自分が何をしたいのか


少しずつわかりかけている。


人生で一番難しいのは、自分が何をしたいのかを見つけることかもしれない、そんな風に思う。

若い時なら、ある程度しっかり考えた末の「自分が何をしたいのか」であれば、あとは勢いで突き進むことができる。例え間違ってもまた軌道修正ができるからだ。

しかし年をとってくると少しそういうのが難しくなってくる。軌道修正の機会がもうあまりない。段々と背水の陣の覚悟が必要になってくる。ある程度の経験を積みエネルギーもある40代という人生の黄金期に何を為しておくか、それは人生の成果を決定づける要因になりはしまいか。



「何を言っているんだ」と、人は言うかもしれない。あんたは充分に成功者だし、このまま行けばいいじゃないかと、そんな風に言われそうな気もする。

確かにこれまでの自分の人生は上出来かもしれない。28歳で脱サラし裸一貫で整体院を始め、並び立つ者なきおなか揉みの技術を確立し、今や全国各地からわごいちを頼ってきてくれる。手におえないような病気はもう多くないし、うちのお客たちは有り難いくらいに品がよいし、家族は円満だし、明日のご飯を心配することもないし、体は元気だし、髪の毛もまだ抜けてない。

充分じゃないかと。


このままわごいちを守っていけばいい。わごいちはこのまま幸せを守っていけばいい。下手に規模の拡大に走らず、営利に走らず、誠実により一層のよい仕事を求め続けていけば、それだけで充分幸せじゃないかと、そういう考えもゼロではない。またお客サイドも、そういう気持ちの方は沢山おいでかと推察する。




でもあかんねん、そういう考えじゃ。



今わごいちが守っているのは、わごいちに通う人だけ。わごいちの屋根の下に入った人だけ。そして自分達だけ。わごいちの傘の中に入った人間だけが、癌にならずにすんでいるだけ。大病から免れているだけ。自分達だけが自分の健康に万全の自信を持って人生を楽しんでいる。でも他の人のことは知らない。

そういう話じゃないのか?



若い世代はどうする?

すでにもう若者のおなかは弱り始めている。中年も老年も弱ってきているが、若者の事態はより深刻。アイスと唐揚げで育ったようなやつが沢山いる。20代で生理がないやらおかしいやら、食べられないやら太れないやら働けないやら、こんな20代が溢れる時代が過去にあっただろうか。

彼ら彼女らのおなかはすでにもう弱っているんだ。10年前の20代とは全然違うんだよ。

彼らはこれから数十年生きていかなくてはならないが、20代でこんな体で、この先どんどん老化が進む中で、どうやって健全に生きていく?




わごいちは大事だ。大事で貴重な場であることには変わりはない。

でもわごいちだけではダメなんだと、それはもうこの数年で顕在化した。ごく一部の大人だけを守るわごいちは、自分たちにとっては大事だけれども世に必要とされているとは言えない。世の人を、未来ある若者を見て見ぬふりをして自分の幸せを守って、それは本当に幸せなのか。それは本当の意味で健全なのか。





これからは我が身を半分に割ってみようと思う。

わごいちは、引き続き我が半身と弟子たちの総力を挙げてこのまま力をつけていく。ものすごい整体院になるだろう。まだまだ伸びしろは沢山ある。


そして残る半身の在り方を考えよう。

これまでの千照館や講演会のように、わごいちの合間を縫うような仕事の在り方ではなく、私の半身はわごいちから完全に出よう。そして半身の全て(ちょっと変か?)を懸けて仕事をさせよう。全身全霊の半身で、何を為すべきか。為したいか。為すか。一から一人から。

何からはじめるか、まず考えよう。


向かう先は、社会であり未来である。これだけは決まっている。それ以外はまだ定まってはいない。








弘晃

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080.gif今日の丹練
・四股300丹
・木刀100丹


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by wagoichi | 2016-12-09 19:23 | 人生