我ながらなんと幼稚なことよと微笑んでしまうくらいに。

でも和合一致を掲げる以上、これで行くしかないのだろう。


「先生方のように命懸けで仕事に向き合いたい」という人はおそらく、この我々のむき出しの幼稚性が醸し出す迫力を感じ惹き付けられているのかもしれない。私もそうありたいと感じたのかもしれない。

また少し我々の取り組みが美化されている気配を感じるのは、多分にそこにお世辞を含むにしても、ここ数年の我々が「人のために」の方に片寄りすぎた反響なのかもしれない。「自分のために」と言うむき出しの生存本能に雲が掛かってしまっていたのかもしれない。

整体を施術するにしても、丹足を指導するにしても、講演するにしても、これでは良くない。和合一致のバランスを崩している。

そんな風に考えて、今年のテーマにようやく行き着いた。

わごいちは原点である和合一致の精神を今一度大事にする。人を思う気持ちも、自分を思う気持ちも、どちちも大事に育てていく。

その上で「人のために」へと傾きすぎた舵を今一度「自分のために」へと切りなおそう。



「やりたいようにやらせてもらう」



と心に刻み、一日一日を大事に生きていこうと思う。

どうぞ本年も宜しくお願いします。










三宅弘晃

emoticon-0179-headbang.gif今日の丹練
・四股700丹


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by wagoichi | 2017-01-02 01:59 | 仕事
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ようやく癌解説2つ目完了。3つ目が・・・3つ目が大変なんだよ。テーマは決まっているが、どう伝えたらいいのか。。。。ああぁぁ
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